高野山文書を代表する古文書群、又続宝簡集
和歌山県の高野山に伝わる国宝のなかに、絵画でも仏像でもなく、おびただしい数の古文書を巻物と冊子に仕立てた一群がある。又続宝簡集(ゆうぞくほうかんしゅう)である。167巻・9冊からなり、天皇の綸旨や院宣、太政官符といった公文書から、武将の書状、農民の訴状まで、性格の異なる文書を収める。金剛峯寺が長く守ってきた古記録のうち、とりわけ重要なものを選び出して編んだもので、宝簡集・続宝簡集とあわせて「高野山文書」の中核をなす。
収められた文書そのものは、現在の体裁よりはるかに古い。江戸時代、御影堂宝庫に納められていた古文書のうち主要なものが選ばれ、順次、巻子や冊子に成巻・成帖された。一冊の書物というより、原本を整理して保存した文庫に近い。一つの巻には天皇の文書が、数巻先には片仮名で書かれた百姓の訴状が並ぶ。
三つの集成のなかで最も大きい
高野山に伝わる文書は、編まれた順に三つの集成へまとめられた。最初が宝簡集の54巻、次いで「続き」を意味する続宝簡集、そして「さらに続く」を意味する又続宝簡集が、三つのうち最大の規模をもって最後に成立した。三集をあわせると、転写本を含めておよそ298巻15冊、点数にしておよそ三千六百余点におよぶ。又続宝簡集だけで二千点近い文書を収めるとされる。
年代の幅も広い。三集全体では、案文で正暦三年(992年)、正文で永久三年(1115年)の文書を最古とし、下限は江戸時代の寛保三年(1743年)に達する。又続宝簡集に収める文書は、平安から桃山にわたる。文書の数としては鎌倉時代が最も多く、南北朝・室町時代がこれに次ぐため、巻を繰ることは、そのまま数百年の歴史をたどることになる。
国宝に指定された理由
評価は早くから定まっていた。三集はまず明治四十一年(1908年)に国の指定を受け、文化財保護法の施行後、昭和二十八年(1953年)十一月十四日、二つの姉妹編とともに国宝へと格上げされた。
価値は、量の多さと原本性の双方にある。後世の写しではなく、文書に名を連ねる機関や人物が実際に発給した正文を多く含む。中世の荘園を研究する歴史家にとって基本史料であり、古文書学の上でも、朝廷の格式高い文書から武家政権の命令、土地売券にいたるまで、文書の様式がほぼ網羅されている点で貴重とされる。
身分を越えた声の集積
この文書群が読む者を引きつけるのは、収める声の幅広さである。後白河天皇にはじまる歴代天皇の綸旨・院宣・御願文、太政官符や御教書、後世の朱印状が並ぶ一方で、中世史を彩る人物の自筆も残る。源頼朝、弟の義経、そして円位の名で知られる歌僧西行の書状などである。
同時に、社会の最も下からの声でも名高い。建治元年(1275年)、紀伊国阿氐河荘の百姓らが地頭の非法を訴えた言上状は、庶民が用いた片仮名でほぼ全文が記されている。耳を切り鼻を削ぐと威された苦境を訴える文面は、農民が自らの言葉に近い形で書き残した稀有な記録として、日本の教科書にくり返し採録されてきた。阿氐河荘の文書が高野山に残ったのは、この荘園が山の所領であったためである。
見どころ
文書が書かれてから長い時を経て表装されたため、巻物そのものにも見るべきところがある。巻ごとに表装や裏打ちの紙が異なり、なかには豊臣秀吉が高野詣を行った際の能装束の裂地を転用したと伝わる優美な表装もある。記録ではなく言い伝えではあるが、編んだ人々が払った心づかいがしのばれる。
内容の大半は、寺領に関する文書が占める。紀伊国の官省符荘をはじめ、荒川・名手・神野真国・志富田・阿氐河・南部の各荘、さらに備後国大田荘、和泉国近木荘に及ぶ。これらの寄進状や相論の文書を読み解くと、一大宗教勢力が西国に散在する所領をいかに経営したかが浮かび上がる。又続宝簡集を含む高野山文書が、中世荘園史と高野山史の研究を支える理由がここにある。三集は明治末年、『大日本古文書 家わけ第一 高野山文書』として翻刻・刊行された。
文書と高野山をたずねる
又続宝簡集は、高野山の諸寺院の宝物と文書を収める高野山霊宝館に保管されている。紙は傷みやすく光に弱いため、巻物が常時公開されることはない。個々の文書は特別展で入れ替えながら展示され、ときに東京国立博物館や和歌山県立博物館などへ出陳されることもある。訪れる前に、霊宝館の展示内容を確かめておくのがよい。
巻物が展示されていない時季でも、足を運ぶ価値は十分にある。高野山は空海が九世紀初めに開いた山上の宗教都市で、峰々に囲まれ、数多くの寺院が建ち並ぶ。多くの寺院が宿坊として旅人を迎え、朝のお勤めに参加できるところもある。壇上伽藍や、杉木立の続く奥之院の参道は霊宝館から歩いて行ける距離にあり、霊宝館を中心に組んだ一日は、文書が記す土地そのものを歩く旅へと広がっていく。
Q&A
- 又続宝簡集はどこで見られますか。
- 和歌山県の高野山にある高野山霊宝館に保管されています。文書は光に弱いため、特別展で入れ替えながら公開されます。訪問前に霊宝館の展示内容を確認してください。一部の文書は、他館へ貸し出されて展示されることもあります。
- どのような文書が収められていますか。
- 幅広い文書が含まれます。天皇の綸旨や御願文、太政官符、後世の朱印状のほか、源頼朝・義経や歌僧西行らの書状、農民の訴状などです。大半は寺領に関わる文書で、年代は鎌倉時代から室町時代に集中しています。
- 宝簡集・続宝簡集とはどういう関係ですか。
- 三集は同じ高野山の文書から順に編まれました。最初が宝簡集、次が続宝簡集、最後が又続宝簡集です。又続宝簡集は三集のうち最大で、三集はいずれも昭和二十八年(1953年)にまとめて国宝に指定されました。
- 有名な片仮名の百姓訴状もこの集成に含まれますか。
- 建治元年(1275年)の阿氐河荘の百姓言上状は、ほぼ全文が片仮名で記された文書で、三集が収める高野山文書に属します。教科書にしばしば採録され、地頭の非法を訴える農民の率直な言葉で知られています。
- どのくらい古い文書ですか。
- 三集全体では、案文で正暦三年(992年)、正文で永久三年(1115年)の文書を最古とし、最も新しいものは寛保三年(1743年)に書かれました。又続宝簡集に収める文書は平安から桃山にわたり、鎌倉時代のものが最も多くを占めます。
基本情報
| 名称 | 又続宝簡集(ゆうぞくほうかんしゅう) |
|---|---|
| 種別 | 古文書 |
| 指定 | 国宝(昭和28年〔1953年〕11月14日指定/明治41年に国指定) |
| 員数 | 167巻・9冊 |
| 時代 | 平安~桃山 |
| 所有者 | 宗教法人金剛峯寺 |
| 管理団体 | 財団法人高野山文化財保存会 |
| 保管施設 | 高野山霊宝館(和歌山県・高野山) |
| 公開状況 | 常設公開なし。特別展で個々の文書を入れ替え展示 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/829
- 高野山 霊宝館 収蔵品紹介
- https://reihokan.or.jp/syuzohin/syoseki.html
- コトバンク「高野山文書」
- https://kotobank.jp/word/高野山文書-1165379
- WANDER 国宝「宝簡集・続宝簡集・又続宝簡集」
- https://wanderkokuho.com/201-00827/
最終更新日: 2026.06.13