旧橋本家住宅
大戸口をくぐると、足もとに広がるのは床ではなく、踏み固められた土である。囲炉裏を切った土間(ニワ)が建物のおよそ三分の二を占め、この家が見せるための住まいではなく、働くための農家であったことを間取りそのものが示している。頭上の梁は太く、何重にも組まれている。冬に数メートルの雪が屋根に積もる土地では、これだけの架構が要る。福井県東部、大野の山あいに建つ豪雪地の民家であり、その風土が建物の隅々を規定している。
建立は江戸中期、18世紀前半とみられる。桁行11.1メートル、梁間8.2メートル、茅葺の入母屋造で、南面に杉皮葺の馬屋を付属する。建築史では「越前II型」に分類される、古い福井の代表的な間取りの一つである。昭和44年(1969)に重要文化財に指定された。
指定の理由と、移築の経緯
本住宅は、古式をよく残す福井県東部の代表的な民家として評価されている。装飾を排した素朴な外観と太い梁組は、この地域の古い山村民家に共通する特徴であり、広い土間と土座(板床を張らず、地面に直に莚を敷いて暮らす形式)の生活を伝える数少ない遺構でもある。これほど古い民家で、その日常の細部が保たれている例は珍しい。
橋本家は宝慶寺の村にあって代々庄屋をつとめ、のちに戸長を務めた村の旧家であった。二十世紀に村が過疎化するなか、家は大野市に寄贈された。昭和48年(1973)に解体され、宝慶寺に近い現在地へ移されて、当初の江戸前期の姿に復原された。名称に「旧」を冠するのは、この移築によるものである。
見どころ
内部の構成は明快である。大戸口を入ると土間の導入部があり、右手には床を一段下げ、石で囲ったウマヤ(厩)が設けられている。中央のニワに囲炉裏があり、奥手には切石の水屋(流し)を据える。左手には板敷きの上ザシキ・下ザシキの二室、それぞれ八畳ほどの居室が並ぶ。柱に注目したい。上屋柱には強度に優れた欅(けやき)を用い、側柱の多くは栗である。
住宅は宝慶寺に隣り合って建つ。宝慶寺は弘安元年(1278)に南宋から渡来した寂円が開いた曹洞宗の寺で、永平寺に次ぐ古い修行道場とされ、その環境じたいが歴史を背負っている。住宅は4月下旬から11月上旬の水曜・日曜・祝日に無料で公開され、開館は概ね9時から16時まで。公開日には囲炉裏に火が入り、薄暗い内部に、かつて日々暮らしていたときの匂いと温もりがよみがえる。雪に閉ざされる冬季は閉館し、その他の日は事前に市へ申し込めば見学できる。JR越前大野駅から車でおよそ25分である。
Q&A
- 「土座」とは何ですか。
- 板床を張らず、地面に直に莚(むしろ)を敷いて暮らす古い形式です。本住宅はこの暮らしの形を残す点でも評価されています。
- 建物は当初の場所に建っていますか。
- いいえ。橋本家が大野市に寄贈した後、昭和48年(1973)に宝慶寺近くの現在地へ移築され、当初の江戸前期の姿に復原されました。
- 見学できる時期と料金を教えてください。
- 入館は無料です。4月下旬から11月上旬の水曜・日曜・祝日、概ね9時から16時まで公開されます。冬季は閉館し、その他の日は事前に市へ申し込めば見学できます。
- 建物の構造の特色は何ですか。
- 越前II型の民家で、豪雪に耐える太い梁組、間取りの三分の二を占める広い土間、付属する馬屋を特徴とします。上屋柱は欅、側柱の多くは栗です。
基本情報
| 名称 | 旧橋本家住宅(きゅうはしもとけじゅうたく) |
|---|---|
| 所在地 | 福井県大野市宝慶寺字笠松7番地 |
| 指定区分 | 重要文化財(昭和44年〈1969〉12月18日指定) |
| 員数 | 1棟 |
| 構造・形式 | 桁行11.1m、梁間8.2m、入母屋造、茅葺、南面馬屋附属(杉皮葺) |
| 年代 | 江戸中期(18世紀前半) |
| 所有者 | 大野市 |
| アクセス | 入館無料。4月下旬〜11月上旬の水・日・祝に公開、9時〜16時。冬季閉館。JR越前大野駅から車で約25分 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)旧橋本家住宅
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/827
- 大野市公式サイト「重要文化財 旧橋本家住宅」
- https://www.city.ono.fukui.jp/kosodate/bunka-rekishi/shokai/hashimotoke.html
- 福井県観光連盟 公式サイト「旧橋本家住宅」
- https://www.fuku-e.com/spot/detail_1133.html
最終更新日: 2026.06.22