浜松千鳥図鐔〈銘安親〉 ― 手のひらの鉄に刻まれた浜辺
裏面に切られた銘はわずかに二字、「安親」とある。にぎりこぶしよりやや広い程度の丸い鉄の鐔(つば)に、潮風に傾いた松が低い汀(みぎわ)へと枝を伸ばし、刀身を通す孔の上には数羽の千鳥が散る。これが浜松千鳥図鐔、昭和三十年に重要文化財へ指定された一枚の刀装具である。
鐔とは、刀身と柄(つか)のあいだに挟まれる金具をいう。柄を握る手が刃のほうへ滑り出るのを防ぎ、刀全体の重心を整える役割を負うが、泰平が続いた江戸時代の中ごろには、もう一つの性格が加わっていた。金工が自らの技量のすべてを示すための、小さな画面である。題名に置かれた二語が、この一枚に彫り出された情景をそのまま指している。浜松は浜辺に生い茂る松、千鳥は波打ち際を駆ける小さな海鳥。両者を取り合わせた図様は、和歌の世界で古くから親しまれてきた、潮の香りと冬の気配を含む浜辺の景である。
作者の土屋安親は、日本が生んだ装剣金工のなかでも屈指の名手に数えられる。この鐔を手に取ることは、一幅の風景画を手のひらの広さに収め、鉄に打ち込んだものを手に取ることに等しい。
武士の身分を捨てて鏨を執った金工
安親は寛文十年(一六七〇年)、出羽国田川郡の鶴ヶ岡城下、すなわち現在の山形県鶴岡市に、庄内藩士・土屋忠左衛門の子として生まれた。はじめは同地の金工で正阿弥(しょうあみ)派の佐藤珍久(よしひさ)に彫金を学び、やがて藩士という身分を捨ててこの道を本業とし、師の娘を妻に迎えている。
三十四歳のとき、妻子を故郷に残して江戸へ上り、奈良辰政(たつまさ)の門に入った。その名声は江戸で急速に高まる。正徳年間には奥州守山藩主・松平頼貞に二十人扶持という破格の待遇で召し抱えられたが、享保年間にその職を辞して、江戸神田に自らの店を構えた。晩年まで制作を続け、延享元年(一七四四年)、七十四歳で世を去っている。
その名は、ふつう二人の金工とともに語られる。奈良利寿、杉浦乗意と並んで、奈良派を頂点に押し上げた「奈良三作」の一人に数えられるのである。同時に安親は、特定の武家ではなく町方の需要にこたえて制作した独立の職人たち、すなわち「町彫(まちぼり)」の系譜に属し、そのなかでも横谷宗珉と並ぶ代表的な存在とされる。鐔、小柄(こづか)、縁頭(ふちがしら)にわたって彼に帰される作を貫いているのは、金属の表面に向けられた絵師の眼である。
重要文化財に指定された理由
この鐔は昭和三十年(一九五五年)二月二日、工芸品の区分で国の重要文化財に指定された。重要文化財とは、歴史上または芸術上の価値が高いと判断された美術工芸品などに与えられる国の指定である。公式の記録は簡潔で、員数は一枚、材は鉄、時代は江戸、作は安親、とあるにとどまる。
意義は、その作り方にある。それ以前の鐔は、地を透かした輪郭や反復する文様にとどまることが多かった。安親をはじめとする町彫の金工は、この小さな円板を、絵師が絹本の上に構図を立てるのと同じように、絵を構成するための面として扱った。彼は装剣金工のほぼすべての技法を手中にしていたと記録される。地から形を高く起こす高彫、軟らかい金属を嵌(は)め込む象嵌、金銀や銅合金で色を加える色絵、筆の運びのような肥痩(ひそう)を片刃の鏨で描き出す片切彫、そして細い毛彫である。なかでも鉄を好み、無骨で扱いにくいこの素材から、雅趣に富む気韻を引き出す手腕で賞された。
この種の鐔は、たまたま絵を載せた装飾金具ではない。絵こそが主題であり、鉄はその墨にあたる。
図様を読む
松と千鳥という主題は、偶然に選ばれたものではない。海風にしなう浜の松と、寒い渚に鳴く千鳥は、幾世紀もの和歌のなかで、孤独や年の移ろい、陸と海の出会う境を指し示す約束ごととして繰り返されてきた。安親の時代の人ならば、図を一目見ただけでこの主題を読み取り、その背後にある歌々を思い浮かべたであろう。
近づいて見れば、構図はその労に報いる。図様は左右の釣り合いをとらず、中心を外して据えられているため、視線は鉄の上を、広い水面を渡るように移っていく。地のままの鉄が海となり、また空となって、高く起こされた松と小さく明るい鳥が、ふたたび視線を引き戻す。彼の鉄鐔に見られるとおり控えめに用いられた色金は、絵において顔料の一筆が落ちる位置で、光を受ける。
これほどの寸法で作られた物の前では、足を止めてゆっくり眺めたい。作り手の意図のすべてが数センチのうちに収まり、丁寧に読むほどに、その世界はかえって大きく感じられてくる。
安親の手わざに出会える場所
この鐔は建造物や安置された仏像ではなく、小さな収蔵品であるため、常時公開されているわけではなく、旅行者がたずねていけば必ず見られるという性質のものではない。記録のうえでも所在は一様ではない。国指定文化財等データベースは所在地を東京都として登録するが、目録によっては山梨県と結びつけて記すものもある。いずれにせよ、安親に出会う現実的な道は、彼の別の作を所蔵し、入れ替えながら公開する美術館を通じてである。
東京の根津美術館は、彼に帰される漆の硯箱を収蔵し、その技量が装剣具の枠を超えていたことを示す。同じく東京の静嘉堂文庫美術館は、晩年に「東雨」と銘した鉄鐔の一面を所蔵する。東京国立博物館は刀装具を多数収め、随時その一部を展示替えしながら公開している。日本刀の世界そのものに惹かれるなら、静岡県三島市の佐野美術館が、刀身と刀装をあわせて見るうえで国内有数の場所であろう。
作者その人に最も近づくには、彼の生地である鶴岡まで北上したい。同地の致道博物館は、はじめて彼の手に鏨を握らせた庄内地方の金工の伝統を保存している。刀装具は繊細で、展示は入れ替え制であるため、訪れる前に各館の開催中の展示を確かめておくとよい。
Q&A
- 鐔とは何ですか。
- 日本刀の刀身と柄のあいだに取り付けられる金具です。手を守り、刀の重心を整える役目を負いますが、江戸時代以降は、それ自体が独立した美術品として珍重されるようになりました。
- 「浜松千鳥」とはどういう意味ですか。
- 鐔に彫られた図を指します。浜松は浜辺の松、千鳥は波打ち際の小鳥です。この取り合わせは、風の吹きつける冬の渚を表す和歌の定型的な景物として知られます。
- 安親とはどのような人物ですか。
- 土屋安親(一六七〇〜一七四四)は、出羽国鶴岡に生まれた装剣金工です。武士の身分を捨てて金工の道に進み、江戸で活動し、奈良派の三名手「奈良三作」の一人に数えられます。
- いつ重要文化財に指定されましたか。
- 昭和三十年(一九五五年)二月二日、国の工芸品の区分で指定されました。
- この鐔そのものを見ることはできますか。
- 常設展示される性質のものではないため、原則として見ることは難しいです。安親の同種の作を見るなら、静嘉堂文庫美術館、根津美術館、東京国立博物館が手がかりになります。
基本情報
| 名称 | 浜松千鳥図鐔〈銘安親〉 |
|---|---|
| 指定区分 | 重要文化財(工芸品) |
| 指定年月日 | 昭和三十年(一九五五年)二月二日 |
| 員数 | 一枚 |
| 時代 | 江戸時代 |
| 作者 | 土屋安親(一六七〇〜一七四四) |
| 材質 | 鉄地、彫金・象嵌を施す |
| 所在地(記録) | 国指定文化財等データベースでは東京都として登録。目録により山梨県と記す場合もある。常設公開はされていない。 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)― 浜松千鳥図鐔〈銘安親〉
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/5648
- 文化遺産オンライン(文化庁)― 浜松千鳥図鐔〈銘安親〉
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/164545
- 土屋安親 ― コトバンク
- https://kotobank.jp/word/土屋安親-99296
- 刀装具の名工 ― 刀剣ワールド
- https://www.touken-world.jp/tips/14761/
- 刀剣・金工 ― 静嘉堂文庫美術館
- https://www.seikado.or.jp/collection_index/collection04/
最終更新日: 2026.06.14