黒森歌舞伎 ― 雪降る境内で農民が演じる奉納芝居
毎年2月15日と17日、山形県酒田市黒森地区の日枝神社境内では、屋根のない舞台の上で本格的な歌舞伎が演じられる。雪が舞い落ちるなか、桟敷席の観客は膝に毛布をかけ、足元に湯たんぽを置いて、何時間にもおよぶ芝居に見入る。演じるのは地元に暮らす人々で、役者は全員が素人。それぞれの家で代々受け継がれてきた役を、寒さのなかで務め上げる。
この芝居は地区の鎮守である日枝神社への奉納神事として行われる。神社の祭礼が旧暦の小正月にあたるため、上演は厳冬の2月になる。雪のなかで観ることから「雪中芝居」「寒中芝居」と呼ばれてきた。地元には「黒森には芝居の虫が棲みついていて、雪が降ると騒ぎ出す」という言い回しが残る。
伝承されている演目はおよそ50種。多くは義太夫狂言を主とする物語性の強い演目で、人形浄瑠璃や大歌舞伎から取り入れたものが中心となる。なかには黒森だけに残る形のものもあり、演出や芸態には中央の歌舞伎と異なる点も見られる。地元が独自に長く守り続けてきたことの証である。
農村に歌舞伎が根づいた経緯
起源は完全には記録されていない。黒森の人々は、文書に残るものと言い伝えとを慎重に区別して語る。国の解説が記すのは「少なくとも二百年以上前にさかのぼる」という点にとどまる。地元ではこれをさらに古く、江戸時代中期の享保年間に求める。
その由来を説く話が伝わっている。かつて江戸の歌舞伎一座が巡業で黒森に立ち寄った折、地元の者が式三番叟に用いる面を気に入り、譲ってほしいと頼んだが断られた。そこで一座を自宅に泊め、彼らが眠るあいだに面の形を写し取り、それをもとに面を彫らせたという。この種の面に享保20年(1735年)の年記をもつものが残っており、その頃にはすでに村で芝居が行われていたことがうかがえる。
これを支えてきたのは娯楽心ではなく信仰だった。芝居は神社の祭礼に結びついた奉納であり、2月という時期は農閑期にあたって農民の暮らしにもかなっていた。昭和38年までは常設の舞台はなく、毎年、集落総出で仮設の舞台を組み立てた。「小屋立て」と呼ばれる作業である。現在は境内に黒森歌舞伎演舞場が常設されているが、地域が一体となって行事を支える形は今も変わっていない。
国・県の指定とその理由
黒森歌舞伎は昭和51年(1976年)8月9日に山形県の無形民俗文化財に指定された。国は平成9年(1997年)12月4日、これを「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」として選択している。後世に記録・調査を残すべき重要な民俗文化財と判断されたものを指す区分である。保護団体として位置づけられているのは、地元の一座「黒森歌舞伎妻堂連中(さいどうれんちゅう)」である。
評価の理由は具体的だ。幕末から近代にかけて、素人による地芝居は全国各地に広まったが、その多くはすでに失われた。黒森はその古い姿を、まれにみる完全さで残している。豊富な演目、衣装や道具の一式、そして芝居を取り巻く一年を通じた儀礼の数々。これらは、歌舞伎が農村の信仰生活のなかにどう根を下ろしたかをそのまま示している。芸能史の上での記録としての価値と、土地に固有の性格の濃さの両面から評価されている。
その土地固有の性格は深いところに及ぶ。その年の演目は役者の好みで決まるのではなく、「太夫振舞(たゆうぶるまい)」と呼ばれる神事のなかで、あらかじめ選んでおいた作品から古式にのっとり籤(くじ)で選び出される。約500点の衣装と約50点の鬘(かつら)は毎年8月に虫干しと点検が行われ、地区の女性たちの手も借りて一枚ずつ畳まれていく。かつて集落全体で担っていた運営は、現在は黒森地区の6つの自治会が順に受け持っている。
見どころ
磨き上げられた芸と過酷な環境との対比が、この芝居の核心にある。演者は農家や商店の主、町の人々で、いずれも素人でありながら、長い見せ場の台詞回しには桟敷から歓声が上がる。近年の公演では、黒森小学校の児童による少年歌舞伎と、女性版忠臣蔵とも呼ばれる仇討ち物「加賀見山旧錦絵」の本狂言とが組み合わされた。
規模もまた注目すべき点である。今に残る地芝居のなかで、これほど大きく長い番組に挑むものは少なく、真冬の屋外で演じるものはほとんどない。黒森はしばしば福島の檜枝岐(ひのえまた)と並べられ、東日本を代表する二つの農村歌舞伎として「冬の黒森、夏の檜枝岐」と称される。午前は子どもの太鼓、神楽、神事、式三番叟が本狂言に先立って奉納され、当日は昼前から夕方五時頃まで続く。
装いは、北国の冬の一日を屋外で過ごすつもりで整えたい。実際にそうなるからである。桟敷の予約席には毛布と湯たんぽが用意されるが、寒さも、降りしきる雪も、観客から立ちのぼる湯気も、人々が遠くから訪れて見ようとするものの一部である。
黒森のまわり
日枝神社は酒田市南部の黒森地区にあり、日本海に近く、市の中心部やJR酒田駅から車で行ける距離にある。酒田の町は公演の日以外にも訪れる価値がある。けやき並木に沿って続く山居倉庫は、19世紀に建てられた米倉が長く連なる一画で、北前船交易で栄えた米の積み出し港の面影を残す遺構で、現在は国の史跡に指定されている。本間家旧本邸と庭園、旧来の商家町も、同じ繁栄の時代をしのばせる町並みである。
2月中旬以外の時期に訪れる場合、歌舞伎の上演は見られない。上演は祭礼の二日間に限られるからである。その際は、酒田市の観光案内や黒森コミュニティセンターで展示や記録映像について尋ねるとよい。倉庫群、港、そして広がる庄内平野は、季節を問わず足を運ぶ価値がある。
Q&A
- 黒森歌舞伎はいつ見られますか。
- 毎年2月15日と17日のみ、酒田市黒森地区の日枝神社で上演されます。神社の祭礼への奉納であり、旧暦の小正月にあたる時期に行われるため、この日程は固定されています。これ以外の時期に上演はありません。
- 観覧に予約や席は必要ですか。
- 桟敷の「ます席」は数に限りがあり、事前販売されます。近年は4人分の席に特製の弁当と演目の解説本が付き、寒さ対策として毛布や湯たんぽが貸し出されました。申し込みは黒森コミュニティセンター(電話0234-92-2255)が受け付けます。最新の内容は出発前に同センターや酒田市にご確認ください。
- 演者は専門の役者ですか。
- いいえ。黒森地区に暮らす人々で、「妻堂連中(さいどうれんちゅう)」という一座を通して地域のなかで役を受け継いできた素人です。当日は地元の小学校の児童による少年歌舞伎も演じられます。
- なぜ雪のなか屋外で上演するのですか。
- この歌舞伎は日枝神社への奉納であり、その祭礼が旧暦で2月にあたるためです。当時の農家にとって冬は農閑期であったことも、この時期と結びついています。雪のなか屋根のない場で演じることそのものが伝統であり、「雪中芝居」と呼ばれる所以です。
- 東京や京都の歌舞伎とどう違いますか。
- 黒森は地芝居で、商業興行ではなく一つの地域による奉納として、その地域の人々の手で演じられます。演目の一部や演出・芸態には大都市の舞台と異なる点があり、各地でほとんど失われた素人歌舞伎の古い形を今に残しています。
基本データ
| 名称 | 黒森歌舞伎 |
|---|---|
| 所在地 | 山形県酒田市黒森 日枝神社境内 |
| 国の指定 | 記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財(選択)、平成9年(1997年)12月4日選択 |
| 県の指定 | 山形県指定無形民俗文化財、昭和51年(1976年)8月9日指定 |
| 保護団体 | 黒森歌舞伎妻堂連中(さいどうれんちゅう) |
| 上演日 | 毎年2月15日・17日(奉納) |
| 演目 | 伝承約50種。義太夫狂言を主とする |
| 観覧 | ます席(桟敷)を事前販売、数量限定。問い合わせは黒森コミュニティセンター(電話0234-92-2255) |
| アクセス | 酒田市黒森地区。JR酒田駅から車 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「黒森歌舞伎」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/312/650
- 文化遺産オンライン「黒森歌舞伎」
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/215099
- 酒田市公式ウェブサイト「山形県指定無形民俗文化財 黒森歌舞伎」
- https://www.city.sakata.lg.jp/bunka/bunkazai/minzokugeino/kuromorikabuki.html
- 未来に伝える山形の宝(山形県)「黒森歌舞伎」
- https://www.yamagata-takara.com/takara/recommend/kuromorikabuki
- 酒田さんぽ(酒田市観光)「黒森歌舞伎正月公演」
- https://sakata-kankou.com/event/30719
最終更新日: 2026.06.03