梵字と七星をまとう剣 上杉謙信の禡祭剣と伝わる一口
山形県米沢市の上杉神社に、戦うためには作られなかった剣がある。長さはわずか41.5センチほど。両刃の直剣で、刀身の表裏が金銀の象嵌で埋め尽くされている。表には七曜星の下に梵字46文字を金で、裏には梵字63字を金銀で象嵌する。曲刀の打刀とはまったく性格を異にする一口である。
銘はなく、製作年も記されない。様式から室町時代の作とされる。正式な指定名称は「剣〈無銘、身に梵字及七星の金銀象嵌がある〉」。名称そのものが、この剣の特異さを言い当てている。
七星とは北斗七星を指す。中国から伝わった星辰信仰では、北斗は人の寿命と運命、そして軍事の吉凶をつかさどると考えられ、武人は加護を求めて拝した。梵字は密教で用いる種子(しゅじ)であり、一字一字が仏尊を表す。北斗と梵字を併せ持つこの剣は、武器であるより先に祈りの器であった。
なぜ貴重なのか
七星を象嵌した剣は、わが国には数えるほどしか残っていない。最も名高いのは大阪・四天王寺に伝わる国宝の七星剣で、飛鳥時代の直刀に七星と瑞雲を金で象嵌し、聖徳太子の佩刀と伝えられる。ほかに正倉院宝物や法隆寺献納宝物の中に星文を施した例が知られる程度である。米沢の剣は、この少数の遺例に連なる。早くから国の保護対象とされたのも、その希少さゆえである。
指定の経緯にはやや込み入った事情がある。山形県の文化財台帳は大正6年(1917年)の指定を記し、文化庁の国指定文化財等データベースは昭和25年(1950年)8月29日を重要文化財指定日として載せる。前者は戦前の保護制度下での指定を、後者は現行の文化財保護法が施行された日に重要文化財へと引き継がれたことを指すと考えられる。いずれも同じ一口の、制度上の節目の違いを示している。現在の区分は重要文化財である。
刀身そのものは、その素性の半ばを隠している。地と刃は漆が塗られているため見えず、刀剣鑑賞で本来読み取るべき鍛えや刃文は確かめられない。確認できるのは茎(なかご)で、生ぶのまま先が尖り、目釘穴が一つ穿たれる。代わりに語るのは象嵌の文字で、表に46字、裏に63字という字数の積み重ねは、装飾ではなく意図された呪法の体系を思わせる。
見どころ
この剣は、上杉謙信の所用と伝わる。越後の戦国大名で、後世に軍神と称された人物である。謙信は武の守護尊である毘沙門天を篤く信仰し、その一字「毘」を旗印に掲げた。剣は謙信の禡祭剣(ばさいのつるぎ)として記憶されてきた。禡祭とは、軍がとどまる地で軍神を祭る儀礼を指す。名は戦闘ではなく、陣中での祭祀に用いられたことを示す。所用の伝えはあくまで伝承であり、銘がない以上それを裏づける確証はない。ただし、信仰と戦さを分かちがたく結んだ将の人物像には、よく釣り合う。
剣には専用の鞘が附属し、指定でも附(つけたり)として扱われる。漆工は金梨子地に仕立て、十二支を表裏に六支ずつ蒔絵で配した。歳月のうちに柄と、鞘の側面にあった栗形は失われている。欠を抱えてなお、この鞘は、神仏に捧げる剣をどれほど丹精して装ったかを示す。
剣を収めるのは、上杉神社の宝物殿である稽照殿(けいしょうでん)。常設展示ではない。稽照殿は約300点の収蔵品を入れ替えながら公開しており、その中には国の重要文化財が百数十点含まれる。この一口に出会えるかは時季と展示替えの巡り合わせ次第であるため、訪ねる前に開館・展示の予定を確かめておきたい。
周辺の見どころとアクセス
上杉神社は米沢城本丸の跡、松が岬公園の中に鎮座し、祭神に上杉謙信を祀る。境内は年間を通じて開門し、参拝は無料。堀と石垣、松並木と桜が城跡の縄張りを今に残す。稽照殿は境内から歩いてすぐで、建物は建築家伊東忠太の設計により大正12年(1923年)に竣工した、それ自体が登録有形文化財である。
徒歩四分ほどで米沢市上杉博物館に至り、国宝の上杉家文書と上杉本洛中洛外図屏風を収める。隣接する松岬神社は、藩政改革で知られる九代藩主上杉鷹山を祀る。米沢は牛肉でも名高く、公園周辺にはこれを供する店が並ぶ。
Q&A
- いつ訪ねても剣を見られますか。
- 常に見られるとは限りません。稽照殿は季節ごとに展示を入れ替えるため、この剣の公開は特定の期間に限られます。来訪前に展示予定をご確認ください。
- 剣と刀はどう違うのですか。
- 剣は両刃の直剣で、儀礼や密教との結びつきが古い形です。刀は片刃で反りのある武士の長刀を指します。本品は剣で、長さ41.5センチほどと短い造りです。
- 梵字には何の意味があるのですか。
- 梵字は悉曇(しったん)で書かれた種子で、一字ごとに仏尊を表します。北斗七星の象嵌とあいまって、剣を加護と祈りの器としています。
- 本当に上杉謙信の所用品ですか。
- 謙信の禡祭剣と伝えられますが、無銘のため確証はありません。毘沙門天を篤く信仰した謙信の人物像とは、この伝承はよく符合します。
- 上杉神社へはどう行けばよいですか。
- JR米沢駅から徒歩約15分、または市街地循環バスで約10分、「上杉神社前」下車すぐです。境内に隣接しています。
基本情報
| 名称 | 剣〈無銘、身に梵字及七星の金銀象嵌がある〉 附 十二支蒔絵鞘 |
|---|---|
| 区分 | 重要文化財(工芸品・剣) |
| 指定 | 大正6年(1917年)に戦前の制度下で指定、昭和25年(1950年)8月29日に現行の文化財保護法のもと重要文化財 |
| 時代 | 室町時代(1336年〜1573年) |
| 員数 | 1口 |
| 寸法 | 長さ約41.5センチ、両切刃造 |
| 所有者 | 上杉神社 |
| 所在地 | 山形県米沢市丸の内1-4-13 上杉神社 稽照殿 |
| 公開状況 | 稽照殿にて保管。開館は3月下旬〜11月25日、9時30分〜16時(最終入館15時45分)、一般700円。展示は入れ替え制で、本品の公開は時期による。 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/5972
- 山形の宝 検索navi(山形県文化財データベース)
- https://www.pref.yamagata.jp/cgi-bin/yamagata-takara/?m=detail&id=1054
- 上杉神社 稽照殿(宝物殿)公式サイト
- https://uesugi-keishoden.jp/
- 羽前米沢 上杉神社 公式サイト
- https://uesugi-jinja.or.jp/
- 文化遺産オンライン 七星剣(四天王寺)参考
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/148428
最終更新日: 2026.06.18