越高遺跡 ― 朝鮮半島の土器づくりが対馬の浜に根づいた場所
対馬北西部の崖を背にした浜辺で、平らな石板を約1.1メートル四方に組んだ炉の跡が見つかった。同じ時期の日本列島には、これに似た炉の例がない。最も近い類例は海の向こう、現在の韓国・釜山広域市にある東三洞遺跡や凡方貝塚にある。
この炉と、その周辺から出土した大量の土器片が、越高遺跡の重要性を支えている。朝鮮半島と、のちに日本となる島々との接触を示す最も古い段階の証拠が、石と粘土のかたちで残されているからである。
遺跡があるのは長崎県対馬市上県町越高。年代は縄文時代早期末から前期にあたり、今からおよそ7,100年前から6,400年前とされる。令和7年(2025年)3月10日に国の史跡に指定された。それ以前は市の指定、続いて県の指定を受けていた。
海を見下ろす二つの地点
遺跡は尾根を挟んで約50メートル離れた二か所からなり、南からA地点・B地点と呼ばれる。A地点は海岸部に位置し、波打ち際に近いため海による浸食を受け続けてきた。B地点は内陸側に少し入った場所にある。
両地点を結びつけるのが土器である。出土した土器片の大半は、隆起文土器と呼ばれる種類に属する。器面に細い粘土の帯を貼り付け、指先や爪で押さえて隆起した文様をつくる手法で、朝鮮半島の新石器時代早期を特徴づける土器だった。半島南部では、おおむね紀元前5400年から同4400年ごろにかけて多くつくられている。
日本列島のほかの遺跡では、この種の土器はほとんど見られない。越高はそれが出土品の中心を占める数少ない場所である。
運ばれたのではなく、ここで作られた
単純に考えれば、これらの土器は完成品として半島から運び込まれたことになる。しかし粘土の分析は、もう少し込み入った経緯を示した。隆起文土器の胎土には対馬産の粘土が含まれており、器そのものが島で作られていたとみられる。
石器はもう一つの方向を指し示す。出土品のなかには、南方の九州、なかでも西北九州産の黒曜石やサヌカイトを材料とする石器があった。越高で暮らした人々は、朝鮮半島南部に根ざした土器づくりの伝統をもちながら、石材を求めて九州の集団とも結びついていたことになる。
最も無理のない読み方は、朝鮮半島の土器文化を背景にもつ人々が対馬に住み、南の縄文世界と接触していたというものである。漁撈が暮らしの中心だったとみられ、水際という立地ともよく合う。
指定が今になった理由
越高は古くから地元の研究者に知られていたが、新たな発掘調査がその位置づけを変えた。2015年から、対馬市教育委員会が熊本大学とともに二か所を計画的に発掘した。2018年の現地説明会の時点で約470点の土器片が見つかり、その大半が対馬産の粘土による隆起文土器だった。
A地点の方形石組み炉は、とりわけ大きな意味をもった。釜山の東三洞遺跡や凡方貝塚の炉と構造が一致し、同時期の日本列島には類例がないため、半島から渡ってきた人々の存在を建築面から裏づけたからである。
土器、胎土の分析、九州産の石材、そして炉。これらを合わせると、越高は対馬で確認された最も古い時期の遺跡となる。朝鮮半島と九州をつなぐ国境の島という対馬の長い役割の起点として扱われており、それが国史跡への格上げの根拠となった。
現地で見られるもの、心づもりしておくこと
訪れる前に、心づもりをしておくとよい。越高は発掘調査の対象となった史跡であり、復元された集落ではない。建て直された竪穴住居も、現地の博物館もない。見どころは立地そのものにある。海峡が半島へと開け、背後には対馬の急峻な森林の山地がせり上がる。人々がなぜこの浜を選んだのかが、立ってみると感覚として分かる。
価値を生んだ立地は、同時に遺跡を脆くもしている。海岸斜面の足元にあるA地点は波の影響を直接受け、台風や大雨による被害も目立ってきた。島に生息するシカの食害も負担を加えている。市はこうした浸食を抑える保存整備工事を実施しており、効果があったと報告されている。
出土品そのものを見たい場合は、現在の展示状況を地元に問い合わせるとよい。発掘資料は対馬市が保管・研究している。文化庁も同島の考古学を取り上げた短い動画を制作しており、越高も登場する。訪問前の予習に役立つ。
対馬北部という土地
越高があるのは、韓国との近さを意識せずにはいられない地域である。少し北へ進むと、上対馬町鰐浦の韓国展望所が、半島まで約49.5キロに狭まる海を見渡している。条件のよい日には釜山の街並みが見え、日が落ちれば対岸の灯りが水平線に並ぶ。建物は韓国の建築様式を取り入れており、越高の人々が数千年前に始めた関係を意識したつくりになっている。
近くには、島にのみ生息する絶滅危惧種ツシマヤマネコを紹介する対馬野生生物保護センターがあり、棹崎の岬は日本でも最も北西に近い地点の一つにあたる。これらを合わせてめぐると、国境の島の輪郭がより立体的に見えてくる。
対馬へは、福岡または長崎から対馬やまねこ空港への空路か、福岡の博多港からのフェリーで入る。フェリーは北部の比田勝港と南部の厳原港に寄港する。越高のある上県町は島の北部にあり、レンタカーでの移動が現実的である。
Q&A
- 越高遺跡はなぜ重要なのですか。
- 出土土器の大半が朝鮮半島系の隆起文土器であり、方形の石組み炉も日本列島ではなく釜山周辺の例と一致します。約7,000年前の朝鮮半島と日本列島との接触を示す、数少ない具体的な証拠となる遺跡です。
- 土器は朝鮮半島から運ばれてきたのですか。
- すべてではありません。胎土の分析から、隆起文土器の一部は対馬産の粘土で作られていたことが分かっています。様式は半島由来でも、器そのものは島で作られていたとみられます。
- 国史跡に指定されたのはいつですか。
- 令和7年(2025年)3月10日です。それ以前は市の指定、続いて県の史跡として保護されていました。
- 現地に行くと何か見られますか。
- 復元施設ではなく、海岸沿いの発掘調査地です。見どころは水際の立地とその場の雰囲気にあります。出土品については、現在の展示状況を対馬市に問い合わせるとよいでしょう。
- 対馬北部へはどう行けばよいですか。
- 福岡または長崎から対馬やまねこ空港へ飛ぶか、博多港から北部の比田勝港へのフェリーを利用します。上県町まではレンタカーでの移動が現実的です。
基本情報
| 名称 | 越高遺跡(こしたかいせき) |
|---|---|
| 所在地 | 長崎県対馬市上県町越高 |
| 指定区分 | 国指定史跡(令和7年〔2025年〕3月10日指定) |
| 時代 | 縄文時代早期末から前期、今からおよそ7,100年前~6,400年前 |
| 指定面積 | 約4,504平方メートル |
| 構成 | 尾根を挟んで約50メートル離れた二地点(A地点・B地点) |
| 主な特徴 | 朝鮮半島系の隆起文土器、約1.1メートル四方の方形石組み炉 |
| アクセス | 対馬北部。対馬やまねこ空港または比田勝港経由、その後車で移動 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「越高遺跡」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/00004221
- 長崎県の文化財「越高遺跡」
- https://www.pref.nagasaki.jp/bunkadb/index.php/view/790
- 対馬市 国指定文化財一覧
- https://www.city.tsushima.nagasaki.jp/gyousei/soshiki/kyouiku/bunkazaika/bunkazai/bunkazai/1051.html
- 韓国展望所 ながさき旅ネット
- https://www.nagasaki-tabinet.com/guide/893
最終更新日: 2026.05.28