主家の紋を散らした一枚の鉄
縦8.3センチ、横8.2センチ。手のひらに収まるほどの鉄の板が、十花形の輪郭をとっている。縁には十の小さな円文がめぐり、桜花と九曜紋が交互に透かし彫りされ、その切り口に細い金が布目象嵌で入る。茎を通す中央の孔の左には、金象嵌で「又七」の二字。これが重要文化財「紋散透鐔」、肥後金工の祖とされる林又七の作と認められた一枚である。今は山梨県の個人が所蔵している。
鐔は刀の柄と鞘の境にあって、握る手を守る金具である。同時に、江戸時代には持ち主の好みや家柄を映す小さな画面でもあった。この鐔は、所有者の家を二重に名乗っている。
鉄砲鍛冶から鐔工へ
林又七の出発点は、鐔の鍛冶場ではなかった。一族は尾張の出で、父は鉄砲鍛冶を生業としていた。加藤清正が技ある職人を肥後(現在の熊本)へ招くと、林家もそこで藩のための鉄砲を作る。又七自身も、はじめは重吉と名乗り鉄砲を鍛えていた。生まれは慶長18年(1613年)とする説が広く採られるが、慶長10年とみる見方もある。
転機は寛永9年(1632年)、加藤家の改易だった。肥後に入った細川家が、残された職人たちを抱える。又七も細川家に仕え、鉄砲から刀装具へと仕事を移した。この転身が、87歳まで続いたとされる長い後半生を決めた。一族が熊本近郊の春日村に住んだことから、又七を祖とする家系は春日派と呼ばれる。平田・西垣・志水の三家とともに、肥後金工の四大派をなす林家である。
又七の作風は二つの源流から組み立てられている。尾張の古い透鐔からは、鉄を大胆に切り抜く意匠を受け継いだ。京の正阿弥からは布目象嵌の技を学んだとされる。表面に細かな鏨目を刻み、そこへ金や銀を押し込んで磨き出す象嵌である。とりわけ鉄地が高く評価され、よく鍛えられた地鉄は羊羹のような深い茶黒色を見せ、わずかに紫を帯びることもある。
二つの紋、一つの帰属
国がこの鐔を重要文化財に指定したのは、昭和29年(1954年)3月20日のことである。文化庁の解説は、抱工が主家の定紋を表した鐔であり、この種のものの中でも特に優れた華麗な作と記す。
縁に散る紋は、ただの装飾ではない。細川家の二つの紋である。円を九つ組んだ意匠は九曜紋。16世紀末に細川家が用いはじめた紋で、細川忠興が織田信長の小刀にあった意匠に心を引かれ、許しを得て家紋にしたと伝わる。桜花のほうは細川家の替紋にあたる。散る花を嫌って桜を避けた武家が多いなか、茶の湯に通じた忠興は、その短い散りぎわにこそ美を見たという。一枚の鐔に二紋を載せることは、細川という家を小さく身につけることでもあった。
この鐔には小さな問いが一つ残る。文化庁のデータベースは、その時代を桃山とする。一方で作者の又七は、江戸時代前期の金工として語られることが多い。年代の見方が一つに定まらない点は、初期肥後物につきまとう問いの一つである。ただし、透かしと象嵌の手つきが又七のものであることに、疑いは置かれていない。
鉄を読む
まず形を見たい。板は単純な円ではなく、十花形に整えられ、縁にめぐる十の円文がその輪郭を受けている。枠の内側で、桜花と紋とが規則正しく場所を入れかわり、透かしと地鉄が拍子をつくる。光の角度が変われば、見え方も移る。
金銀は控えめで、面を覆い尽くすことはない。細い布目の線が、透かした紋に金を入れ、地板には唐草の文様を走らせる。鐔を裏返せば、裏もまた表に劣らず手が入っている。優れた肥後物に共通する、静かな心配りである。銘は茎孔の左に小さく置かれ、腕に自負のある作者が、ことさら大きく記す必要を認めなかったことがうかがえる。
肥後鐔に会える場所
この鐔は個人の所蔵で、常設の公開はされていない。山梨を訪ねても、実物と向き合うことはできない。それでも、肥後金工、そして林又七の手は、ほかの場所で出会える。
東京では、文京区の永青文庫が細川家伝来の品を収め、刀装具を企画展のなかで入れかえながら見せている。隣接する肥後細川庭園とあわせて歩くのもよい。熊本では、県立美術館が同じ細川家の所蔵品から、初代又七と認められる透鐔などを展示してきた。ただし展示室は改修で閉室することがあるため、出かける前に会期を確かめておきたい。さらに南の八代市立博物館も、又七の鐔を所蔵している。いずれを訪ねても、写真より近くで鉄と透かし、肥後特有の地鉄の色に触れられる。
Q&A
- 鐔とは何ですか。
- 刀の柄と鞘の境に挟み、握る手を守る金具です。江戸時代には、持ち主の好みや家柄を映す小さな意匠の場ともなりました。
- 林又七とはどのような人物ですか。
- 江戸時代前期の装剣金工で、はじめは鉄砲鍛冶でした。細川家に抱えられて鐔工に転じ、肥後金工林(春日)派の祖となった人物です。よく鍛えた鉄地と繊細な象嵌で知られます。
- この鐔の紋にはどのような意味がありますか。
- 細川家の二つの紋、九曜紋と桜花です。主家である細川家を、一枚の鐔の意匠として身につける意味がありました。
- この鐔は美術館で見られますか。
- 個人蔵のため、常設では公開されていません。林又七の作や肥後鐔を見るなら、東京の永青文庫や熊本県立美術館がよい入口になります。
- なぜ桜花は武家の紋として珍しいのですか。
- 散る桜は短い生のたとえとして受け取られやすく、これを避けた武家が少なくありませんでした。細川家はあえて散りぎわの美を選び、桜を紋に用いたとされます。
基本情報
| 名称 | 紋散透鐔〈金象嵌銘林又七〉 |
|---|---|
| 作者 | 林又七(と認められる) |
| 指定区分 | 重要文化財(昭和29年〈1954年〉3月20日指定) |
| 種別 | 工芸品(金工・刀装具) |
| 時代 | 桃山時代(文化庁データベースの表記。作者は江戸時代前期の金工とされる) |
| 員数 | 1枚 |
| 寸法 | 縦8.3センチ、横8.2センチ |
| 品質・形状 | 十花形の鉄地。桜花と九曜紋を交互に透彫りし金布目象嵌、地板に唐草文の金銀布目象嵌 |
| 所在地 | 山梨県 |
| 所有者 | 個人 |
| 公開状況 | 常設公開なし |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース(紋散透鐔)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/5610
- 文化遺産オンライン(国立文化財機構)
- https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/130977
- コトバンク「林又七」
- https://kotobank.jp/word/林又七-116435
- 八代市立博物館 おすすめ収蔵品「林又七の鐔」
- https://www.city.yatsushiro.lg.jp/kiji00322912/index.html
- Google Arts & Culture「肥後鐔」(熊本県立美術館コレクション)
- https://artsandculture.google.com/story/QAXxDIAlN6VZLg
最終更新日: 2026.06.14