陸上競技場の下から見つかった貝塚

昭和14年(1939年)の春、名古屋市の南東部を流れる山崎川の左岸で、運動場をつくるために原野や畑地を整地していた最中に、大量の土器片や貝殻が顔を出した。八事丘陵の端部にあたるこの場所が、東海地方を代表する縄文時代の遺跡、大曲輪貝塚として知られていく発端である。

貝塚が形づくられたのは縄文時代前期、稲作が始まるよりはるか以前、狩猟と採集、漁労で暮らした人々の時代にさかのぼる。当時は気候が温暖で海面が高く、入り江が内陸の奥まで入り込んでいた。いわゆる縄文海進の時期にあたり、近くの干潟ではハイガイやカキ、ハマグリといった海水性の貝が手近に採れた。

世代を重ねて捨てられた貝殻は、やがて厚い層をなした。貝殻が出すカルシウム分のおかげで、酸性の強い日本の土壌では失われやすい骨などの有機質が良好に残り、住んだ人々の暮らしぶりを今に読み解く手がかりとなっている。

試掘から国の史跡へ

「大曲輪」という名は、遺跡が見つかった当時の地名にちなむ。最初の発見の後、近くの瑞穂小学校に勤めていた北村斌夫が試掘を行い、続いて愛知県史蹟名勝天然紀念物調査会の小栗鉄次郎が4次にわたる発掘調査を実施して、およそ360平方メートルに及ぶ縄文時代前期の貝層を確認した。東海における縄文時代の代表的な遺跡として、昭和16年(1941年)1月、貝層のうち約350平方メートルが国の史跡に指定された。

地下に眠っていた範囲は、当初の想定より広かった。昭和55年(1980年)に競技場が全面的に改築された際の発掘調査では、貝層が現在のスタンドの下にまで及んでいることがわかった。あわせて、前期の貝層を掘り込んでつくられた縄文時代晩期の墓や竪穴建物も確認され、長い年月をかけて人々がこの地に戻り続けたことが裏づけられた。これらの遺構は調査の後の工事で失われたが、その経緯が、残された部分を明確にして守る取り組みを後押しした。平成27年度(2015年度)以降の調査で貝層がスタンド側へ連続して広がることが確かめられ、令和3年(2021年)10月に指定地が追加された。

地面が残したもの

学術的な重みとは裏腹に、大曲輪貝塚は立ち止まって仰ぎ見るような記念物ではない。貝層は地下に保存されたままで、見どころとなるのは、そこから出土した遺物と、その記録をどう目に見える形にしてきたかという点にある。

出土品は、縄文前期の暮らしの一覧表のようでもある。石鏃や石斧、石錐、石匙、石錘、敲石といった石器に加え、縄文土器、骨角器、土版などがそろう。土偶の破片のなかには、頭部に複数の貫通孔をもつ板状の土偶がある。この型式は東日本に類例が多く、縄文時代前期の東海地方に土偶を用いた祭祀がどのように波及したかを考えるうえで重要な手がかりになる。動物の遺存体も雄弁で、シカやイノシシの骨、エイやサメの類、タイ科やスズキ属の魚骨が、森と海の双方に支えられた食生活の様子を描き出している。

昭和55年の調査では、この遺跡で最も印象的な発見があった。背を下にして手足を折り曲げた仰臥屈葬の姿勢で葬られた、ほぼ完全な成人男性の人骨である。上下4本ずつ、計8本の歯が意図的に抜かれており、成人になるための通過儀礼と結びつく風習とされる。別の埋葬では、胸の上に1頭分の犬の骨を抱くように置かれた人骨も見つかっており、飼い犬がともに葬られた可能性が指摘されている。

いま訪ねる大曲輪貝塚

現在、この一帯は瑞穂公園の一部となっており、隣接する競技場の整備に合わせて史跡も大きく手を入れられた。史跡は誰でも入れる芝生の広場となり、地下で貝塚が確認された範囲は地表にゴムチップで示されている。そばのスロープには「一万年ウォール」と名づけられた壁が設けられ、土器や石器の図面、立体的な模型を見ることができる。近くに新設されたガイダンス施設では、市の教育委員会が所蔵する出土資料の実物が展示され、間近で観察できる。

周囲の瑞穂公園は、もう少し足をのばす価値がある。史跡のかたわらを流れる山崎川の両岸には桜が植えられ、春には多くの人が訪れる。徒歩圏には公園の運動施設や緑地が広がり、同じ瑞穂区内にある名古屋市博物館では、大曲輪遺跡や、かつて山崎川の対岸にあった下内田貝塚の出土資料が折にふれて公開される。

Q&A

Q見学はできますか。
Aできます。史跡は瑞穂公園内の芝生広場として開放されており、いつでも無料で入れます。地下鉄名城線「瑞穂運動場東駅」から徒歩約10分です。
Q貝層が地下にあるなら、何が見られますか。
A地下に埋まる貝塚の範囲は地表に示されています。スロープの「一万年ウォール」で出土品の図面や模型を見られるほか、近くのガイダンス施設で実物の出土資料を間近に観察できます。
Qどのくらい古い遺跡ですか。
A縄文時代前期にさかのぼり、この地方に稲作が広まる数千年前のものです。貝は、海が内陸まで入り込んだ温暖な縄文海進の時期に採られたものです。
Qなぜ重要とされるのですか。
A東海地方の縄文時代前期の貝塚としては大型で、保存状態も比較的良好です。東日本に多い板状土偶や、豊富な有機質の遺存体から、当時の食生活や祭祀、自然環境を細かく復元できます。
Q周辺に見どころはありますか。
A史跡を囲む瑞穂公園には山崎川沿いの桜並木や運動施設があります。同じ瑞穂区の名古屋市博物館では、大曲輪遺跡や下内田貝塚の出土品が折にふれて公開されます。

基本情報

名称大曲輪貝塚(おおぐるわかいづか)
所在地愛知県名古屋市瑞穂区 瑞穂公園内
指定区分国指定史跡(昭和16年〔1941年〕1月27日指定、令和3年〔2021年〕10月11日追加指定)
時代縄文時代前期(貝塚)。複合遺跡として後の時代の遺構も含む
指定規模当初指定は貝層部分の約350平方メートル
現地の整備芝生広場、地表の表示、「一万年ウォール」、ガイダンス施設
アクセス地下鉄名城線「瑞穂運動場東駅」から徒歩約10分
公開公園として常時開放(無料)

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/1440
文化遺産オンライン(国立文化財機構)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/172255
史跡 大曲輪貝塚の紹介(名古屋市)
https://www.city.nagoya.jp/kyoiku/page/0000164959.html
縄文時代とそのくらし 大曲輪遺跡(名古屋市博物館)
https://www.museum.city.nagoya.jp/exhibition/owari_joyubi_news/fr_2023/jomon_kurashi/index.html

最終更新日: 2026.06.14