高野山の塔頭に伝わる平安の如意輪観音坐像

弘法大師空海が九世紀初めに開いた真言密教の根本道場、高野山。その塔頭のひとつ如意輪寺は、平安時代の木造如意輪観音坐像を伝えてきた。寺号そのものが、この本尊に由来する。高野山の諸寺が伝える古い宝物の多くがそうであるように、本像も現在は、山内各所のとりわけ脆弱で貴重な品を守る霊宝館の管理下にある。したがって本像は、表される尊と、像が生まれた信仰の世界とをあわせて捉えるのがよい。

如意輪観音は、慈悲の菩薩である観音の変化身のひとつである。その名は二つの働きを合わせもつ。願いをかなえると説かれる聖なる宝珠、すなわち如意宝珠と、仏法の回転を表す法輪である。密教において如意輪観音は、衆生を苦から引き出し、世間の利益と出世間の悟りの双方を与える尊と理解され、宮廷から市井の人々まで、あらゆる階層の信仰を集めた。

像を読み解く

日本の彫刻では、如意輪観音は六臂の坐像として表されることが多く、それぞれの手に意味が託される。右の一手は頬に当てて思案する思惟の相をとり、いかにして一切衆生を救うかを思いめぐらす菩薩の姿を示す。他の手は如意宝珠、念珠、蓮華、法輪を執り、一手は観音の浄土である補陀落山を按ずる相をとって台座に添えられる。片膝を立て、左右の足裏を合わせる輪王座は、多くの仏像にみられる左右対称の端坐ではなく、くつろいだ王者の坐法である。この限られた手と持物の組み合わせを見分けることが、如意輪観音を読み解く鍵であり、ひと目で済ませるよりも、じっくりと眺めることに値する。

如意輪寺の本像は平安時代の作で、明治四十一年(一九〇八)一月十日に重要文化財に指定された。この時期の平安の仏師は一材から彫り出す造りを好み、その像はのちの時代の劇的な動勢よりも、穏やかで丸みをおびた相好と、ゆるやかに流れる衣文へと傾く。本像については公刊された詳しい記述が限られているが、これは高野山の寺々が伝える、表立たない宝物に往々みられることである。国の記録は、尊名、材質、時代、指定を確認するにとどめ、細かな寸法は記していない。

どこで会えるか、何を見ておくか

本像は霊宝館の管理下にあるため、常設展示ではない。霊宝館は、国宝二十一件、重要文化財百数十件を含む膨大な収蔵品を、季節ごとの企画展や大宝蔵展に応じて入れ替えて公開しており、ある一品が表に出るのは特定の時期に限られる。本作を確実に見たい場合は、訪問前に開催中の出品目録を確かめるとよい。霊宝館は中心伽藍である壇上伽藍の近くに建ち、その見学は山内の主要な見どころと自然に組み合わせられる。

この一像よりも如意輪観音という尊への関心が勝る方には、平安の如意輪観音坐像はほかでより会いやすい。大阪・観心寺の著名な国宝像は毎春二日間だけ開扉され、六臂像の基準作として知られる。室生寺や神呪寺の像も古くから名高い。こうした一作に親しんでおけば、手と持物、輪王座の意味が腑に落ち、のちに霊宝館で如意輪寺の像と向き合うとき、その時間はいっそう豊かなものになる。

Q&A

Q如意輪観音は何を表しますか。
A慈悲の菩薩である観音の変化身のひとつです。名は如意宝珠と仏法の輪を指し、苦しみを除き、世間と出世間の双方の利益を与える尊と信じられてきました。
Q像はいつの作で、どのような区分ですか。
A平安時代の作で、明治四十一年(一九〇八)に重要文化財へ指定されました。高野山の塔頭・如意輪寺が所有する木造の坐像です。
Q高野山で拝観できますか。
A本像は霊宝館の管理下にあり、収蔵品を入れ替えて公開するため常に出ているわけではありません。本作を目当てにする場合は、霊宝館の開催中の出品目録をご確認ください。
Q同種の如意輪観音を確実に見られる場所は。
A大阪・観心寺の国宝像は毎春二日間開扉され、六臂像の代表作として知られます。室生寺や神呪寺の像も名高く、よい比較対象になります。

基本情報

名称木造如意輪観音坐像
所在地和歌山県伊都郡高野町高野山 如意輪寺所有
指定区分重要文化財(明治四十一年一月十日指定)
時代平安時代
員数一躯 木造 坐像
所有者如意輪寺(高野山塔頭)
保管・公開高野山霊宝館が保管。企画展等で随時公開。出品目録を要確認

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/4338
高野山霊宝館 公式サイト 高野山と文化財
https://reihokan.or.jp/bunkazai/
如意輪観音 ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%82%E6%84%8F%E8%BC%AA%E8%A6%B3%E9%9F%B3

最終更新日: 2026.06.23