下小松古墳群 ― 米沢盆地を見下ろす丘に眠る202基の古墳
山形県下で確認されている前方後円墳の半数以上が、川西町の一つの丘陵地に集まっている。下小松古墳群である。米沢盆地の西縁、標高230~280メートルほどの低い丘に広がるこの古墳群は、大小あわせて202基の墳墓からなる。築かれたのは古墳時代、おおむね4世紀から6世紀にかけてのことだった。
古墳は丘陵に沿って六つのまとまりに分かれている。北から順に、陣が峰・永松寺・薬師沢・鷹待場・小森山・尼が沢の各支群である。このうち薬師沢・鷹待場・小森山の3支群、合計179基が、平成12年(2000年)9月21日に国の史跡に指定された。
遊歩道を歩くと、足もとの墳形が少しずつ違うことに気づく。円い円墳、四角い方墳、そして円い後円部に台形の前方部をつないだ前方後円墳。小森山支群だけで前方後円墳が19基を数え、これは県内に残るこの種の墳墓のおよそ半数にあたる。前方後方墳まで含めれば、群全体の前方後円(方)墳は21基にのぼる。
丘が語る古墳時代
下小松古墳群の墳丘は、長さにして10メートルから34メートルほど。奈良周辺、畿内の巨大前方後円墳と比べれば小ぶりだが、東北地方ではまとまった規模をもつ。築造は4世紀に始まり、およそ200年にわたって続いた。最盛期を迎えたのは古墳時代後期の6世紀である。
主な古墳の発掘調査では、副葬品が出土している。鉄製の刀・剣・鏃といった武器類、青銅鏡、ガラス製の玉、農具や工具、そして二種類の土器。やわらかく赤みを帯びた土師器と、朝鮮半島由来の技術で高温で焼き締めた灰色の須恵器である。
前方後円墳は、誰でも葬られる墓ではない。その墳形は一定の権力をもった人物と結びついており、それが東北のこの地に現れる意味は小さくない。被葬者たちは、畿内に興ったヤマト王権と何らかの関わりをもつ人々であったと考えられている。
下小松古墳群が重要とされる理由も、その点にある。米沢盆地は、ヤマト王権が勢力下に組み入れようとした領域の北辺に位置していた。古墳の密度の高さと、古墳時代を通じて途切れなく続いた築造の連続性は、南からの影響が東北に及び、根づいていく過程をそのまま地表に刻んだ記録といえる。
なぜ国の史跡に指定されたのか
文化庁が薬師沢・鷹待場・小森山の3支群を国の史跡に指定したのは、2000年9月のことである。指定基準は「貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡」。
指定を支えたのは、集中性と連続性という二つの性格だった。これほど多くの、しかも多様な墳形の古墳が一つの景観のなかにまとまる場所は、北日本でも数少ない。さらに4世紀から6世紀まで途切れることなく続いた首長層の埋葬の伝統を、この地はそのまま今日に残している。とりわけ前方後円墳が連なる小森山支群は、山形県にとどまらない地域史的な価値をもつ。古墳時代の社会秩序が日本列島の北辺でどう形づくられたかを知るうえで、下小松古墳群は土に書かれた一次資料にほかならない。
丘でのみどころ
下小松古墳群は決まった開館時間をもつ施設ではない。地元のボランティアによって手入れされた遊歩道が、丘の斜面を縫っている。歩くことが、この場所の体験そのものである。道はゆるやかに支群のあいだを登っていき、要所には主要な古墳を示す説明板が立つ。
まず訪ねたいのは、小森山支群のK36号墳。前方後円墳の輪郭が地形のなかにくっきりと読み取れる墳墓で、草に覆われた後円部のふくらみと、低く広がる前方部の対比が、図面で説明される墳形を実感させてくれる。
眺望を求めるなら、群の北東寄りにあるT41号墳へ。この古墳は展望台を兼ねており、山形県眺望景観資産の第2号に登録されている。平坦部との比高差はおよそ50メートル。墳頂に立つと、米沢盆地が眼下に広がる。耕しつくされた田園、防風林をめぐらせた散居集落、地平を縁取る蔵王連峰と吾妻連峰の稜線。明治11年(1878年)にこの盆地を旅した英国人イザベラ・バードが、ここを東洋の理想郷になぞらえたと地元では語り継がれている。
丘は歴史好きだけのものではない。長い年月、人の手が適度に加えられて守られてきた里山であり、その歴史が豊かな自然を育んだ。6月中下旬には、淡桃色のヒメサユリが斜面に咲く。準絶滅危惧種に挙げられる山形ゆかりのユリである。夏には、県の天然記念物に指定されたチョウセンアカシジミと、体長2センチほど、日本最小のトンボであるハッチョウトンボの姿も見られる。オスの鮮やかな赤が、浅い水辺でひときわ目を引く。
あわせて訪ねたい
古墳から出土した遺物は、丘の上には置かれていない。川西町交流館あいぱる内の埋蔵文化財資料展示館で展示されており、青銅鏡やガラス玉、鉄製品などを間近に見ることができる。散策の前後に立ち寄りたい。
川西町には、ゆったりした午後を過ごせる場所が点在する。観光ダリヤ園としては日本最大規模の川西ダリヤ園は、晩夏から秋にかけて色とりどりの花が咲き競う。町のフレンドリープラザには、川西町出身の劇作家・井上ひさし氏の蔵書を収めた遅筆堂文庫が置かれている。樽平酒造や小さな寺の千松寺も、足をのばせる範囲にある。
古墳群へのアクセスは車が便利だ。JR米坂線の羽前小松駅から車でおよそ10分、東北中央自動車道の米沢中央インターチェンジからは約35分。遊歩道の入口には5台ほどの無料駐車場があり、トイレも備えるが、冬季は閉鎖される。鉄道で訪れる人には、毎年6月に羽前小松駅から古墳群のヒメサユリ群生地までを歩く「ひめさゆりウォーク」もある。
Q&A
- 見学にはどのくらい時間がかかりますか。
- 指定3支群の主な遊歩道を一巡するなら、ゆっくり歩いて1~2時間ほどです。T41号墳の展望台まで足をのばす場合や、初夏に草花や昆虫を観察する場合は、もう少し余裕をみてください。
- 冬でも訪れることはできますか。
- 冬季は避けたほうがよいでしょう。米沢盆地は雪が深く、入口の駐車場も冬季は閉鎖されます。遊歩道も冬の散策に向けた整備はされていません。実際に歩けるのは晩春から秋にかけてです。
- 出土した遺物を見ることはできますか。
- はい。青銅鏡やガラス玉、鉄製武器など古墳から出土した資料は、川西町の交流館あいぱる内の埋蔵文化財資料展示館で展示されています。丘の上で見られるのは墳丘そのものです。
- ここの前方後円墳は何が特別なのですか。
- 前方後円墳は権力をもつ人物のための墳形で、山形県内にはそれほど多く残っていません。小森山支群には19基が集まり、これは県内のおよそ半数にあたります。東北初期の首長権力を考えるうえで、下小松古墳群は中心的な存在です。
- ヒメサユリはいつ咲きますか。
- 例年6月中下旬が見頃です。年によって時期は前後するので、訪問前に地元の情報を確認すると確実です。同じ時期は、チョウセンアカシジミやハッチョウトンボの観察にも適しています。
基本情報
| 名称 | 下小松古墳群(しもこまつこふんぐん) |
|---|---|
| 所在地 | 山形県東置賜郡川西町 |
| 指定区分 | 国指定史跡(平成12年〈2000年〉9月21日指定) |
| 時代 | 古墳時代(おおむね4~6世紀) |
| 規模 | 6支群あわせて202基。うち国指定は薬師沢・鷹待場・小森山の3支群179基。前方後円(方)墳は群全体で21基 |
| 墳丘の規模 | 長さ約10~34メートル |
| アクセス | JR米坂線・羽前小松駅から車で約10分。東北中央自動車道・米沢中央ICから約35分 |
| 駐車場 | 遊歩道入口に無料駐車場(5台ほど、トイレあり)。冬季閉鎖 |
| 備考 | ボランティアが整備する遊歩道のある丘陵で、見学は無料。出土資料は川西町交流館あいぱる内で展示 |
References
- 文化庁 国指定文化財等データベース「下小松古墳群」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/3267
- 川西町ホームページ「国指定史跡 下小松古墳群」
- https://www.town.kawanishi.yamagata.jp/kyoiku/bunka/kofun.html
- やまがたへの旅(山形県公式観光・旅行情報サイト)「下小松古墳群」
- https://yamagatakanko.com/attractions/detail_10464.html
- 未来に伝える山形の宝「下小松古墳群と希少な自然が織りなす里山の風景」
- https://www.yamagata-takara.com/takara/recommend/kawanishi-shimokomatsu
- やまがた景観物語「国指定史跡下小松古墳群から見る米沢盆地の眺め」
- https://keikan.pref.yamagata.jp/vp_058/
最終更新日: 2026.05.23