大正13年に建った鉄筋コンクリートの講堂
名古屋市瑞穂区、愛知県立瑞陵高等学校の校地南西隅に、寄棟造の瓦屋根をのせた低い鉄筋コンクリートの建物が建っている。名は感喜堂、登録上の名称には「旧講堂」と添えられる。竣工は大正13年(1924年)。当時この敷地を使っていた愛知県立商業学校の講堂として建てられた。瑞陵高校そのものより古い建物である。
この年代に意味がある。地方都市で鉄筋コンクリートがまだ新しい工法だった1920年代の建造物で、戦災を受けた名古屋市内には初期のものがほとんど残っていない。感喜堂は、名古屋市に現存する最古の鉄筋コンクリート造の講堂とされる。同時期の市内の鉄筋コンクリート建築には、大正11年(1922年)竣工の名古屋地方気象台などがある。
建築面積はおよそ427平方メートル。屋根は寄棟造で桟瓦を葺くが、四方の屋根面それぞれに小さな切妻破風が立ち上がる。単純な四注屋根の輪郭を破る、この時代らしい意匠である。
登録有形文化財としての位置づけ
感喜堂は令和4年(2022年)6月29日、「愛知県立瑞陵高等学校感喜堂(旧講堂)」の名称で登録有形文化財(建造物)に登録された。登録番号は23-0577である。国宝や重要文化財のような「指定」ではなく「登録」であることに注意したい。日本では建造物の保護に二つの仕組みがある。きわめて貴重なものを重要文化財・国宝として指定し強く規制する制度と、平成8年(1996年)に始まり、いまも現役で使われる近代の建物を広く対象に、改変の前に届け出を求める比較的ゆるやかな登録制度である。感喜堂は後者にあたる。
登録の基準は「造形の規範となっているもの」。外観がよく保たれている点が評価され、大正期の講堂建築の好例とされた。装飾はセセッション調と説明される。20世紀初頭のウィーン・セセッションに発する幾何学的で簡素な意匠が、大正期の日本の建築家に取り入れられたもので、壁面に設けられた柱頭飾りや、軒下の持ち送りに、その傾向を読みとることができる。古い和風の講堂にみられる彫りの深い細工とは性格を異にする。
見どころ
建物の周囲を歩くと、窓の意匠に気づく。四面の壁に縦長のガラス窓が並ぶが、上段と下段で意匠を変えてあり、視線を上げるとリズムが切り替わる。窓枠は木製。窓と窓の間にはセセッション調の柱頭飾りが置かれ、軒には屋根を受ける持ち送りが連なる。いずれも立ち止まって見たい部分である。
寄棟屋根の四面に立つ小さな切妻破風が、この建物の目印になっている。機能本位の鉄筋コンクリートの箱に、卒業式や式典の場にふさわしい格を添えようとした、1920年代の県立学校の小さな野心がうかがえる。
壁には保存にまつわる経緯も刻まれている。平成23年(2011年)の地震を受けて県立学校の耐震点検が進むなか、感喜堂は取り壊しの可能性に直面した。これを惜しむ同窓会主導の保存運動が起こり、愛知県知事と名古屋市長が現地を視察、平成26年(2014年)に県議会が保存を決定した。耐震補強工事は平成27年(2015年)に完了し、内部の一部は生徒の自習スペースとなった。講堂、図書館、給食室と役割を変えながら、この建物は保存へとたどり着いた。
周辺の見どころとアクセス
正門の西側には、海外からの来訪者を引き寄せる「杉原千畝広場 センポ・スギハラ・メモリアル」がある。平成30年(2018年)に開設された屋外展示型の施設で、誰でも自由に見学できる。杉原千畝は、昭和15年(1940年)にリトアニアのカウナス領事館で領事代理を務め、ナチスの迫害から逃れるユダヤ人難民に通過査証を発給した外交官で、その行為は数千の命を救ったとされる。杉原は少年期の多くを名古屋で過ごし、瑞陵高校の前身にあたる第五中学校で学んだ。広場には杉原とユダヤ人家族の等身大ブロンズ像、査証リストを再現した陶板、日本語と英語を併記した解説パネルが置かれている。
学校の沿革は込み入っている。杉原が第五中学校に在籍したのは大正元年から大正6年(1912〜1917年)、隣接する土地でのことで、この講堂が建つ前である。したがって杉原自身が感喜堂を使ったわけではない。講堂は別の学校である商業学校のもので、両者が統合して瑞陵高校になったのは戦後の昭和23年(1948年)のことだった。近くに残る旧正門の門柱も、商業学校時代のもので、これ自体が登録有形文化財である。
感喜堂は現役の高校の敷地内にあるため、自由に立ち入って見学することはできない。外観は正門付近の通路から眺められる。内部が一般に公開されるのは特別な機会に限られ、おもに地域の文化財団体が秋に催す建物公開イベントの折である。中に入りたい場合は、その日程に合わせて計画したい。
Q&A
- 感喜堂の中に入れますか。
- 原則として入れません。現役の高校の敷地内にあり、構内は一般公開されていません。内部が公開されるのは、おもに地域の文化財団体が秋に開く建物公開イベントなど、限られた機会だけです。それ以外の日は、正門付近から外観を眺めることになります。
- これは国宝や重要文化財ですか。
- いいえ。登録有形文化財です。指定される重要文化財・国宝よりも規制のゆるやかな区分で、現役で使われる近代の建物などを保存対象に取り込む仕組みです。日常的な改変には比較的柔軟に対応できます。
- 杉原千畝との関係は何ですか。
- 杉原は瑞陵高校の前身である第五中学校で学びました。正門西側には無料で見学できる屋外の顕彰施設があります。杉原自身がこの感喜堂で学んだわけではなく、講堂は同じ敷地にあった別の学校のために後年建てられたものですが、広場と講堂は同じ校地を共有しています。
- 「セセッション調」とは何ですか。
- 20世紀初頭のウィーン・セセッションの影響を指します。直線的で幾何学的な装飾を特色とし、感喜堂では壁面の簡素な柱頭飾りや軒下の持ち送りの文様にその傾向が見られます。凝った彫刻ではなく、簡潔な意匠が特徴です。
- どうやって行きますか。
- 学校は名古屋市瑞穂区、市中心部の南東にあり、地下鉄桜通線の駅から歩いて行けます。正門の杉原千畝広場が目印として分かりやすく、地域の見どころとして案内も出ています。
基本情報
| 名称 | 愛知県立瑞陵高等学校感喜堂(旧講堂) |
|---|---|
| 所在地 | 愛知県名古屋市瑞穂区北原町二丁目1-2 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録番号 23-0577 |
| 登録年月日 | 令和4年(2022年)6月29日 |
| 建築年 | 大正13年(1924年)/耐震改修は平成27年(2015年)完了 |
| 員数 | 1棟 |
| 構造 | 鉄筋コンクリート造平屋建、寄棟造、桟瓦葺、建築面積約427平方メートル |
| 所有者 | 愛知県 |
| 公開状況 | 現役の高校の敷地内にあり、一般公開はされていない。外観は正門付近から見学可。内部は秋の建物公開イベントなど限られた機会のみ公開。 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00014243
- 文化遺産オンライン(文化庁)
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/588553
- 愛知県「登録有形文化財(建造物)の登録について」(2022年)
- https://www.pref.aichi.jp/soshiki/bunkazai/touroku-2022318.html
- 愛知県「杉原千畝広場 センポ・スギハラ・メモリアル」
- https://www.pref.aichi.jp/soshiki/kyoiku-somu/zuiryo-kensho.html
- 愛知県立瑞陵高等学校感喜堂(ウィキペディア日本語版)
- https://ja.wikipedia.org/wiki/愛知県立瑞陵高等学校感喜堂
最終更新日: 2026.06.16