如来像〈寺伝薬師如来〉

高野山の絵画の宝物のなかに、海の向こうから渡ってきた一尊の如来がある。絹本著色のこの掛幅は、日本ではなく中国、元の時代に描かれたもので、いつしか海を越えて高野山真言宗の総本山・金剛峯寺の所蔵に入った。昭和三十三年(一九五八年)二月八日に重要文化財へ指定されている。

本図は、何が分かっていて何が分からないかを名称がいかに記すか、その好個の例でもある。寺では古くからこの像を薬師、すなわち薬壺を持ち東方浄土を主宰する治癒の如来と呼んできた。ところが国の指定名称は、ただ「如来像」とのみ記す。この違いは意図的なものである。本図には尊格を疑いなく定める明確な持物や標識が欠けており、そのため国の台帳は、見てとれること、すなわち坐す一尊の如来であることを記録し、具体的な尊名は寺の言い伝えに委ねているのである。

訪れる者にとって、これは仏画の読み方を学ぶよき手がかりとなる。寺が伝える「薬師」という名は、立証された事実ではなく受け継がれた伝承であり、両者の隔たりは欠点ではなく、この作品の見どころの一つにほかならない。

請来された絵画の旅

宋元時代の中国仏画は日本で珍重された。大陸に学んだ僧が請来し、当時の日本の作とは異なる仕上げと量感が尊ばれたのである。寺院はそれらを礼拝の対象として、また自坊の絵師の手本として受け入れた。元代の如来が、真言密教の中枢である高野山の所蔵に入ったことは、海を越えたこの長い交流の流れにそのまま重なる。

高野山の和様の絵画と並べてみると、本図からは別の工房の伝統が肌で感じられる。身体の量感のとらえ方、衣文や彩色の扱い、大陸の絵師の手がもたらす重み。本図が重要文化財として持つ価値は、一つにはそこにある。この山にあって、元代中国の絵画を、そして両国のあいだを行き交った聖なる像のさまを今に示す証人としての価値である。

不確かさを読む

「これはどの如来か」という問いへの誠実な答えは、寺は薬師と呼び、国の記録は判断を保留している、というものである。これは難点というより、ゆっくり眺めるほど報われる種類の機微である。像はそれを薬師と示すような何かを手にしているか。姿勢や衣のどこに、日本ではなく元代中国の出自がうかがえるか。伝承と慎重な指定名称の双方を念頭に像の前に立つとき、行きずりの一瞥は、細部を見つめる小さな営みへと変わる。

作品を見るには

本図は、高野山の諸寺院の宝物を収蔵する高野山霊宝館を通じて保存されている。高野山の他の脆い絵画と同様、常設ではなく、企画展や大宝蔵展のたびに入れ替えで公開される。この請来仏画を実見したい場合は、来訪前に同館の現在の展示内容を確認しておきたい。日本の仏画とあわせて見るとき、和様と大陸様式の対比がいっそう際立ち、鑑賞はより深いものとなる。

Q&A

Qこの絵はどこで描かれたのですか。
A中国の元の時代に描かれました。のちに日本へ渡り、高野山の金剛峯寺の所蔵となりました。
Q描かれているのは本当に薬師如来ですか。
Aそれは寺に伝わる呼び名です。明確な持物を欠くため尊格を確定できず、国の指定名称は単に「如来像」と記しています。
Qなぜ中国の絵が高野山にあるのですか。
A宋元の中国仏画は日本で珍重され、僧によって請来されました。寺院は礼拝の像として、また絵師の手本として大切にしました。
Qいつ指定されたのですか。
A昭和三十三年(一九五八年)二月八日に重要文化財へ指定されました。
Qどこで見られますか。
A高野山霊宝館を通じて保存され、企画展で入れ替え公開されます。常設ではないため、来訪前に展示予定をご確認ください。

基本情報

名称絹本著色如来像〈(寺伝薬師如来)〉
所有者金剛峯寺(和歌山県・高野山)
指定区分重要文化財(昭和三十三年〔一九五八年〕二月八日指定)
員数・品質一幅、絹本著色
制作地・時代中国・元時代
尊格寺伝では薬師如来。指定名称は「如来像」
公開状況高野山霊宝館で保存・管理。企画展等で入れ替え公開

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/2137
高野山霊宝館(公式サイト)
https://reihokan.or.jp/

最終更新日: 2026.06.23