大嶋ナメクジウオ生息地:脊椎動物の起源に連なる小動物を守った天然記念物
1934年(昭和9年)7月25日、当時の豊橋中学校(現在の愛知県立時習館高等学校)に勤めていた竹内金六は、三河湾に浮かぶ小島の東岸で潮の引いた砂浜を掘り、フクロイソメを探していた。すると砂の中から、体長4センチメートルから5センチメートルほどの細長く半透明の生き物が飛び出してきた。ナメクジウオである。この日、竹内は23匹を採集し、日記によれば翌1935年(昭和10年)6月の朝にも14匹を捕らえている。当時の三河大島には、ナメクジウオが豊富に生息していたと考えられている。
島の名は三河大島。蒲郡市の沖合およそ3キロメートルに浮かぶ無人島で、全島が暖帯樹林に覆われている。竹内が発見した粗い砂の砂州は島の東北岸にあり、絶えず流れる潮流によって清浄な状態に保たれていた。発見から7年後の1941年(昭和16年)3月27日、この海岸は「大嶋ナメクジウオ生息地」の名で国の天然記念物に指定された。
ナメクジウオは一見すると小さな魚の切れ端のようで、その和名も魚を連想させる。しかし魚類ではない。この一点こそが、無人島の静かな砂浜がかつて世界の研究者から注目を集めた理由である。
体長数センチの動物が守られた理由
ナメクジウオは頭索動物に分類される。脊索動物の系統樹の基部近くで分岐したグループで、この系統はのちに魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類へとつながっていく。ナメクジウオは脊索動物を特徴づける形質、すなわち体を支える脊索や背側を走る神経管などを備える一方で、その後の進化で獲得された頭骨、明確な脳、顎、一対の眼を持たない。生涯の大半を砂の中に潜って過ごし、咽頭の鰓裂で水中の有機物を濾し取って暮らす。
基本的な脊索動物の体制をこれほど簡素な形で保っているため、ナメクジウオは19世紀以来、背骨を持つ動物の遠い祖先の姿を推し量るための生きた手がかりとして研究されてきた。文化庁のデータベースに収められた1941年の記録は、この動物を「学術上著名」と簡潔に記している。脊椎動物の体のなりたちの源流に最も近い現生動物の一つが、この小さな潜砂性の生き物なのである。
日本はナメクジウオの分布域の東端に位置する。生息が確認された地点は、太平洋側では岩手県の山田湾、日本海側では京都府の丹後半島沖まで及ぶが、主な生息域は房総半島から鹿児島県にかけての太平洋沿岸と瀬戸内海である。その生息地のうち国の天然記念物に指定されたのは二か所だけで、1928年(昭和3年)指定の広島県三原市・有竜島南西部の砂州と、1941年指定の三河大島である。
なお、この生き物の学名はのちに見直された。長らく Branchiostoma belcheri とされてきた日本産の個体群は、別種であることが判明し、現在ではヒガシナメクジウオ Branchiostoma japonicum と呼ばれる。天然記念物の指定名称には、総称としての「ナメクジウオ」が残されている。
不在を記録する天然記念物
指定範囲は島の東側、現在「サンライズビーチ」と呼ばれる全長およそ400メートルの砂浜である。北東端の穴ノ前から南岸の伯母ノ鼻に至る海岸線の、満潮時の汀線から100メートル以内と定められた。1941年の文部省の記録はこの地を分布の北限と記しているが、当時すでにより北の産地が知られていたため、ナメクジウオを研究した西川輝昭は、この表現には「多産の北限」という意味が含まれていたのだろうと指摘している。後者の解釈は当時の実態とよく合う。
事実、しばらくの間ナメクジウオは数多く見られた。占領下の1949年(昭和24年)には名古屋大学の生物学教室がこの島で100匹以上を採集している。豊橋の教諭・大平司は1956年(昭和31年)にごく短時間で2匹を採り、翌1957年(昭和32年)には蒲郡を訪れた昭和天皇が、島で採集された標本を見学した。1960年ごろまでは、採ろうと思えば採れる状態が続いていたとみられる。
やがて姿が見えなくなる。1966年(昭和41年)の探索は空振りに終わり、翌年の愛知県による緊急調査でも1匹も見つからなかった。そして1968年(昭和43年)の3月と5月、蒲郡市立水族館の竹内孝助がそれぞれ1匹ずつを採集した。この2匹が、三河大島で確認された最後のナメクジウオである。
その後の調査は徹底していた。1968年から1969年にかけて、調査者はスコップで砂を60センチメートルほど掘り下げ、地引き網を引き、沖合19地点の海底を採泥し、潮だまりを調べ、夜間の潜水まで行った。多くの海産生物が記録されたが、ナメクジウオは一匹も確認できなかった。衰退の要因としては、三河湾全域の富栄養化、ナメクジウオが好む粗い砂底の泥質化、1959年(昭和34年)の伊勢湾台風、そして1960年代に東三河の臨海工業地帯構想のもとで進められた埋め立てと航路の浚渫が挙げられている。1969年に現在の西尾市沖合約5キロメートルで体長1センチメートルほどの個体が採泥されており、三河湾内から完全に消えたわけではないため、指定地での絶滅は今も断定されていない。1980年、1982年、1987年、そして大平司が85歳で若き日の採集地に戻った2016年(平成28年)の調査も、いずれも同じ結果に終わった。2009年(平成21年)に愛知県が作成したレッドデータブックは、三河湾内での再生産はもとより、浮遊幼生の一時的な着底さえ、ほとんど不可能になったと判断している。
三河大島を訪ねる
三河大島は、何が見られて何が見られないのかを承知して訪れるなら、今も足を運ぶ価値のある場所である。島は三河湾国定公園に含まれ、常緑の樹林に覆われ、南端には小島と仏島が連なる。本土から眺めると三島が仰向けに横たわる釈迦の姿に見えることから「寝釈迦」と呼ばれ、仏島の名もここに由来する。サンライズビーチは愛知県で唯一、無人島で海水浴ができる砂浜で、幅およそ50メートル、長さ200メートルほどである。その砂浜のどこかに、基部を砂に埋もれさせた1944年(昭和19年)建立の天然記念物指定の石碑が今も残る。
見られないのはナメクジウオそのものである。砂に潜る小さな生き物であり、訪問者が出会えるほどの数はこの浜から失われている。その姿を思い描くには、生息が続く場所に目を向けるとよい。広島県・有竜島のもう一つの指定地、そして瀬戸内海や有明海に残る個体群である。蒲郡市内では、最後の採集を担った職員を擁する竹島水族館が、ナメクジウオ自体は展示していないものの、三河湾周辺や深海の生き物に触れられる身近な場所となっている。
島への渡船は夏季のみの運航である。蒲郡市松原町の乗船センターから出る蒲郡観光汽船でおよそ15分、往復の渡船料は大人がおよそ1,600円、小人が800円とされるが、料金は変わることがあるため事前の確認が望ましい。桟橋は3月上旬から9月下旬まで設置される。本土側では、387メートルの橋で渡る竹島と、島内に鎮座する八百富神社が手軽な立ち寄り先となり、蒲郡温泉郷で一日を締めくくることもできる。
Q&A
- 三河大島でナメクジウオを実際に見ることはできますか。
- できません。指定地でのナメクジウオの確認は1968年が最後です。砂に潜って暮らす小さな動物で、その後の調査でも見つかっていません。砂浜には立ち入れますが、保護対象であるナメクジウオを観察することはできません。
- ナメクジウオとはどのような生き物ですか。
- 体長4〜5センチメートルほどの半透明の海産動物です。小魚に似ていますが、魚類ではなく頭索動物に属し、脊椎動物へとつながる系統の基部近くで分岐しました。脊椎動物の起源を考えるうえで重要な手がかりとして、古くから研究されてきました。
- 島へはどのように行けますか。
- 蒲郡市松原町の乗船センターから渡船が出ており、約15分で着きます。運航は夏季のみで、桟橋は3月上旬から9月下旬まで設置されます。往復の渡船料は大人がおよそ1,600円、小人が800円とされますが、変更されることがあるため事前にご確認ください。
- 生息が確認できないのに、なぜ指定が続いているのですか。
- この生息地は、ナメクジウオが豊富だった1941年に、その学術的な重要性とこの個体群の多さを評価して指定されました。三河湾や周辺地域には今も生息しているため、指定地での絶滅は断定されていません。指定は現在、振り返るべき環境の歴史を記録する役割も担っています。
- 今ナメクジウオに出会ったり学んだりできる場所はありますか。
- ナメクジウオは瀬戸内海や有明海の一部に今も生息し、広島県・有竜島にもう一つの指定地があります。三河湾周辺の海の生き物全般については、蒲郡市の竹島水族館が指定地に近い立ち寄り先となります。
基本情報
| 名称 | 大嶋ナメクジウオ生息地(おおしまナメクジウオせいそくち) |
|---|---|
| 所在地 | 愛知県蒲郡市三谷町(三河大島) |
| 指定区分 | 国指定天然記念物 |
| 指定年月日 | 1941年(昭和16年)3月27日 |
| 指定基準 | (三)自然環境における特有の動物又は動物群聚 |
| 指定範囲 | 島東岸の全長約400メートルの砂浜(通称サンライズビーチ)。穴ノ前から伯母ノ鼻に至る、満潮時汀線より100メートル以内 |
| 対象種 | ヒガシナメクジウオ(Branchiostoma japonicum)。体長4〜5センチメートル |
| 管理団体 | 蒲郡市 |
| アクセス | 蒲郡市松原町の乗船センターから蒲郡観光汽船で約15分。運航は夏季のみ、桟橋は3月上旬から9月下旬まで設置 |
| 現状 | 指定地での確認は1968年が最後。砂浜への立ち入りは可能だが、ナメクジウオの観察はできない |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁):大嶋ナメクジウオ生息地
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/1441
- 大嶋ナメクジウオ生息地(ウィキペディア日本語版)
- https://ja.wikipedia.org/wiki/大嶋ナメクジウオ生息地
- 三河大島(ウィキペディア日本語版)
- https://ja.wikipedia.org/wiki/三河大島
- 三河大島海水浴場(Aichi Now/愛知県観光サイト)
- https://aichinow.pref.aichi.jp/spots/detail/2969/
- 竹島水族館(Aichi Now/愛知県観光サイト)
- https://aichinow.pref.aichi.jp/spots/detail/47/
最終更新日: 2026.06.14