慶長11年、家康が建て直した門

恵林寺四脚門は、山梨県甲州市塩山小屋敷の臨済宗妙心寺派乾徳山恵林寺にある慶長11年(1606年)建立の門で、明治40年(1907年)8月28日に指定を受けた重要文化財である。員数は1棟、構造は四脚門、切妻造、檜皮葺。指定番号は00452、附指定はない。

四脚門という呼称は架構の説明そのものだ。棟を受ける本柱2本の前後に、控柱を2本ずつ計4本添える形式で、寺院や邸宅の脇門に古くから広く用いられてきた。この門を他と分けているのは色である。柱は鮮やかな朱に塗られ、恵林寺の境内で「四脚門」と呼ぶ人はほとんどいない。通称は赤門。門上には山号「乾徳山」の額が掲げられている。背後にそびえる乾徳山からとった山号である。

明治40年の指定は古社寺保存法に基づく特別保護建造物としてのもので、山梨県内の建造物指定としてはかなり早い部類に入る。現在重要文化財となっている県内の社殿の多くより先んじていた。昭和46年(1971年)には解体修理が行われている。

1606年という年代が持つ意味―焼失と再建の間で―

恵林寺の開創は元徳2年(1330年)。二階堂貞藤(道蘊)が自邸を寄進し、夢窓疎石を開山に迎えたことに始まる。夢窓の作庭と伝わる庭園は上段を枯山水、下段を池泉回遊式とする二段構えで、乾徳山を借景に取り込み、国の名勝に指定されている。永禄7年(1564年)、武田信玄が当寺を菩提寺と定めた。天正4年(1576年)、遺言に従った三年の秘喪を経て、快川紹喜を導師として信玄の葬儀が営まれている。

転機は天正10年(1582年)の春に訪れた。三月、武田勝頼が天目山下に自刃して甲斐武田氏は滅亡する。四月三日、恵林寺は織田勢の焼き討ちを受けた。住持の快川紹喜は百余人の僧とともに炎のなかで没し、そのとき残したとされる句が今日まで繰り返されている。安禅必ずしも山水を須いず、心頭滅却すれば火も自ら涼し。もとは唐代の詩の一節で、宋代以降は禅語として流通していた言葉だが、日本ではこの日以降、快川の名と不可分になった。

二か月後、織田信長は本能寺に斃れる。甲斐を掌握した徳川家康は恵林寺の復興に着手し、四脚門はその再興事業のなかで建てられた。この一点が、門を単に美しい建築以上のものにしている。恵林寺は明治38年(1905年)にも火災に見舞われ、本堂と大庫裡を失った。現在の本堂・庫裡は明治末期の再建である。慶長11年の四脚門は、家康による再興当初の姿を保つ唯一の遺構として境内に立っている。

記録について一点補足しておく。地元の案内やガイドブックのなかには、赤門だけは天正10年の兵火を免れたと記すものがある。文化庁のデータベースと恵林寺自身の説明はいずれも建立を1606年とし、焼失後の再建として扱っており、本稿もその理解に従った。

参道の歩き方

総門をくぐり、杉並木の参道に入る。赤門はその途中に現れ、そのまま通り抜けることになる。ここが実用面で重要な点で、四脚門は拝観受付の手前、無料で立ち入れる区域に建っている。時間を問わず、料金も要さずに見学し、撮影し、くぐることができる。

くぐるときは見上げてほしい。組物は桃山期の寺院建築としてはむしろ簡素で、その抑制は意図されたものだろう。効いているのは比例と、杉の暗い幹を背にした一色の朱である。

門の先には三門が控える。快川らが没した場所そのものに建てられたと伝わる県指定文化財で、快川の遺偈が掲げられている。その奥が甲州市指定の開山堂。堂内には夢窓疎石、快川紹喜、そして家康の命で恵林寺再興にあたった末宗瑞曷の三像が安置されている。庭園、踏むと音の鳴るうぐいす廊下、信玄の墓所は拝観区域の内側にある。

拝観情報を整理しておく。拝観時間は午前8時30分から午後4時30分、年中無休。庭園と堂内の拝観料は大人500円、小中高生300円で、庫裡入口で支払う。宝物館は12月から3月の木曜が閉館。信玄の墓所は月命日にあたる毎月12日に公開される。駐車場は無料で普通車約50台分。JR塩山駅南口から西沢渓谷行きのバスで「恵林寺前」下車、約15分。タクシーなら約3.7キロメートル、1,600円程度が目安となる。車では中央自動車道勝沼インターチェンジから20分ほど。料金や時間は変わりうるので、訪問前に公式サイトで確認しておきたい。

Q&A

Q恵林寺四脚門を見るのに拝観料は必要ですか。
A不要です。四脚門は総門と三門の間の参道上、拝観受付の手前に建っており、自由に見学・撮影・通行ができます。拝観料500円が必要なのは庭園、本堂内部、うぐいす廊下などの区域です。
Q恵林寺四脚門はなぜ赤門と呼ばれるのですか。
A柱が朱で塗られているためです。訪れた人がまず目を留めるのがこの色で、通称として定着しました。正式名称の四脚門は、本柱2本の前後に控柱を4本添える架構形式を指す用語です。
Q恵林寺四脚門は織田信長の焼き討ち以前から残る門ですか。
Aいいえ。文化庁のデータベースは現在の門を慶長11年(1606年)の建立とし、天正10年(1582年)の焼失後に徳川家康が再興した際のものとしています。兵火を免れたとする地元の説もありますが、公的記録は再建として扱っており、家康再興期の遺構としては唯一現存する建物です。
Q恵林寺の拝観時間・拝観料とアクセスを教えてください。
A拝観時間は午前8時30分から午後4時30分、年中無休。拝観料は大人500円、小中高生300円です。所在地は甲州市塩山小屋敷2280。JR塩山駅南口から西沢渓谷行きバスで「恵林寺前」下車、約15分。中央自動車道勝沼インターチェンジからは車で約20分、駐車場は無料です。
Q恵林寺四脚門のほかに境内で見るべきものは何ですか。
A快川紹喜の遺偈を掲げる県指定文化財の三門、甲州市指定の開山堂、夢窓疎石の作庭と伝わる国名勝の庭園、そして毎月12日に公開される武田信玄の墓所が挙げられます。

基本データ

名称恵林寺四脚門(えりんじしきゃくもん)/通称 赤門
所在地山梨県甲州市塩山小屋敷2280
指定区分重要文化財(指定番号 00452)
指定年明治40年(1907年)8月28日
員数1棟(附指定なし)
寸法四脚門、切妻造、檜皮葺。全体寸法は文化庁データベースに記載なし
所有者恵林寺(臨済宗妙心寺派)
公開状況参道上にあり随時無料で見学可。庭園・堂内の拝観は8時30分から16時30分、大人500円

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)/恵林寺四脚門
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/850
乾徳山恵林寺 公式サイト/文化財
https://erinji.jp/property
乾徳山恵林寺 公式サイト/恵林寺の歴史
https://erinji.jp/history/erinji
乾徳山恵林寺 公式サイト/拝観案内・アクセス
https://erinji.jp/information
甲州市公式観光サイト/恵林寺
https://www.koshu-kankou.jp/map/m4938.html

最終更新日: 2026.08.11