高さ6メートルの空積み
上田家石垣は、愛媛県喜多郡内子町袋口にある石造の擁壁で、江戸時代後期にあたる1751年から1829年ごろに築かれ、平成18年(2006年)10月18日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。
傾斜地にある敷地の南東辺に沿って延びる。文化庁の記録は、長さを天端28メートル、下端31メートル、高さを6メートルとする。この二つの数値の差がそのまま要点になる。石垣は上へ行くほど奥へ退いており、下端のほうが天端より長く、面には一定の勾配がついている。
石材は、愛媛で青石と呼ばれる緑色を帯びた片岩である。細長く割れやすい性質を持ち、築造した人々はまさにその性質を使った。石を細長い形に割り、モルタルの類を一切用いずに積み上げている。空積みと呼ばれるこの構法では、石垣は摩擦と自重、そして石どうしの噛み合いだけで立つ。
そして、誰も予期しない細部がある。見付面には同じ青石の大きな塊が7つ、細い割石の間に並べて埋め込まれている。文化庁の記録はこの点を独特と記す。30歩ほど手前から眺めれば、他の何より先に目に入るのがこの7つである。
なぜ屋敷の石垣が国の文化財なのか
この石垣が載っているのは、平成8年(1996年)に始まった登録の制度である。現に使われている構造物を幅広く対象とする仕組みで、古くからある指定の制度とは別の道筋にあたる。両者はしばしば混同されるが、上田家石垣は指定されたのではなく登録された物件である。登録番号は38-0072、第52回の登録で、平成18年(2006年)11月9日に告示された。
登録の基準は三つあり、この石垣が満たしたのは「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。擁壁にこの基準が当てられたとき、それは特定の意味を持つ。彫刻として優れていると言っているのではない。この種の石積みが、この規模で、谷の見え方そのものを形づくり、そもそもこの土地に人が住めるようにしてきた、と言っているのである。
規模は立ち止まって考える値打ちがある。高さ6メートルは城の石垣の領分だ。山間部の民家の擁壁はふつう2、3メートル、庭を平らにするのに足りるだけの高さで済む。一個人の家が18世紀後半から19世紀初頭に6メートルの空積みを立てたということは、相当な労力と技術を投じたということであり、残された結果はこの敷地が何を要求したかを語っている。家を建てる前に平地を作り出さねばならないほど、斜面が急だったのである。
内子町はこの石垣を個人所有として一覧に載せ、国の認定を受けた町の歴史的風致維持向上計画の図中にも文化財の一つとして示している。周辺の状況もこの読み方を支える。平成18年(2006年)10月18日の同じ回には、同じ谷筋の下流にある灌漑施設「論田の西井出堰」も登録された。町の計画は棚田や石積みの柿畑をこれら山間の集落の特徴として挙げている。石を積むことは、この土地では特別な発注ではなく、日々の技術だった。
石垣の見かた
まず低いほうから近づいてほしい。真下から見上げると勾配が短縮されて、面はほとんど垂直に見える。6メートルという高さが体に入るのはこの瞬間である。道を少し戻ると今度は退きが見えてくる。年間降水量の多いこの地方で、およそ二世紀を経てなお崩れずにいる理由も、そこにある。
次に積み方の目地を追う。割石が細長いため、横方向の線は途切れるまでにかなりの距離を走り、面は角石を並べた格子ではなく層の重なりとして読める。空積みには目地のモルタルがないので、規則的なリズムを与える要素がなく、視線は石そのものをたどることになる。石と石が不揃いに接するところには小さな石が打ち込まれ、その段を締めている。この飼石は、寸法ではなく目で判断しながら積んだ職人の手跡である。
そして7つを探す。青石の大きな塊は細かい層の間に間隔を置いて据えられており、周囲の石で代替できなかったはずの構造的な役割は見当たらない。誰かがこれを置くと決め、どこに置くかを決めた。斜面を支えることだけが仕事の構造物にあって、それは見え方についての判断である。上田家石垣を築いた者が、面がどう見られるかを考えていたことの、いちばん明快な証拠がここにある。
色は天候で変わる。青石は乾いているとおとなしいが、雨のあとは面が濃くなり、鉱物の縞が浮き上がる。段と段の間の影は、真昼の平坦な光よりも、午前半ばに斜めから当たる光のほうがよく出る。日陰の目地には苔と小さなシダが入り込んでいて、空積みの石垣ではふつうのことであり、この石垣が景観に収まっている在り方の一部でもある。
見学方法とアクセス
上田家石垣は個人が所有し、人が暮らす敷地の一部をなしている。入場料も公開時間もなく、見学のための受け入れ体制もない。国の登録有形文化財であることが、敷地内に立ち入る権利を生むわけではない。公道から眺めるにとどめていただきたい。
道路からでも面は十分に読み取れる。前節に書いたことはすべてそこから確かめられる。手持ちでの個人利用の撮影は差し支えないが、角度を求めて敷地に踏み込むこと、住宅に向けて撮影すること、ドローンを飛ばすことは避けてほしい。画像の商用利用には所有者の許可が要る。
袋口は麓川の谷にあり、内子の中心部から北へおよそ7キロメートル。最寄り駅はJR内子線の終点である内子駅で、谷沿いの道を車で15分から20分ほど。同じ線の五十崎駅からはやや遠い。この谷を通る路線バスは本数が少なく、訪問の計画に組み込める手段ではないので、車か、事前に手配したタクシーが現実的である。遠方から車で向かう場合は、松山自動車道の内子五十崎インターチェンジから北へ進むとよい。
見学者用の駐車場はない。道は狭く農作業の車も通るため、車道上に停めず、安全な待避スペースを見つけてほしい。石垣そのものは15分から20分あれば十分に見られる。より近くからの見学を希望する場合は、所有者ではなく内子町の自治・学習課へ相談していただきたい。
Q&A
- 上田家石垣は見学できますか。料金はかかりますか。
- 前面の公道から、いつでも無料で見ることができます。ただし観光施設ではありません。内子町の個人が所有する住宅の敷地の一部であり、敷地内は公開されていません。受付も公開時間も、立ち入りのための手続きもありませんので、道路からの見学にとどめてください。
- 上田家石垣の大きさと積み方を教えてください。
- 高さは6メートル、長さは天端28メートル、下端31メートルで、上へ行くほど奥へ退く勾配がついています。愛媛で青石と呼ばれる緑色を帯びた片岩を細長く割り、モルタルを使わずに積む空積みです。見付面には同じ青石の大きな塊が7つ埋め込まれており、文化庁の記録はこれを独特な点として挙げています。
- 上田家石垣はいつ築かれ、いつ登録されたのですか。
- 文化庁のデータベースは築造を江戸時代後期とし、1751年から1829年ごろの範囲を示しています。登録は平成18年(2006年)10月18日で、同年11月9日に告示されました。登録番号は38-0072です。これは平成8年(1996年)に始まった登録の制度によるもので、古くからある指定の制度とは別の枠組みです。
- 上田家石垣へは内子からどう行けばよいですか。
- 袋口は麓川の谷沿いにあり、内子の中心部から北へ約7キロメートルです。JR内子線の内子駅からは谷沿いの道を車で15分から20分ほど。谷を通る路線バスは本数が少ないため、車か事前手配のタクシーが現実的です。見学者用の駐車場はなく、道幅も狭いのでご注意ください。
- なぜ上田家石垣のような擁壁が文化財として登録されたのですか。
- 「国土の歴史的景観に寄与しているもの」という基準による登録です。民家の擁壁として高さ6メートルは異例で、青石の空積みという構法と、見付面に据えられた7つの大きな石が、この山間の谷に人が住みついてきた過程を支えた石積みの技術を今に残しています。内子町も歴史的風致維持向上計画の文化財の一つに数えています。
基本データ
| 名称 | 上田家石垣 |
|---|---|
| 所在地 | 愛媛県喜多郡内子町袋口3768 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) 登録番号38-0072 |
| 指定年 | 平成18年(2006年)10月18日登録、同年11月9日告示 |
| 員数 | 1所 |
| 寸法 | 高さ6メートル、天端28メートル・下端31メートル、石造(空積み) |
| 所有者 | 個人 |
| 公開状況 | 非公開。敷地内への立ち入りはできず、公道からの外観見学のみ可能。入場料の設定なし。 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「上田家石垣」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00005774
- 文化遺産オンライン「上田家石垣」
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/171082
- 内子町「国指定および国登録の文化財一覧」
- https://www.town.uchiko.ehime.jp/soshiki/18/138907.html
- 国土交通省「内子町歴史的風致維持向上計画(概要)」
- https://www.mlit.go.jp/common/001296759.pdf
最終更新日: 2026.09.04