附指定から独立した一巻
令和5年(2023)6月27日、一巻の絵巻が重要文化財に指定された。長さおよそ16.2メートル、紙に墨と淡い彩色をほどこした四季山水図である。それまで60年以上にわたり、この絵巻は国宝の価値を補強する添え物、すなわち「附指定」として登録されてきた。今回の指定は、それを単独の作品として正式に認め、あわせて作者の名も書き改めるものだった。
筆者は雲谷等益(1591〜1644)、雲谷派の二代目である。制作は江戸時代の初め、寛永のころと考えられる。所有は公益財団法人毛利報公会で、山口県防府市の毛利博物館に収められている。寸法は縦39.2センチ、長さ1622.1センチ。これは、この絵巻が手本とした作品の寸法とほぼ重なる。
正式名称は「紙本墨画淡彩四季山水図〈雲谷等益筆/(雪舟作副本)〉」。雪舟の作の副本という最後の一語に、研究者を長く悩ませた問いが凝縮されている。
手本となった一巻
副本の価値を知るには、まず本となった作品を見ておきたい。雪舟等楊(1420〜1506)は、室町水墨画の頂点に立つ禅僧の画家である。京都の相国寺で修行し、明に渡って中国の山水画を学び、晩年は周防・長門、いまの山口県を拠点に制作を続けた。文明18年(1486)、67歳の年に完成させたのが、通称「山水長巻」と呼ばれる長大な絵巻だった。春に始まり冬に閉じる四季の景観が、巻を追って次々に展開する。これが国宝に指定され、防府の毛利家に代々受け継がれてきた。
雪舟の没後およそ一世紀、毛利輝元は、原直治という絵師に雪舟の旧居「雲谷庵」と「山水長巻」を与え、雪舟流の正統を継ぐよう命じた。直治は雲谷等顔(1547〜1618)と名を改め、この拝領を核として一派を起こす。雪舟のアトリエと代表作を所持していること、それ自体が画派の正統性の根拠となった。「山水長巻」は単なる収蔵品ではなく、雲谷流の画法が流れ出す源、門外不出の画本として扱われたのである。
等益は等顔の子で、雲谷派の二代目にあたる。みずから「雪舟四代」を称した。父よりも明るく均衡のとれた、幾何学的とも評される画風をもち、技術の面では早くに父をしのいだといわれる。本作はその等益の手になる。
一つの図様を二度用いる
作者を等益とみる根拠は、絵巻に添えられた一文にある。等益の死後、正保3年(1646)、僧の天祐紹杲が、等益の次男・等爾の依頼を受けて跋を記した。この文章を、画風の検討や等益筆の模本に関する記録とつき合わせることで、作品の来歴が読み直された。
そこから浮かび上がるのは、静かな家の戦略である。原本の「山水長巻」は、長男・等与が相続した。等与は本家を継ぎ、のちにみずから「雪舟五代」を名乗っている。一方、この副本は次男・等爾に与えられた。つまり等益は、画派の秘伝の画本を実寸で写しとり、分家にも本家に準じる宝を持たせようとしたのである。等爾が天祐紹杲に依頼した跋は、この取り決めを補強し、副本に独自の格を与えるものだった。等与・等爾の兄弟が異例にも同時に法橋に叙せられたことも、こうした構図とよく符合する。
副本が単独で評価された理由はここにある。近世の画派が創設の手本をどのように継承し、その過程で分家をどう支えたのか。これほど具体的に示す作例は多くない。本作は、一つの工房における系譜・所持・教授のあり方を残す稀有な記録であり、後世が雪舟をいかに受け止め、用いたかを考えるうえでの手がかりでもある。2023年までは等顔の筆とされてきたが、精査の結果、筆者は等益に改められ、原本の影から引き出された。
等益の筆が示すもの
忠実な写しとはいえ、機械的な複製ではない。求められたのは、16メートルにおよぶ雪舟の構図を、季節の運びごと正確に再現することであり、本作はその枠組みを保っている。それでいて、筆づかいには等益らしさがはっきり出る。雪舟の筆がときに張りつめた緊張をはらむのに対し、等益はより堅固な構成と、冷静で整然とした形態感覚に向かう。独立した作品にも通じる、あの幾何学的な明快さである。専門家がこの絵巻を高く評価するのは、この二重性、すなわち手本に忠実でありながら一個の絵画として自立している点にある。
訪れる者にとっての楽しみは、比べて見ることだろう。展示の機会があれば、17世紀の画家が15世紀の巨匠をどう読み解いたか、どこを正確になぞり、どこで自身の気質が前に出たかをたどることができる。初公開の折にそうであったように、国宝の原本と並べて眺めれば、二巻の絵巻は二百年を隔てた対話となる。
防府で見る
毛利博物館は、萩(長州)藩主であり近代には公爵の地位にあった毛利家の旧本邸を公開したものである。20世紀初めに完成した本邸は平成23年(2011)に重要文化財に指定され、これを囲む庭園は平成8年(1996)に国の名勝となった。敷地はおよそ8万4千平方メートル。松並木の道、芝生、大きな池が広がり、一度の訪問で収蔵品・邸宅・庭園をあわせて巡ることができる。
ただし、最も注意したい点が一つある。本作は長大で傷みやすいため、常設展示はされていない。公開はおりおりの特別展に限られ、初めて人前に出たのは2023年の秋、ほかの新指定の雲谷派作品とともにであった。この絵巻、あるいは雪舟の原本を目当てに足を運ぶなら、事前に展示の予定を確かめておきたい。開館は9時から17時(入館は16時半まで)で、年末は休館となる。JR防府駅から防長バスで約6分、阿弥陀寺行きに乗り「毛利本邸入口」で下車する。学問の神をまつる古社・防府天満宮も近く、博物館とあわせて訪ねるのにちょうどよい。
Q&A
- 毛利博物館に行けば、いつでもこの絵巻を見られますか。
- いいえ。長大で光に弱い絵巻のため、常設展示はされておらず、公開はおりおりの特別展に限られます。初公開は2023年秋でした。これを目当てに訪ねる場合は、事前に展示予定をご確認ください。
- これは雪舟の有名な絵巻と同じものですか。
- いいえ。本作は雲谷等益による実寸の写しです。原本は雪舟が文明18年(1486)に描いた「山水長巻」で、国宝に指定され、同じく毛利博物館が所蔵しています。
- 写しがなぜ文化財に指定されるのですか。
- 単なる模写にとどまらないためです。雲谷派が創設の手本をどう継承し、分家に同等の宝を持たせたかを示す資料であり、かつ等益自身の筆になる優れた絵画でもあります。作者を等顔から等益に改める研究を経て、2023年に単独指定されました。
- 雲谷派とはどのような画家たちですか。
- 雲谷等顔を祖とする水墨画の一派です。等顔は毛利家から雪舟の旧居と代表作を与えられ、雪舟流の正統を継ぐと称しました。代々毛利家の絵師を務め、萩を拠点に江戸後期まで続きました。
- 毛利博物館へはどう行けばよいですか。
- 山口県防府市にあり、JR山陽本線・防府駅からバスで約6分です。防長バスの阿弥陀寺行きに乗り「毛利本邸入口」で下車します。邸宅と庭園は年末を除き通年公開されています。
基本情報
| 名称 | 紙本墨画淡彩四季山水図〈雲谷等益筆/(雪舟作副本)〉 |
|---|---|
| 指定区分 | 重要文化財(絵画) 令和5年(2023)6月27日指定 |
| 作者 | 雲谷等益(1591〜1644) 雲谷派二代 |
| 時代 | 江戸時代(17世紀前半) 原本は文明18年(1486) |
| 員数・形状 | 1巻 紙本墨画淡彩 巻子装 |
| 寸法 | 縦39.2センチ 長1622.1センチ(約16.2メートル) |
| 所有者 | 公益財団法人毛利報公会(毛利博物館) |
| 所在地 | 山口県防府市多々良 |
| 公開 | 特別展での公開に限る(常設展示なし) |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/00011988
- 防府市 公益財団法人毛利報公会の絵画が国の重要文化財に指定されました
- https://www.city.hofu.yamaguchi.jp/soshiki/40/mourihakubutukan-sitei.html
- 毛利博物館(公式サイト)
- https://mohri-museum.com/
- 毛利氏庭園・毛利博物館(山口県観光サイト)
- https://yamaguchi-tourism.jp/spot/detail_14783.html
- 山口県の文化財 紙本墨画淡彩四季山水画 雪舟筆
- https://bunkazai.pref.yamaguchi.lg.jp/sp/bunkazai/summary.asp?mid=40001
最終更新日: 2026.06.13