すべてが焼けたあとに建った本堂

金嶺山龍源寺本堂は、秋田県由利本荘市矢島町城内にある明治13年(1880年)再建の曹洞宗寺院本堂で、平成16年(2004年)3月2日に国の登録有形文化財となった。

この再建年に事情が畳み込まれている。慶応4年・明治元年(1868年)の戊辰戦争で、勤王側に立った矢島藩は隣藩の進攻を受け、龍源寺は全堂宇を焼失した。いま境内にある本堂は、その後に住職と檀家が一から起こしたものである。山門をくぐって最初に受け止めるべきは、彼らがやり遂げた規模である。

桁行24メートル、梁間16メートル、建築面積441平方メートル。木造平屋建、茅葺。戦火の直後の地方寺院が明治期に成し遂げた普請として、これは並外れている。

龍源寺は曹洞宗の寺院で、道元禅師を開祖とし、福井の永平寺と横浜鶴見の總持寺を両大本山とする。本尊は釈迦如来である。

屋根と、名を残した棟梁

この規模の茅葺は多くない。写真に撮られる理由もそこにある。桁行24メートルの屋根が、梁間16メートルを渡しながら秋田の積雪を受け止め、しかも壁を外へ押し出さない。滑らかな外観の下では、小屋組がかなり真剣な仕事をしている。

大きさより比例を見たい。これだけの梁間に対して軒は高くない。だから量感が見る者に覆いかぶさってこない。地元の解説も、この規模の建物が本来持つはずの威圧感がないことを指摘している。

正面には向拝が張り出す。中心線上ではなく、東寄りに設けられている点が特徴的である。屋根は入母屋造とし、その上に軒唐破風を載せる。左手には位牌堂へ通じる廊下が延びる。

棟梁の名がわかっている。棟上げの際に記して小屋裏に納める棟札から、「佐々木光信」の名が判明した。この時期の地方建築で作り手を特定できる例は多くない。明治13年の秋田の小さな町で腕を振るった大工の名を、いまも呼ぶことができる。

なお再建年について、文化庁の登録は明治13年(1880年)とする。一方、矢島の地元向け解説には明治15年(1882年)落慶とする記述がある。着工から落慶までの異なる時点を指している可能性があり、公的な記録としては前者を採る。

高松を追われた生駒家

寺の草創は元和9年(1623年)。由利十二頭の一人打越光隆と子の光久が、常陸国から矢島三千石を拝領して入部した際に開いた。同行したのは白峰廣椿和尚だが、寺では廣椿の師である即殿を開山とし、廣椿自身は二世としている。

打越家は嗣子を得られずに絶え、寛永17年(1640年)、幕府は龍源寺にまったく別の檀那を送り込んだ。讃岐高松十七万三千石の四代藩主生駒高俊が、家臣団の内紛(生駒騒動)によって領地を収公され、矢島一万石へ移されたのである。龍源寺は生駒家の菩提所となり、やがてこの地方の曹洞宗触頭を務めるようになった。

生駒家の菩提寺であったことは、明治の再建のあり方にも影響している。境内は墓地を含めて約六千坪。かつて西国を治めた家の方針を踏まえた規模で再建整備された。

後日談を一つ。平成28年(2016年)、初代生駒親正が着用したと伝わる甲冑が、讃岐における生駒家の菩提寺である高松の弘憲寺へ寄贈された。甲冑は寛永17年の改易とともに矢島へ移り、明治2年(1869年)に生駒家から龍源寺へ渡っていたものである。376年を経ての里帰りだった。

拝観について

龍源寺は、由利高原鉄道鳥海山ろく線の終点・矢島駅から徒歩15分ほどの位置にある。羽後本荘から田園地帯を南下して鳥海山麓へ向かう小さなローカル線で、駅舎も小さい。歩く道のりそのものが気持ちのよい区間である。

ここは住職が常駐し檀家を抱える現役の寺院で、本堂は葬儀や法要、年中行事に使われている。境内に立ち入り、本堂の外観を拝観することは無料でできる。内部の拝観は常時受け付けているわけではない。見たい場合は事前に寺へ連絡し、日程によっては叶わないこともあると承知しておきたい。境内の一般的な風景を超える撮影についても同様である。

境内で見るべきは本堂だけではない。大檀那である生駒家を祀る御霊屋、開基打越家にゆかりの観音堂、開山堂と中興開山堂、そして檀信徒会館庫裡「金龍閣」が並ぶ。本堂の周囲は老杉に囲まれ、8月中旬には盂蘭盆会の行事が営まれる。

令和5年(2023年)に開創400年を迎えた。拝観時間や交通の条件は変わることがあるので、遠方から向かうなら寺または由利本荘市観光協会に確認してほしい。

Q&A

Q金嶺山龍源寺本堂は拝観できますか。拝観料はかかりますか。
A境内に入り本堂の外観を見ることは無料でできます。ただし龍源寺は現役の曹洞宗寺院で、内部は常時公開されていません。内部拝観や境内風景を超える撮影を希望する場合は、事前に寺へお問い合わせください。
Q金嶺山龍源寺本堂はなぜ明治になって再建されたのですか。
A明治元年(1868年)の戊辰戦争で、勤王側に立った矢島藩が隣藩の進攻を受け、龍源寺は全堂宇を焼失したためです。現在の本堂はその後に住職と檀家が再建したもので、文化庁の登録では明治13年(1880年)とされています。
Q金嶺山龍源寺本堂はどのくらいの大きさですか。
A桁行24メートル、梁間16メートル、建築面積441平方メートルです。木造平屋建の茅葺で、この地方の寺院本堂としては際立って大規模な茅葺建築にあたります。
Q金嶺山龍源寺と讃岐高松の生駒家にはどんな関係がありますか。
A寛永17年(1640年)、讃岐高松十七万三千石の四代藩主生駒高俊が家臣の内紛により領地を収公され、矢島一万石へ移されました。以後、龍源寺は生駒家の菩提所となり、境内には生駒家を祀る御霊屋が残っています。
Q金嶺山龍源寺へは公共交通でどう行けますか。
A由利高原鉄道鳥海山ろく線の終点・矢島駅で下車し、徒歩約15分です。同線は羽後本荘駅でJRと接続しています。所在地は秋田県由利本荘市矢島町城内字田屋の下26です。

基本情報

名称金嶺山龍源寺本堂
所在地秋田県由利本荘市矢島町城内字田屋の下26
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 05-0096/登録基準「国土の歴史的景観に寄与しているもの」
指定年平成16年(2004年)3月2日登録、同年3月29日告示(第41回登録)
員数1棟
寸法木造平屋建、茅葺、桁行24メートル・梁間16メートル、建築面積441平方メートル
所有者宗教法人龍源寺
公開状況現役寺院。境内および本堂外観は無料で拝観可。内部拝観は要事前連絡

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)/金嶺山龍源寺本堂
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00003944
文化遺産オンライン/金嶺山龍源寺本堂
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/116824
由利本荘市/金嶺山龍源寺(曹洞宗)
https://www.city.yurihonjo.lg.jp/1001503/1002098/1002113/1002126/1003563.html
金嶺山 龍源寺 公式サイト
https://www.ryugenji.or.jp/
由利本荘市観光協会/龍源寺
https://yurihonjo-kanko.jp/yrdb/ryugenji/
矢島観光案内 ゆりほんナビ/龍源寺
https://ysm.yurihon-navi.jp/qr-03/

最終更新日: 2026.08.13