村山地方のオナカマ習俗 ― 目の見えない巫女が、生者と死者のあいだをつないだ

山形県の中央、村山地方には、視力を失った女性たちが死者の言葉を取り次いで生計を立てた時代があった。彼女たちはオナカマと呼ばれた。中心となる仕事は口寄せ、つまり亡くなった身内の霊を呼び出し、巫女自身の口を借りて語らせる儀礼であり、これに加持祈祷や卜占がともなった。オナカマたちが本山と仰いだのが、現在の中山町にある眼の神、岩谷観音である。昭和53年(1978年)12月8日、国はこの習俗を「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選定した。消えゆく前に丁寧な記録を残すべき、と判断された民俗のための区分である。

オナカマは、東北一帯に広がっていた盲目の女性巫女の一つの系統にあたる。青森ではイタコ、旧仙台藩領ではオガミサマ、福島ではミコサマと呼ばれた同じ職能者が、山形ではオナカマと呼ばれた。山形のオナカマを特徴づけているのは、技法そのものよりも、彼女たちが寄りどころとした場所と、残された道具の記録の完全さである。

オナカマとは何者だったか、なぜ記録されたか

オナカマになるのは、幼いころに失明したか、ひどく目の悪い少女がほとんどだった。選べる仕事の少ない農村社会において、巫女になることは生計を立てる道であり、一定の社会的地位を得る道でもあった。修行は早くから始まる。師匠の巫女に弟子入りし、祈祷の文句や祭文を耳で覚えながら数年を過ごし、自分の守護神を授かるとされる成巫の儀礼を経る。その通過儀礼を終えて、ようやく自分の依頼者を持つことができた。

その仕事は、暮らしの切実な必要に応えるものだった。農家は作柄や病んだ家畜について尋ね、夫を戦争や病で失った妻はもう一度その声を聞きたいと願った。婚礼や転居、旅立ちの前に相談する家もあった。医者も記録も乏しい土地で、オナカマは悲しみに声を与え、判断のよりどころを示す存在だった。

戦後の数十年で、この習俗を支えていた条件は失われていく。医療が村々に行き渡り、目の不自由な子どもにも別の道が開かれ、現役の巫女たちは後継者のないまま高齢化した。1978年の選定は、生きた習俗が終わりに近づいたことの公的な確認でもあった。これを受けて国による調査が行われ、その成果は平成18年(2006年)に『巫女の習俗Ⅵ(東北地方・山形県)』として刊行された。保護団体が「特定せず」とされているのは、もはや活動する集団が存在しないためである。

巫女の道具

オナカマについて今わかっていることの多くは、彼女たちが使った道具を通じて残された。そしてその道具はきわめて具体的である。中心となる巫具はトドサマと呼ばれた。巫女の守護神を納めた個人の聖具で、生涯を通じて持ち歩かれた。青森のイタコが背負うオダイジに近い役割を持ち、その職分と霊的な裏づけの両方を示すものだった。

これに一式の道具が加わる。梓弓は、弦を弾いて打ち鳴らし、口寄せにともなう拍子をつくった。イノシシの牙や古銭などを連ねた重い数珠、イラタカ数珠は、祈祷のあいだ両手でこすり合わせて乾いた音を立てた。卜占には筮竹や算木が用いられ、儀礼用の剣や小さな鏡も携えた。それぞれの品には一回の儀礼のなかで定まった役割があり、道具を並べてみると、この習俗が「占い」という言葉から想像されるよりもずっと体系立った営みであったことがわかる。

本山・岩谷十八夜観音

習俗の核にあったのが、中山町の日月寺観音堂、岩谷十八夜観音である。古くから眼の神として信仰され、村山地方一円や遠方からも参詣者を集めた。眼を癒す観音と、目の見えない巫女たちの集団。この結びつきは、岩谷観音を本山と仰いだオナカマにとって特別な意味を持っていた。

観音堂の来歴は層をなしており、一部は伝承による。縁起では飛鳥時代の開基とするが、これは確証のあるものではない。拝殿は大同2年(807年)に再建されたとの言い伝えがある一方、現在建っているのは江戸中期と鑑定された建物で、本殿には文政9年(1826年)再建を記す棟札が残る。南西約1キロメートル、高峰山の山頂近くには「奥の院」と呼ばれる場所があり、その洞窟内には鎌倉から室町期と推定される宝篋印塔が残されている。この地での信仰が相応に古いことを示す手がかりである。

観音堂は今も信仰の場であり続けている。例祭は毎年8月18日で、燃える炭の上を渡って一年の無病息災を祈る火渡りの儀式が行われる。

951点の資料群

オナカマがこれほど具体的に理解できるのは、一つの体系的な資料群があるためである。岩谷十八夜観音をめぐる信仰の品々が集められ、整理され、昭和59年(1984年)5月22日、「岩谷十八夜観音庶民信仰資料」の名で重要有形民俗文化財に指定された。総数951点、管理団体は中山町である。

その内訳は、習俗そのものの目録のようでもある。トドサマ37点、梓弓22点、数珠36点、筮竹・算木23点、剣18点、外法箱7点、鏡205点、絵馬72点、祈願札389点、鰐口・鈴12点、その他およそ130点。巫女が用いたものと、信者が観音堂に奉納したものとが含まれており、信仰の双方の側がひとそろいで残された。記憶だけに頼らず、消えた民間信仰の仕組みを具体的な物として再構成できる資料となっている。

これらは現在、中山町立歴史民俗資料館に収蔵・展示されている。地方の巫女習俗の道具を一室にまとめて見ることのできる、日本でも数少ない場所の一つである。

今、現地を訪ねる

相談できるオナカマはもういない。だから現地を訪ねるとは、道具とその舞台を通してこの習俗に出会うことを意味する。出発点となるのは中山町立歴史民俗資料館で、指定資料は最上川の舟運資料や地域の農耕資料とともに展示されている。アクセスはわかりやすい。JR左沢線の羽前長崎駅から徒歩約5分、左沢線は山形駅から分岐する。車で訪れる場合の駐車場もある。

岩谷観音そのものも信仰の場として参拝でき、火渡りのある8月18日の例祭がもっともにぎわう時期にあたる。中山町は、河原の大鍋で里芋と肉を煮る秋の芋煮会の発祥地としても知られる。この地を訪れれば、地域の民間信仰と、山形を代表する季節の食とを無理なく一度に味わうことができる。

Q&A

Q今でもオナカマに会って口寄せをしてもらえますか。
Aできません。生きた習俗が終わりに近づいていたからこそ、1978年に記録すべき民俗として選定されました。現在、業を営むオナカマはいません。中山町立歴史民俗資料館で、道具や写真、解説パネルを通じて知ることができます。
Qオナカマとイタコはどう違うのですか。
A基本的に同じ系統の職能者で、地域による呼び名の違いです。青森ではイタコ、旧仙台藩領ではオガミサマ、福島ではミコサマ、山形ではオナカマと呼ばれました。いずれも多くは盲目の女性で、師匠について修行し、霊を呼び出す口寄せや卜占を行いました。
Qトドサマとは何ですか。
Aオナカマの守護神を納めた個人の聖具で、生涯にわたって携えられました。青森のイタコのオダイジに近く、その職分のしるしとなるものです。指定資料には37点が含まれています。
Qなぜ岩谷観音は眼と結びついているのですか。
A岩谷観音は古くから眼の病を防ぎ癒す神として信仰されてきました。みずから目の不自由だったオナカマにとって、この観音堂を本山とすることには特別な意味がありました。
Q岩谷観音の例祭はいつ見られますか。
A例祭は毎年8月18日で、無病息災を祈る火渡りの儀式が行われます。日程や内容は変わることがあるので、訪問を計画する際は事前に中山町へ確認してください。

基本データ

名称村山地方のオナカマ習俗(むらやまちほうのオナカマしゅうぞく)
地域山形県村山地方/本山は中山町の岩谷観音
区分記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
選定年月日昭和53年(1978年)12月8日
保護団体特定せず
記録『巫女の習俗Ⅵ(東北地方・山形県)』(無形の民俗文化財記録第50集、文化庁文化財部、平成18年)
関連文化財岩谷十八夜観音庶民信仰資料 951点/重要有形民俗文化財(昭和59年〔1984年〕5月22日指定、管理団体・中山町)
見学先中山町立歴史民俗資料館(山形県東村山郡中山町長崎6005)
開館時間10:00〜16:00(最終入場15:30)/月曜・年末年始(12月29日〜1月4日)休館
入館料大人100円、学生50円、子供30円(最新の料金は要確認)
アクセスJR左沢線・羽前長崎駅より徒歩約5分/駐車場あり

参考文献

文化遺産オンライン(NII/文化庁):村山地方のオナカマ習俗
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/136564
文化遺産オンライン:岩谷十八夜観音庶民信仰資料
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/136144
中山町:岩谷十八夜観音
https://www.town.nakayama.yamagata.jp/soshiki/kyoikuiinkai/shougaigakushuu/341.html
中山町:中山町の文化財
https://www.town.nakayama.yamagata.jp/soshiki/kyoikuiinkai/shougaigakushuu/156.html
やまがたへの旅:中山町立歴史民俗資料館
https://yamagatakanko.com/attractions/detail_2589.html

最終更新日: 2026.06.03