建久9年(1198年)の鋳銘をもつ熊野本宮大社の鉄湯釜
紀伊半島南部、和歌山の山深くに鎮まる熊野三山の中心、熊野本宮大社に、建久9年(1198年)の年紀を鋳出した一口の鉄釜が伝わる。祓いの神事に用いる釜で、昭和58年(1983年)に重要文化財へ指定された。彩色の本尊画や太刀が並ぶ社の宝のなかで、飾り気のない鉄の釜は地味に見えるかもしれない。だが、その年紀がこの品を別格にしている。
確かな鋳造年をもつ鉄の遺品は、十二世紀末という時代にあって数が少ない。本品はそのなかでも最古級に位置する。いわば日本の鋳鉄史における一つの基準点であり、しかも作られた本来の神事のために用いられ続けてきた。
湯立の神事
この釜は湯立という神事のために存在する。火にかけた塩湯を煮立て、奉仕する巫女や神人らにその飛沫をふりかけて祓い清める。火と塩湯という二つの清めの力を、一つの所作に合わせるのである。社の古絵図にもこの釜が「湯釜」として描かれており、神事とその道具が古くからこの地の祭祀に根づいていたことを伝える。
社伝によれば、この釜は鎌倉幕府を開いた武将・源頼朝が奉納したものと伝えられる。詳細は確かめられず、文献上の事実というより伝承として受け止めるのがよい。一方、品そのものが金属に刻んで記録するのは年紀である。鋳出された銘は建久9年四月の某日にあたり、西暦1198年、まさしく鎌倉時代の初めに位置づけられる。
年紀がもつ重み
鉄釜のなかで、確実な年紀をもつ品は稀であり、本品はその筆頭に近い。広く湯船・湯釜の類で在銘最古とされるのは、奈良・東大寺に伝わる建久8年(1197年)の品である。熊野本宮大社の釜はその翌年の鋳造で、同種の在銘鉄器としては二番目に古く、とりわけ湯立に用いる湯釜では在銘最古級に数えられる。金属工芸の研究者にとって、この早く確かな年紀は、年代の知れない品を測る物差しになる。
もう一つの稀少さがある。熊野三山にはそれぞれこの種の釜があったが、完全な形で保存されているのは本宮の一口のみである。他が失われ、あるいは損なわれたなかで、これだけが完存している。それが国の指定を受ける理由でもある。国指定文化財等データベースは要点を裏づける。鎌倉時代の一口の鉄釜、1198年の鋳造、年紀の鋳出銘、昭和58年の重要文化財指定である。
釜と、その山々
熊野本宮大社は、全国に広がる熊野信仰の総本宮であり、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産でもある。幾世紀にもわたり、熊野詣は天皇から庶民までを熊野古道の山道へと誘ってきた。この社の歴史は水の歴史でもある。明治22年(1889年)の大水害は、川中の中洲・大斎原にあった元の社地を押し流し、社殿は近くの高台へ移されて再建され、今日に至る。この水害が古い社宝の多くを失わせた。それだけに、十二世紀の鉄釜が残ったことの重みは増す。
拝観については、気軽に展示を見られると考えず、当然に近づけるとも思わないほうがよい。これは現役の神事の道具であり、脆い古い遺品でもあって、社が公開を選んだときにのみ人前に出される。訪問の報いは別のところにある。大杉の下の参道を歩くこと、熊野古道が社のかたわらを登っていく場に立つこと、そして初代将軍の時代から祓いの湯を沸かし続けてきた釜が社のどこかに守られている、と知ることである。決まった展示を当てに出かけるより、社で宝物について尋ねてみる。それが正しい近づき方である。
Q&A
- この釜は何に使われましたか。
- 湯立の神事に用います。塩湯を煮立て、その飛沫を参列者にふりかけて祓い清めます。社の古絵図にもこの釜が描かれています。
- 正確にどれくらい古いものですか。
- 鋳出銘により1198年、鎌倉時代の初めの作とわかります。日本に現存する在銘の鉄釜では最古級にあたります。
- 本当に同種で最古ですか。
- 1197年の東大寺の鉄器がより古いものです。本品は同種の在銘鉄器で二番目に古く、湯立用の湯釜としては在銘最古級に数えられます。
- 源頼朝が奉納したのは本当ですか。
- 社伝はそう伝えますが、詳細は確認できず、伝承として受け止めるのがよいでしょう。ただし年紀の鋳出銘は釜そのものにあります。
- 参拝時に見られますか。
- 常設展示ではありません。脆い神事の道具で、社が公開する機会にのみ拝見できます。決まった展示を当てにせず、社にお尋ねください。
基本情報
| 名称 | 鉄湯釜 |
|---|---|
| 指定区分 | 重要文化財(昭和58年〔1983年〕6月6日指定) |
| 種別 | 工芸品(金工) |
| 時代 | 鎌倉時代、建久9年(1198年)鋳造 |
| 銘文 | 建久9年四月某日の鋳出銘 |
| 用途 | 湯立の神事 |
| 員数 | 1口 |
| 所有者 | 熊野本宮大社(和歌山県田辺市本宮町) |
| 公開状況 | 常設公開ではなく、社の判断による。事前にお問い合わせください。 |
References
- 国指定文化財等データベース(文化庁)鉄湯釜
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/7243
- 熊野本宮大社 宝物(熊野三山協議会)
- https://www.kumano-sanzan.jp/hongu/houmotsu.html
- 熊野本宮大社(ウィキペディア)
- https://ja.wikipedia.org/wiki/熊野本宮大社
最終更新日: 2026.06.23