仏の胎内に隠されていた仏
昭和六十二年(一九八七)、道成寺の本堂が解体修理のために分解され、寺の秘仏である北向きの観音を動かす段になったとき、誰も予期しなかったものが見つかった。その像の内部に、別の像が封じ込められていたのである。傷み、面部を失い、前面の大方が朽ちたその内なる像は、何百年ものあいだ外の像のなかに身を潜めて運ばれてきた。この朽損した像こそ木心乾漆千手観音立像であり、損傷にもかかわらず、道成寺が伝える最古級の彫刻の一つである。
これを生み出した技法、木心乾漆は、彫り出した木の心に漆を盛り重ね、軟らかいうちに塑形して像を造る。この像では、心はおおむね樟の一材から切り出され、膝から脛にかけて檜の別材を矧ぎ足している。その上に木屎漆(こくそうるし)を盛り上げて形を成した。歳月はこの像に厳しく、木心の朽損が甚だしく、面部のすべてと躰部正面の大方が失われている。
残された背面が語ること
残された部分が、専門家には多くを語る。像の背面は髻(もとどり)の先から裳裾に到るまで大略を残しており、その表面に研究者は、ゆたかで気負いのない造形を読みとる。幅広い背中が引き締まった胴へとすぼまり、やがて逞しい張りをみせる腰へと続く。この満ちて伸びやかな量感が、本像を八世紀の二つの名高い像に近づける。奈良・聖林寺の国宝・木心乾漆十一面観音立像と、愛媛の重要文化財の菩薩立像である。
ほかの細部も同じ方向を指す。別材の檜で造られた脇手はその半ば近くを残し、その矧ぎ方、すなわち長大な枘(ほぞ)、上膊と前膊を継ぐ相欠き矧、太い釘の使用は、いずれも古式である。木屎漆は頭髪や衣部に厚く用いられながら、背面では省かれており、これはこの様式の後期の作に典型的な簡略化である。これらを総合すると、制作は奈良時代も後半、八世紀のことと考えられる。
なぜ貴重なのか
この像の古さは、より大きな発見につながっている。境内の発掘調査によって、複廊をそなえた八世紀の伽藍の存在が確認され、寺伝にいう大宝元年(七〇一)の文武天皇勅願による創建をどう評価するにせよ、道成寺がいかに古い寺であるかが実証された。内なる観音はその古い姿によく合致し、研究者はこれを、寺の創建期にまでさかのぼりうる遺例とみている。
道成寺は、まったく別の位相でも名高い。能・歌舞伎・人形浄瑠璃に語り継がれる安珍清姫伝説の舞台としてである。だがその物語の下には、紀伊地方でも有数の古い仏教の地が横たわっており、この面部を欠く断片的な観音は、その雄弁な証人の一つである。本像は平成元年(一九八九)六月に重要文化財に指定され、自らを隠していた外の像と一具で指定された。発見ののち、面部を含む欠失部分は丁寧な復元によって補われ、復元後の像高はおよそ二三六センチに及ぶ。
拝観のみどころ
復元を経て、内なる観音はいま本堂の南向きの像として安置され、おおむね拝観することができる。一方の側に立つと、この彫刻の理(ことわり)が見えてくる。正面の多くは復元であり、残された背面が八世紀の当初の手を伝えている。古いものと新しいものとを同時に読みとることを求める像なのである。
位置づけを知るには、年中拝観できる寺の宝物館、宝仏殿が手がかりになる。そこには別の国宝・千手観音立像が安置されている。九世紀、平安時代前期の作で、かつて南向きの本尊として立っていた像である。二体を併せて見ると、この寺がこの尊像に寄せてきた長い信仰がよく分かる。両像はともに、通例の四十二臂ではなく四十四臂をもつ点でも珍しい。道成寺はJR紀勢本線の道成寺駅から徒歩七分ほど、和歌山南部の海沿いの路線にある立ち寄りやすい駅である。
Q&A
- なぜ面部が欠けているのですか。
- この像は何百年も別の像の内部に隠れており、木心の朽損が進みました。昭和六十二年(一九八七)の発見時には面部のすべてと前面の大方が失われていました。欠失部分はのちに復元で補われています。
- どのくらい古いのですか。
- 構造と、残された背面の造形から、奈良時代後半の八世紀の作と考えられています。寺の創建期にまでさかのぼる可能性があります。
- 木心乾漆とは何ですか。
- 彫り出した木の心に漆を盛り重ね、軟らかいうちに塑形して像を造る技法です。奈良時代に上質な彫刻に用いられました。
- 拝観できますか。
- 復元ののち本堂の南向きの像として安置され、おおむね拝観できます。年中拝観できる宝仏殿には、比較のための関連の国宝・観音像があります。
- これは安珍清姫伝説の像ですか。
- いいえ。道成寺はその伝説で有名ですが、この観音は伝説とは別の、仏教の地としてのはるかに古い歴史に属する像です。
基本情報
| 名称 | 木心乾漆千手観音立像(面部欠) |
|---|---|
| 所在地 | 和歌山県日高郡日高川町鐘巻 道成寺 |
| 指定区分 | 重要文化財(平成元年〔一九八九〕六月十二日指定。鞘仏と一具で指定) |
| 員数 | 一躯 |
| 時代 | 奈良時代後半(八世紀) |
| 寸法 | 復元後の像高 約二三六センチ |
| 所有者 | 道成寺 |
| 公開状況 | 本堂の南向きの像として安置。おおむね拝観可。宝仏殿の国宝・観音像は年中拝観可。 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/5102
- 文化遺産オンライン(NII)
- https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/154661
- 道成寺 公式サイト「仏像群」
- https://dojoji.com/butsuzo
最終更新日: 2026.06.23