旧神谷家住宅主屋 ― 城郭寺院の堀端に建つ大正の農家
愛知県安城市野寺町。真宗寺院・本證寺を囲む内堀の南東角に、桟瓦葺の屋根を低く広げた一棟の家屋が南を向いて建っている。神谷家の主屋(おもや)で、大正9年(1920年)に建てられた木造の農家である。令和6年(2024年)8月15日、国の登録有形文化財(建造物)に登録された。安城市内では18件目の登録となる。
はじめに二点を押さえておきたい。この建物が建つのは、平成27年(2015年)に国の史跡に指定された本證寺境内の内側であること。そして主屋そのものは現在、安城市が取得した上で耐震補強を進めており、その後に一般公開が予定されている段階にある。したがって内部はまだ見学できない。当面は、自由に立ち入れる周囲の境内から外観を眺めるのが現実的な見方となる。
「登録」は、文化財保護のしくみのなかで「指定」より一段ゆるやかな制度にあたる。平成8年(1996年)に始まった登録制度は、おおむね築50年以上を経た価値ある建物を対象とし、所有者が使い続けながら保存することを後押しする。旧神谷家住宅主屋は「造形の規範となっているもの」という基準で登録された。この地域に見られる民家の型をよくとどめている、という評価である。
信仰がかたちづくった間取り
登録に値する点は、その間取りが西三河平野部の信仰生活を映していることにある。床上は六間取(むつまどり)、すなわち前後二列に三室ずつを並べた構成をとる。前列の西端室が仏間で、一段高くつくられている。前列の三室は互いに開け放つことができ、人々が集まって高い位置の仏間に向き合える。説法を聞く場として適した配置である。
この特徴は偶然ではない。一帯は浄土真宗の篤い土地であり、すぐ近くの本證寺は長くその拠点のひとつであった。家族と近隣の人々が説法のために集える農家は、いわば数歩先の大寺院を住居の規模で映したものといえる。文化財の調査では、この間取りは真宗信仰を背景にした西三河平野部の民家の典型例として読み解かれている。
構造は素直で地域的である。屋根は単純な切妻で、桟瓦(さんがわら)で葺く。20世紀初頭までに中部地方へ広く普及した実用的な瓦である。西側の土間、すなわち土足で作業や炊事を行う場の上部には、つし二階と呼ばれる低い中二階が設けられた。居住よりも収納などに使う半階である。南北両面には縁が通り、光と風を各室に通しながら、内部を庭や堀の景観とつないでいる。
見どころ
内部にまだ入れない以上、見て面白いのは建物と立地の関係である。境内の道に立つと、防御のための水堀のすぐ際に、つつましい農家が置かれている様子が目に入る。素朴な大正の住居と中世以来の城郭寺院という、めずらしい取り合わせである。南面した正面は、瓦の切妻と縁の列を見せ、少し離れた位置からでもその姿がよく分かる。
この百年は平穏ばかりではなかった。昭和20年(1945年)1月13日、この地域を三河地震が襲い、柱や軸組に被害が及んだ。戦時下の日本でも有数の犠牲を出した地震である。その後修理され、昭和58年(1983年)頃に改修されたことが、築100年を超えてなお使える状態で残る理由のひとつになっている。市は今後、耐震補強を施した上で、寺を中心とした史跡公園の構想のなかで活用の道を探るとしている。
本證寺の堀や土塁、17世紀の本堂とあわせて眺めれば、ひとつの境内のなかに重層的な風景が立ち上がる。戦国の宗教的要塞、泰平の江戸期に再建された寺、そして近代の働く農家が、同じ敷地の内に同居している。
周辺情報 ― 本證寺とその歴史
主屋を取り巻く本證寺は、多くの旅行者が野寺を訪れる本来の目的である。本證寺は建永元年(1206年)頃、親鸞の門弟である慶円によって開かれたと伝えられ、真宗大谷派に属する。16世紀までに「三河三か寺」と呼ばれる有力な真宗寺院のひとつに成長し、二重の堀と土塁に囲まれた。城郭研究では、寺院でありながら城のつくりを備えた城郭伽藍として扱われている。
永禄6年(1563年)、これら三か寺の門徒は、のちに徳川家康と名乗る若き松平元康に対して立ち上がった。三河一向一揆である。家臣団を二分したこの蜂起のなかで、本證寺は抵抗の中心に位置した。一揆が鎮められると寺は一度退転し、やがて再興され、現在の本堂は寛文3年(1663年)に再建された。この対立は、2023年のNHK大河ドラマで改めて広く知られ、多くの来訪者をこの境内へ向かわせた。
境内はおおむね9時から16時頃まで、自由に歩くことができる。県指定文化財の本堂、鼓楼と鐘楼、海鼠壁(なまこかべ)をもつ蔵、そして真夏に古い堀へ咲く蓮を探してみたい。市内を広く巡るなら、花の公園である安城産業文化公園デンパークも人気の立ち寄り先である。
場所は名鉄西尾線・南桜井駅から徒歩約15分。名古屋方面からは新安城で西尾線に乗り換えるとよい。車であれば寺に駐車場があり、伊勢湾岸自動車道・豊田南インターチェンジからおよそ30分。山門は狭いので、大きな車は注意したい。
Q&A
- 旧神谷家住宅主屋の中に入れますか。
- 現時点では入れません。建物は安城市が所有しており、耐震補強を行った上で、本證寺を中心とする史跡公園構想のなかで一般公開する予定です。それまでは、自由に立ち入れる周囲の境内から外観を眺める形になります。
- 国宝や重要文化財ですか。
- どちらでもありません。平成8年(1996年)に始まった登録有形文化財という別の制度による登録で、おおむね築50年以上の保存すべき建物を対象とする、指定より軽やかな枠組みです。令和6年(2024年)8月、「造形の規範となっているもの」の基準で登録されました。
- 大正時代の農家がなぜ重要なのですか。
- 一段高い仏間と、説法のために開け放てる前列の部屋からなる六間取の間取りが、西三河の農村に根づいた真宗信仰を映しているためです。調査では、その信仰が一般の住まいをどう形づくったかを示す地域的な好例とされています。
- 本證寺とはどのような関係がありますか。
- 主屋は本證寺の境内、内堀の南東に建っています。本證寺は堀をめぐらせた真宗の城郭寺院であり、若き家康に対する16世紀の三河一向一揆の拠点として知られる国の史跡です。
- どうやって行けばよいですか。
- 名鉄西尾線・南桜井駅から徒歩約15分です。名古屋方面からは新安城で西尾線に乗り換えてください。車の場合は寺に駐車場があります。
基本情報
| 名称 | 旧神谷家住宅主屋(きゅうかみやけじゅうたくおもや) |
|---|---|
| 所在地 | 愛知県安城市野寺町野寺33-2 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/令和6年(2024年)8月15日登録(登録番号 23-0609) |
| 登録基準 | 造形の規範となっているもの |
| 建築年 | 大正9年(1920年)/昭和58年(1983年)頃改修 |
| 員数 | 1棟 |
| 構造及び形式 | 木造平屋一部2階建、瓦葺、建築面積約203㎡、切妻造桟瓦葺 |
| 所有者 | 安城市 |
| 公開状況 | 内部は現在非公開。外観は史跡本證寺境内から見学可(境内はおおむね9:00~16:00開放) |
| アクセス | 名鉄西尾線・南桜井駅から徒歩約15分 |
参考文献
- 文化遺産オンライン(国立文化財機構):旧神谷家住宅主屋
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/574925
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00015027
- 安城市:旧神谷家住宅主屋(歴史的建造物の登録)
- https://www.city.anjo.aichi.jp/shisei/shisetsu/kyoikushisetsu/maibun-rekisitekikenzoubutu.html
- 安城市:史跡 本證寺境内
- https://www.city.anjo.aichi.jp/shisei/shisetsu/kyoikushisetsu/maibun-sites-honsyouji.html
- Aichi Now(愛知県公式観光サイト):本證寺
- https://aichinow.pref.aichi.jp/spots/detail/2745/
最終更新日: 2026.06.17