失われた島の古墳から出た副葬品
明治21年(1888年)、徳山湾に浮かぶ小さな島で、土地の所有者が開墾のために古い墳丘を掘り進めると、頂部の石室から銅鏡や武器が現れた。この墳丘は竹島御家老屋敷古墳と呼ばれる全長約56メートルの前方後円墳で、出土した品々は古墳時代前期、およそ3世紀から4世紀のものである。島はかつて瀬戸内海の沿岸にあったが、その後の埋め立てによって陸続きとなり、いまは周南市の一部になっている。
出土品は長らく発見者とその子孫の手に受け継がれた。現在は福岡県太宰府市の九州国立博物館が保管し、一括して昭和63年(1988年)に国の重要文化財に指定されている。
指定の内訳は、三角縁神獣鏡2面、神人車馬画像鏡1面、刀剣類4口(素環頭大刀身の残欠1口、剣身3口)、銅鏃26本、鉄斧1箇、鉄鏃1本である。遺存状態は必ずしも良好ではないが、古墳時代前期の首長墓に納められた副葬品の組み合わせを、まとまった形で残している。
年号を刻む鏡
2面の三角縁神獣鏡のうち1面は細かく破損しているが、縁に沿って銘文が巡り、その中に中国・魏の年号「正始」が読み取れる。正始元年は西暦240年にあたる。
この年代には意味がある。中国の史書「魏志倭人伝」によれば、倭の女王卑弥呼は魏に使者を送り、魏の皇帝は返礼として銅鏡百枚を含む品々を授けた。その返使が倭に到着したのが240年である。正始の年号を持つ鏡は、この百枚のうちの1枚ではないかという議論を生んできた。ただしこれは確定した事実ではない。これらの鏡が実際にどこで鋳造されたのかをめぐっては、中国本土から同種の鏡が1面も出土していないこともあり、研究者の間で見解が分かれている。
竹島の鏡には、もう一つ具体的な重要性がある。同じ鋳型から作られた鏡が、群馬県の蟹沢古墳と兵庫県の森尾古墳から1面ずつ見つかっている。蟹沢の鏡では年号の最初の一字が欠け、森尾の鏡では銘文そのものが失われている。竹島の鏡は他の2面が欠く部分を残しており、これによって年号が判読され、一群の年代を確定する根拠となった。先史時代の日本で確かな暦年代を得られる機会は少なく、この一行の銘文が持つ資料的な価値は大きい。
もう1面の三角縁神獣鏡は「天王日月」の銘と獣文の帯を備え、京都府の椿井大塚山古墳、神奈川県の白山古墳、福岡県の神蔵古墳から出た鏡と同じ鋳型による。「劉氏作」の銘を持つ神人車馬画像鏡はさらに類例が少なく、大分県の鑑堂古墳や奈良県の天神山古墳に近い例が知られる程度である。同笵鏡のつながりが重要なのは、それが分布の網の目を描き出すからだ。一つの鋳型から作られた同じ鏡が、九州から東日本まで各地の古墳に納められている。多くの研究者はこれを、勢力を強めつつあった初期のヤマト政権が、各地の首長へ威信財としての鏡を分け与えた証と見ている。
博物館での見どころ
九州国立博物館はこの一括資料を保管し、その一部は4階の文化交流展示で公開されることがある。文化交流展は旧石器時代から江戸時代までの日本の歴史をたどる常設展示だが、展示替えがあるため、年号を持つ鏡が常に出ているとは限らない。訪れる前に現在の展示内容を確かめておくとよい。
これらは小ぶりで静かな品であり、その面白さは大きさよりも細部を見ることにある。三角縁神獣鏡は、その名のとおり縁の断面が三角形を成し、この形が国内の他の古鏡と一線を画す。中央の鈕を囲んで、翼を持つ仙人と聖獣が交互に配され、人物の向きを見れば鏡の上下が分かる。
鋳上がりは細かい。保存の良い面では、文様を取り巻く銘文の一字一字を追うことができる。年号を持つ鏡では、破損した縁の近くに残るわずかな文字に注目したい。それが3世紀という年代を留めた手がかりである。
同じ石室から出た武器、すなわち錆びた刀身や素環頭の大刀の残欠、まとまって出土した鏃と並べられると、これらは個々の展示品というより、1600年あまり前に一人のために納められた一つの墓の中身として見えてくる。
アクセスと周辺
九州国立博物館は、学問の神として知られる菅原道真を祀る太宰府天満宮の裏手、緑に覆われた丘陵に建つ。両者は「アクセストンネル」と呼ばれる長い動く歩道とエスカレーターで結ばれ、進むにつれて色が移ろうことから虹のトンネルとも呼ばれる。所要は数分ほどである。西鉄太宰府駅からは徒歩約10分、梅ヶ枝餅を売る店が並ぶ参道を抜けて博物館へ至る。
九州国立博物館は平成17年(2005年)、東京・京都・奈良に次ぐ4番目の国立博物館として開館した。日本文化の形成をアジア史的な視点から捉えるという構想のもとに設けられており、山口の島と中国大陸の宮廷とを結ぶ鏡の一群を見るには、ふさわしい場所だと言える。太宰府天満宮には合格を願う受験生が多く参拝し、境内には冬の終わりから早春にかけて咲く梅が数千本植えられている。
福岡市内からは、西鉄福岡(天神)駅から西鉄二日市を経由して、あるいは博多発の太宰府ライナーバス「旅人」で訪れることができる。文化交流展の観覧料は手頃で、特別展は別料金となる。
Q&A
- 出土品はどこから出て、いまはどこにあるのか。
- 山口県周南市、徳山湾の小島にあった竹島御家老屋敷古墳から、明治21年(1888年)に出土した。現在は福岡県太宰府市の九州国立博物館が保管している。
- 年号を持つ鏡はなぜ重要なのか。
- 中国・魏の年号「正始」(元年は西暦240年)を刻むためである。同じ鋳型による別の2面は銘文が損なわれており、竹島の鏡が年号を判読できる唯一の例として、古墳時代前期の数少ない暦年代の基準を与えている。
- これは本当に卑弥呼の鏡なのか。
- その可能性はある。「魏志倭人伝」は魏が卑弥呼に銅鏡百枚を授けたと記し、その返使が到着したのが正始元年(240年)である。結びつきは説得力を持ち広く論じられているが、証明されたわけではなく、鏡の製作地についても議論が続いている。
- 実物は展示で見られるのか。
- 一部は博物館4階の文化交流展で公開されるが、展示替えがあるため、年号を持つ鏡が常に出ているとは限らない。訪問前に最新の展示情報を確認してほしい。
- 出土した古墳そのものを訪ねられるのか。
- できない。周南市の古墳は私有地で立ち入りが禁じられており、島も埋め立てによって陸続きになっている。出土品は九州国立博物館で見るのがよい。
基本情報
| 名称 | 山口県竹島古墳出土品 |
|---|---|
| 保管施設 | 九州国立博物館(福岡県太宰府市石坂4-7-2) |
| 指定区分 | 重要文化財(考古資料)、昭和63年(1988年)6月6日指定 |
| 指定番号 | 00441 |
| 員数 | 三角縁神獣鏡2面、神人車馬画像鏡1面、刀剣類4口、銅鏃26本、鉄斧1箇、鉄鏃1本(一括) |
| 時代 | 古墳時代前期(およそ3〜4世紀) |
| 出土地 | 竹島御家老屋敷古墳(山口県周南市/私有地で非公開) |
| 公開状況 | 展示替えあり。文化交流展示で公開される場合あり(事前確認を推奨) |
| アクセス | 西鉄太宰府駅から徒歩約10分/太宰府天満宮とアクセストンネルで連絡 |
参考ページ
- 山口県竹島古墳出土品(国指定文化財等データベース・文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/10056
- 正始元年銘 三角縁神獣鏡(e国宝・国立文化財機構)
- https://emuseum.nich.go.jp/detail?content_base_id=101396
- アクセス・利用案内(九州国立博物館)
- https://www.kyuhaku.jp/visit/visit_map.html
- 三角縁神獣鏡(文化遺産オンライン)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/508649
- 九州国立博物館(太宰府市)
- https://www.dazaifu-japan-heritage.jp/dazaifu/jp/spots/kyushu-national-museum.html
最終更新日: 2026.06.14