道成寺に伝わる二躯の毘沙門天

道成寺には、北方の守護神である毘沙門天の木像が二躯伝わっている。いずれも平安時代前期の作で、明治三十二年(一八九九年)に重要文化財に指定された。文化財保護のしくみが動き出して間もない時期の指定であり、国が早くから守るべき作と見なしていたことがうかがえる。二躯は大きさが異なる。一躯は像高がおよそ二メートルに達し、近年は東京国立博物館に寄託されて展示に出ることが多い。もう一躯は像高百三十四センチほどで、こちらは寺の宝仏殿に安置されている。

像の前に立つと、まず姿勢に目が行く。大きい方の像は腰を強くひねり、片足に重心をかけ、口を「へ」の字に結んでいる。甲冑に身を固めた体は厚く、表情には不機嫌さがにじむ。足もとでは小さな邪鬼が押さえつけられ、苦しげに身をよじっている。穏やかな仏ではない。武人の像である。

像を守ってきた寺

道成寺は、紀伊水道に近い和歌山県南部、内陸の日高川町にある。寺伝では大宝元年(七〇一年)、文武天皇の勅願によって創建されたとされ、和歌山県に現存する寺としては最も古い。当初は法相宗、江戸時代に紀州徳川家の意向で天台宗へと改まった。

もっとも、この寺を有名にしているのは仏像よりも一つの物語である。安珍と清姫の伝説がそれで、若い僧安珍に恋した清姫が、裏切られたと知って大蛇と化し、鐘の中に隠れた安珍を焼き殺すという筋立ては、能「道成寺」、歌舞伎「京鹿子娘道成寺」として広く知られる。境内では今も、絵巻を広げながらこの話を語る「絵とき説法」が日々行われている。華やかな伝説の陰で、二躯の毘沙門天はやや目立たない位置にいる。だが像は伝説が文芸として整う数百年前にさかのぼり、寺の歴史の古層に属している。

なぜ重要文化財に指定されたのか

明治三十二年という指定の年は、像そのものと同じくらいの意味を持つ。日本が古社寺の美術を制度として守りはじめたのは、その二年前、明治三十年の法律によってである。道成寺の毘沙門天は、その最初期の指定に含まれた。当時の研究者がすでに国の宝として残す価値を認めていたことの表れといえる。

価値の根拠は、古さと出来ばえの両方にある。専門家はこの二躯を九世紀、平安時代前期の作と見ている。木を彫って彩色を施す重厚な造形が好まれた時代であり、大きい像の誇張された姿勢やしかめ面は、優美さよりも力強さを尊ぶ当時の感覚に通じる。表面には今も当初の彩色の痕跡が残るため、像は彩色を伴う木造として記録されている。これほど古い像が、守護神としての張りつめた気配を保ったまま伝わってきたこと自体が、指定の理由の一つに数えられる。

見どころ

毘沙門天とは、なぜしかめ面なのか

毘沙門天は、四天王のうち北方を守る多聞天が単独で信仰されるときの呼び名である。一尊として祀られ、敵を退け福をもたらす神として崇められてきた。甲冑をまとい、片手を挙げて宝塔をささげ持つ姿が多い。宝塔は守るべき仏法の象徴であり、足の下に邪鬼を踏むのは悪を屈服させたしるしである。しかめ面は感情ではなく約束ごとで、信仰をおびやかすものを退けるだけの険しさが求められる。

大きい像

二躯のうち背の高い像は、より演劇的だ。鋭く捻った上半身と、中心を外して踏ん張る足の構えが、何かに向き直った直後のような止まった動きの感覚を生む。足もとの邪鬼にも目をやってほしい。仏像を見る人がまず確かめる箇所だが、ここでも踏まれた鬼が力みと抵抗の小さなドラマを見せている。この像は東京国立博物館で展示されるため、実物に会うには和歌山ではなく東京へ向かうことになる場合がある。わざわざ訪ねる人は、出発前に像の所在を確かめておくとよい。

小さい像と、その場

連れの像は道成寺に残り、近代の収蔵施設である宝仏殿で拝観できる。同じ堂には寺の最も重い宝、国宝の千手観音立像と二躯の脇侍菩薩が並ぶ。これらも平安時代前期の作である。その中に立つ毘沙門天は、寺の創建から一、二世紀のうちに彫られた、きわめて古い群像のひとつの音として響く。

拝観の手引き

寺へは、JR紀勢本線の道成寺駅から歩いて五分ほどで着き、年中無休で開いている。石段を上って重要文化財の仁王門をくぐると、正面に本堂が立つ。宝仏殿の拝観料は手ごろで、大人がおよそ七百円、子どもはその半額ほど、開門は朝九時から夕方までを目安とする。時間や料金は変わることがあるので、訪れる前に最新の情報を確かめてほしい。

縁起堂での絵とき説法にも時間を取りたい。寺の人が中世の道成寺縁起の写しを広げ、安珍と清姫の物語を語ってくれる催しで、ほぼ随時行われ、所要は四十分ほどである。語りは日本語だが、その熱のこもった進め方は見る価値がある。説法とあわせて像をゆっくり眺めれば、伝説と信仰がこの地でどう隣り合ってきたかが、より立体的に見えてくる。

周辺の見どころ

道成寺は、足早に通り過ぎるより半日かけたい寺である。境内には三重塔があり、伝説にちなむ鐘楼跡が残る。春には桜が咲き、それにあわせて舞踊の公演も催される。周囲の丘は果樹の里で、季節になればみかん狩りの農園が寺の近くで店を開く。日高川の谷あいや、近くの御坊市は、海沿いの幹線を離れて内陸の和歌山を歩く人にとって、足を延ばすのにちょうどよい先となる。

Q&A

Q二躯とも道成寺で見られますか。
Aいつでもとは限りません。小さい像は寺の宝仏殿に安置されていますが、大きい像は東京国立博物館に寄託されて展示されることが多いです。特定の一躯を目当てにする場合は、事前に寺か博物館へ確認することをおすすめします。
Qいつ頃の像ですか。
A仏像彫刻の専門家は、平安時代前期、九世紀ごろの作と見ています。重要文化財に指定されたのは明治三十二年(一八九九年)で、日本の文化財保護制度の歴史のなかでもごく早い時期にあたります。
Q足の下にいるのは何ですか。
A邪鬼です。悪や障りが屈服させられたことを示すために、守護神が踏みつける小さな鬼です。天部の像が邪鬼を踏むのは定型で、鬼の彫りが上の神像に劣らず表情豊かなこともよくあります。
Q像内に印仏が納められた有名な毘沙門天と同じものですか。
A別の像です。多数の印仏を納めたことで知られる毘沙門天は、東京国立博物館が所蔵する別の寺由来の作です。道成寺の像は、それとは独立した九世紀の守護神像です。
Q道成寺でほかに見るべきものは。
A宝仏殿には国宝の千手観音立像と二躯の脇侍菩薩もまつられています。境内では、重要文化財の仁王門と本堂、三重塔、安珍清姫伝説にゆかりの鐘楼跡などをご覧ください。

基本情報

名称木造毘沙門天立像(もくぞうびしゃもんてんりゅうぞう)
所在地和歌山県日高郡日高川町鐘巻一七三八 道成寺
所有者道成寺
指定区分重要文化財(彫刻) 明治三十二年(一八九九年)八月一日指定
員数二躯
時代平安時代(前期・九世紀ごろ)
品質・構造木造、彩色
像高(おおよそ)大きい像 約二メートル/小さい像 約一・三メートル
公開状況小さい像は道成寺宝仏殿に安置/大きい像は東京国立博物館への寄託・展示が多い
アクセスJR紀勢本線 道成寺駅から徒歩約五分

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) 木造毘沙門天立像(道成寺)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/4380
道成寺 和歌山県公式ページ
https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/081300/d00214879.html
道成寺 和歌山県公式観光サイト
https://www.wakayama-kanko.or.jp/spots/detail_312.html
道成寺 日高川町観光協会
https://hidakagawa-kanko.jp/miru/doujyouji/

最終更新日: 2026.05.29