萩野・仁田山鹿子踊──カモシカが舞う北山形の鹿子踊

毎年8月26日、新庄城跡の戸沢神社境内に、頭から足首までを長い幕で覆った7人の踊り手が進み出る。頭上に据えるのは、シカではなくカモシカをかたどった鹿子頭である。全国の鹿子踊(獅子踊)の多くがシカを模すなかで、カモシカを主役に据える例は珍しい。地元でまず語られるのも、この一点だ。

名称は萩野・仁田山鹿子踊。新庄市北部の萩野地区と仁田山(にたやま)地区に受け継がれてきた、ほぼ同形の二つの鹿子踊をまとめて呼ぶ。踊りの型も歌も両地区でほぼ共通する。「鹿子(しし)」は獅子の字を当てることもあるが、この7頭が表すのは、周囲の山にいまも生息するカモシカである。

踊りの構成

核となるのは、一人立ちの鹿子7頭。中心は中鹿子(なかじし)、その両脇に勝鹿子(かちじし)と負鹿子(まけじし)が立つ。残りの牡鹿子は、隊列のなかの位置にちなんだ名で呼ばれる。各々が袋状の長幕を身にまとい、腹には鞨鼓(かっこ)という小太鼓を抱え、股引にわらじをはく。鞨鼓は踊りながら自ら打つため、リズムは別の囃子方からではなく踊り手自身から立ちのぼる。

脇には歌い手が二人。垂れ布のついた饅頭笠をかぶり、着流し姿で、太い割り竹で作ったささらを手にする。これをすり合わせて拍子を取りながら、御詠歌を思わせる節回しの唄をうたう。新庄の祭りで聞かれる軽快な笛と太鼓とは異なり、ゆるやかで祈りに近い響きを帯びる。

演目は決まった順で進む。庭入り(マリコともいう)、館まいり、狂い、投草、引き庭。なかでも「小倉山の狂い」とも呼ばれる狂いが見どころとなる。7頭の鹿子が頭と幕を交えながら絡み合う場面だ。近くで見ると、ただ激しいだけではない。足の運びは抑制され、足元まで垂れた長幕が、踊り手の回転にあわせて空に弧を描く。

二つの指定が認めるもの

山形県は昭和41年(1966年)9月30日、萩野・仁田山鹿子踊を県指定無形民俗文化財とした。その10年後、昭和51年(1976年)12月25日には、国が「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」として選定している。記録保存を図るべき価値ある芸能として選ばれたものだ。この二つは別個の評価であり、混同を避けたい。県の指定と、国の選定という記録保存対象の選定──いずれも受けているが、国が指定する重要無形民俗文化財とは区分が異なる。

もう一つ整理しておきたい点がある。萩野鹿子踊が披露される新庄まつりは、平成28年(2016年)に「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコ無形文化遺産に登録された。この登録が対象とするのは祭りの山車とその行列であり、鹿子踊は同じ日に演じられるものの、独自の位置づけを持つ。

記録が評価するのは、その連続性である。唄、7頭の隊形、カモシカの鹿子頭は、外部に見せる催し物になることなく、地域の人々の手から手へと受け継がれてきた。かつては村の婚礼や成人の祝いの席でも演じられたといい、その内向きの出自が、いまも急がず静かな気質として残っている。

大名の庇護から村の持続へ

起源ははっきり記録されていないが、現在に近い姿は16世紀末には整っていたとみられる。最上義光が領内の鹿子踊を集めて踊らせた折、長幕のものを最も良しと評したという記録がある。最上領で長幕の鹿子は新庄地方の踊りだけだったため、およそ4世紀前にさかのぼる計算になる。

最上氏の改易後、新庄には戸沢氏が入る。二代目の戸沢氏は領内の鹿子踊を下屋敷に呼び集め、五穀豊穣と領内安全を祈って踊らせた。これを「鹿子の庭入り」と呼ぶ。村々の庄屋が踊り手を引率し、殿様の前で出来栄えを競った。よく踊った組は二度目の所望を受けることがあり、これは大きな名誉だった。地元の伝えによれば、萩野は毎度この所望を受けたという。

庇護は明治期に途絶える。庭入りの催しはなくなり、踊り手の義務的な稽古に支給されていた御夜食米も止まり、多くの村で踊りは衰えた。明治13年(1880年)の夏、旧藩主が墓参に戻り踊りを所望したとき、応じられたのは萩野と金沢の二組だけだった。伝えによれば、藩主は元庄屋に「我が家の踊だから末長く無くさないでほしい」と告げたという。やがて金沢は途絶え、萩野は踊り続けた。明治20年代には熱心な指導者のもとで新たな組が結成されている。

頭数の違いには一つの言い伝えがある。一頭の親に率いられた7頭の鹿子が、この地方を踊りながら荘内の方へ向かったが、梅ヶ崎のあたりで一頭はぐれて6頭になった。そのため金沢は6頭で、萩野だけが7頭で踊ったのだ──と。このほか起源には、天平の頃に蝦夷討伐に来た兵が仁田山の地蔵堂前で踊り始めたとも、古老が小倉山で獅子の躍るのを見て真似たとも語り継がれている。

見るには、そして周辺には

萩野鹿子踊は、新庄まつり最終日にあたる8月26日、新庄城跡の最上公園にある戸沢神社と、隣接する護国神社に奉納される。仁田山鹿子踊はこれとは別に、8月15日、仁田山地蔵堂の境内で踊られる。固定された日以外で目にする機会は限られるため、訪れるなら8月半ばから下旬に合わせるとよい。

最上公園は新庄駅から歩いてすぐの距離にある。新庄駅は山形新幹線の停車駅で、山形市はもちろん東京からも日帰りで祭りに足を運べる。堀と桜のある公園そのものも、季節を問わず散策に向く。徒歩圏内の新庄ふるさと歴史センターには祭りと山車に関する資料があり、鹿子踊を取り巻く大きな祭りの全体像をつかむのに役立つ。8月の祭りに合わせれば、三日間は夜ごとに巨大な山車が灯をともして市街を巡る。昼間に神社で演じられる静かな鹿子踊とは、対照的な賑わいである。

Q&A

Qこの踊りの「鹿子(しし)」はシカですか、獅子ですか。
Aどちらでもありません。「しし」は神聖な獣を広く指す言葉で、獅子の字を当てることもありますが、ここでの7頭が表すのは新庄周辺の山にすむカモシカです。全国に数多い鹿子踊のなかでも珍しい例です。
Qいつ、どこで見られますか。
A萩野鹿子踊は8月26日、新庄まつりの期間中に最上公園の戸沢神社・護国神社で奉納されます。仁田山鹿子踊は8月15日に仁田山地蔵堂で演じられます。日常的な公演はないため、この日程に合わせてください。
Q国の指定文化財なのですか。
A二つの評価を受けています。昭和41年(1966年)の山形県指定無形民俗文化財と、昭和51年(1976年)の国による「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」の選定です。国が指定する重要無形民俗文化財とは別の区分にあたります。
Qユネスコ登録の新庄まつりとの関係は。
A萩野鹿子踊は新庄まつりの期間に演じられます。新庄まつりの山車行事は2016年にユネスコ無形文化遺産に登録されました。登録の対象は祭りの山車行事であり、鹿子踊は同じ日に行われる関連の、しかし別の芸能です。
Qいちばんの見どころはどこですか。
A「小倉山の狂い」と呼ばれる狂いの場面です。7頭が円を描き絡み合います。足元まで垂れた長幕が宙に描く形と、御詠歌調の唄の背後でささらを擦り鳴らす音に注目してください。

基本データ

名称萩野・仁田山鹿子踊(はぎの・にたやまししおどり)
所在地山形県新庄市 萩野地区・仁田山地区
分類民俗芸能(鹿子踊/獅子踊)
県指定山形県指定無形民俗文化財(昭和41年〔1966年〕9月30日)
国の選定記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財(昭和51年〔1976年〕12月25日選定)
保護団体萩野、仁田山鹿子踊保存会
演者一人立ちの鹿子7頭、歌い手(地方)2人
主な公演萩野:8月26日、戸沢神社・護国神社(最上公園)/仁田山:8月15日、仁田山地蔵堂
アクセス最上公園は新庄駅(山形新幹線)から徒歩圏内

参考文献

萩野・仁田山鹿子踊/文化遺産オンライン(文化庁)
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/203593
国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/312/228
萩野鹿子踊/新庄まつり公式ホームページ
https://shinjo-matsuri.jp/db/shishiodori/haginoshishiodori
萩野鹿子踊・仁田山鹿子踊/やまがたへの旅(山形県公式観光サイト)
https://yamagatakanko.com/attractions/detail_1227.html

最終更新日: 2026.06.03