岩下温泉旅館旧館 ― 甲州最古の源泉が息づく明治の登録有形文化財

山梨県山梨市の静かな農村地帯、ぶどう畑と桃畑に囲まれた一角に、岩下温泉旅館旧館は佇んでいます。2016年(平成28年)2月に国の登録有形文化財(建造物)に登録されたこの伝統的な木造建築は、1,300年以上の歴史を持つ甲州最古の温泉の記憶を今に伝える貴重な建造物です。

なお、岩下温泉旅館は2024年(令和6年)10月末をもって営業を終了しています。しかし、旧館の建物は登録有形文化財として、その歴史的・建築的価値を保ち続けています。周辺地域には古墳群や神社、果樹園など、見どころが数多くあります。

1,300年以上の歴史を持つ霊泉

岩下温泉は、山梨県(旧甲斐国)で最も古い温泉として知られています。旅館のすぐ隣には走湯(そうとう)神社が鎮座し、医薬の神・少名彦命が祀られています。金峰山を本宮とする金櫻神社の縁起にこの走湯神社の記載があることから、岩下温泉の歴史は少なくとも1,700年以上前にまで遡るとされています。

江戸時代に編纂された『甲斐国志』にも「岩下の地に霊泉あり」との記述があり、古くからその存在が知られていたことが確認できます。また、戦国時代には甲斐の名将・武田信玄の「隠し湯」のひとつとしても伝えられており、歴史ロマンに満ちた温泉です。

旧館の建築的特徴

旧館は明治8年(1875年)頃に建てられ、昭和17年(1942年)頃に玄関棟が増築されました。木造2階一部地下1階建、瓦葺の建物で、建築面積は約159平方メートルです。

建物はL字型に配置されており、奥の東西棟が温泉棟、その前方に直交して玄関棟があります。温泉棟は2階建で、地下部分に源泉浴場を備えているのが最大の特徴です。増築された玄関棟も2階建で、2階には瀟洒な座敷が設けられていました。

屋根の鬼瓦には「湯」や「温泉」の文字が刻まれており、温泉旅館としての歴史を物語る味わい深い意匠が残されています。建物全体が伝統的な和風建築の様式を忠実に守っており、温泉地の歴史的景観に欠かせない存在として高く評価されています。

登録有形文化財に登録された理由

岩下温泉旅館旧館が2016年2月25日に登録有形文化財に登録された理由は、伝統的な和風建築として温泉地の歴史的景観を構成する重要な建造物であることが認められたためです。文化庁の評価によれば、明治期の温泉建築の特徴をよく残した木造建築であり、特に半地下構造の源泉浴場は、明治・大正期の温泉施設に特有の貴重な建築様式です。

このような半地下式の浴場は、地下に湧き出る源泉に直接浸かるという古来の入浴文化を建築的に体現したもので、現存する例は極めて少なく、日本の温泉文化史上きわめて貴重な遺構といえます。

神秘的な半地下の霊泉浴場

旧館で最も注目すべき空間は、半地下に位置する源泉浴場「霊湯」でした。廊下の奥から狭い階段を降りると、低い木造天井と石壁に囲まれた浴場が広がります。その空間は時が止まったかのような静寂に包まれ、訪れる人々に深い感銘を与えてきました。

源泉は約28℃の冷泉で、泉質はアルカリ性単純温泉(低張性・アルカリ性・低温泉)に分類されます。自然湧出による源泉かけ流しで、加温せずそのまま利用されていました。古くから「病を治す温泉」として地域の人々に親しまれ、浴場の一角には湯権現様の祠が安置されていました。

共同浴場から温泉旅館へ

岩下温泉は長い間、地域の共同浴場として住民に利用されてきました。明治の初め頃、地元の宮本近吉が温泉の権利を譲り受け、温泉旅館として開業したことが、旅館の始まりとされています。共同浴場から個人経営の旅館への転換は、温泉の歴史の新たな一章を開くものでしたが、その後も地域コミュニティとの深い結びつきは保たれ続けました。

後年は旧館と新館に分かれて運営され、旧館は主に日帰り入浴施設として、新館が宿泊施設として利用されていました。宿泊客は夜間に旧館の浴場を貸切で利用することもできました。囲炉裏の間での食事では、自家製ほうとう鍋を中心とした甲州会席が提供され、山梨の食文化を堪能できる宿としても親しまれていました。

周辺の見どころ ― 古墳群と果樹の里

岩下温泉の周辺は、文化的にも自然環境としても見どころの多いエリアです。旅館の西隣にそびえる走湯神社は、古墳時代後期(6世紀後半〜7世紀初頭)に築かれた天神塚古墳の上に建てられており、大型の横穴式石室が残されています。このほかにも、牧洞寺古墳をはじめとする岩下古墳群(計5基)が周辺に点在し、考古学的にも興味深い地域です。

周囲にはぶどう畑や桃畑が広がり、山梨県を代表する果樹園地帯の風景を楽しむことができます。季節に応じて、桃(6〜8月)、ぶどう(8〜10月)、さくらんぼ(5月下旬〜6月)、いちご(12〜5月)などのフルーツ狩りを楽しめるのも、この地域ならではの魅力です。

また、車で数分の距離にある笛吹川フルーツ公園は、甲府盆地と富士山を一望できる高台に位置し、「新日本三大夜景」にも選定されています。果樹園や遊具施設、レストランを備えた大型公園で、家族連れにもおすすめの観光スポットです。山梨県は日本ワイン発祥の地でもあり、周辺には多数のワイナリーが点在しています。

アクセス情報

岩下温泉は山梨市上岩下地区に位置しています。最寄り駅はJR中央本線の春日居町駅で、徒歩またはタクシーでアクセスできます。JR山梨市駅からは車で約5分、JR石和温泉駅からは車で約10分です。東京方面からは中央自動車道を利用し、勝沼ICから約25分、一宮・御坂ICから約20分で到着します。JR新宿駅から特急かいじ号でJR山梨市駅まで約90分です。

Q&A

Q岩下温泉旅館旧館とはどのような建物ですか?
A明治8年(1875年)頃に建てられた木造2階一部地下1階建の伝統的和風建築で、2016年に国の登録有形文化財に登録されました。1,300年以上の歴史を持つ甲州最古の源泉を備え、半地下構造の浴場が特徴的です。なお、旅館は2024年10月末に営業を終了していますが、建物は文化財として残されています。
Qなぜ登録有形文化財に登録されたのですか?
A伝統的な和風建築として温泉地の歴史的景観に欠かせない存在であること、明治・大正期の温泉建築に特有の半地下式浴場を残す希少な建造物であることなどが評価され、登録されました。
Q岩下温泉旅館は現在も営業していますか?
A2024年(令和6年)10月末をもって営業を終了しています。しかし、旧館は登録有形文化財として存続しており、周辺には走湯神社や岩下古墳群、果樹園やワイナリーなど、訪れる価値のある見どころが豊富にあります。
Q岩下温泉の泉質はどのようなものですか?
Aアルカリ性単純温泉(低張性・アルカリ性・低温泉)に分類されます。源泉温度は約28℃の冷泉で、自然湧出によるかけ流しです。古来より「病を治す温泉」として親しまれ、武田信玄の隠し湯としても伝えられています。
Q周辺にはどのような観光スポットがありますか?
A走湯神社(天神塚古墳上に鎮座)、岩下古墳群、笛吹川フルーツ公園(新日本三大夜景)、各種果物狩り農園、地元ワイナリー、昇仙峡などが近隣にあります。四季を通じて山梨の自然と文化を楽しめるエリアです。

基本情報

名称 岩下温泉旅館旧館(いわしたおんせんりょかんきゅうかん)
文化財指定 登録有形文化財(建造物)/登録年月日:2016年(平成28年)2月25日
建築年代 明治8年(1875年)頃(温泉棟)/昭和17年(1942年)頃増築(玄関棟)
構造 木造2階一部地下1階建、瓦葺、建築面積159㎡、1棟
泉質 アルカリ性単純温泉(低張性・アルカリ性・低温泉)、源泉温度約28℃、自然湧出
所在地 〒405-0034 山梨県山梨市上岩下1055
アクセス JR山梨市駅より車で約5分/JR石和温泉駅より車で約10分/中央道勝沼ICより約25分/中央道一宮・御坂ICより約20分
現在の状況 旅館は2024年10月末に営業終了。旧館は登録有形文化財として存続。

参考文献

岩下温泉旅館旧館 — 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/220824
岩下温泉 — Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E4%B8%8B%E6%B8%A9%E6%B3%89
岩下温泉旅館 旧館 — 富士の国やまなし観光ネット
https://www.yamanashi-kankou.jp/kankou/stay/iwashita_onsen.html
国指定文化財等データベース — 文化庁
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00000489
【岩下温泉旧館】明治の半地下浴室と山梨最古の温泉 — あずさ@訪問記 (note.com)
https://note.com/azusa183/n/n5a52aef83404

最終更新日: 2026.03.25