役目を終えて生き延びた鎌倉の厨子
会津美里町の弘安寺で国の重要文化財に指定されているのは、参拝者が拝みに来る銅造の観音像そのものではなく、かつてその像を納めていた木造の厨子である。弘安寺旧観音堂厨子は、正面一間・梁間一間の小さな建造物で、屋根はこけら葺、入口の上には深く反り上がる唐破風を架ける。制作は鎌倉時代後期、西暦でいえば1275年から1332年のあいだとされ、会津地方に残る木造建築のなかでも古い部類に入る。
現在は仁王門を入ってすぐの覆堂に納められている。中にまつられているのは観音ではなく、水と音楽と弁舌をつかさどる弁財天である。住人の入れ替わりには、この建物がくぐり抜けてきた長く少し風変わりな来歴がかかわっている。
悲しみから始まった寺
弘安寺は、中田観音の名でよく知られる曹洞宗の寺院で、山号を普門山という。寺の起こりには、一人の長者の悲しみがある。鎌倉時代の後半、このあたりの長者であった江川常俊は、十七歳の若さで亡くなった一人娘・常姫の菩提を弔うため、文永十一年(1274年)に銅造の十一面観音を鋳造させた。寺が建てられたのは弘安二年(1279年)で、その年号をとって弘安寺と名づけられた。
本尊は二つの点で珍しい。形式は長谷寺式の十一面観音であり、脇侍が通常とは異なる組み合わせになっている。一般に十一面観音の脇侍は毘沙門天と不動明王だが、中田観音では地蔵菩薩と不動明王が左右に立つ。三尊はいずれも会津では数少ない銅造で、三体とも重要文化財に指定されている。中尊の高さは187センチ、両脇侍はおよそ94センチである。
厨子から弁天堂へ
厨子は本尊とほぼ同じ時期につくられ、長く一体のものとして観音堂に置かれていた。その関係が変わったのは十七世紀、寛永から慶安にかけての時期である。観音堂が大きく修復された際、厨子は堂外に移され、弁天堂として第二の役割を担うことになった。以後、後世の手がかなり加えられ、当初の姿は見えにくくなっていた。
今に見る形は、昭和四十七年(1972年)から翌年にかけて行われた保存修理の成果である。後補の部分を取り除き、鎌倉期の原形に近い状態へ戻された。内部には弁財天がまつられたままで、これは建物の最初の役割というより、長い中間期の名残といえる。
指定の理由
昭和三十五年(1960年)の指定を支えているのは、その造作の質の高さである。様式は禅宗様で、細部の手法から、地方の工匠ではなく都の中央で技術を学んだ作り手の仕事と見られている。東北のこの地に残る宗教建築としては、めずらしい出自である。文化庁の解説も、会津では最も古い部類に属し、手法もよいと端的に記す。
平面は小さい。正面は一間、背面で二間に開き、奥行は一間である。入口に架かる唐破風のうねりが小ぶりな建物に動きを与え、こけら葺の屋根が全体の輪郭を軽く保っている。
見どころ
近くで見ると、この厨子はゆっくり眺めるほど面白い。組物や唐破風の曲線は、ふだんなら像にだけ向ける視線を、建築そのものへ引き戻してくれる。聖なる像を正面から拝するために設計された建物だから、真正面に立つと、薄暗い内部でかつて銅の観音が光を帯びていた情景が浮かんでくる。
少し歩いた観音堂には、よく知られた「だきつき柱」がある。心をこめて抱きつき祈れば願いがかなうと言い伝えられてきた。堂内には、細菌学者・野口英世の母シカの写真も残る。シカは息子の幼い頃の火傷の回復と立身出世を願い、毎月この地への参詣を重ねた。
拝観の手引き
弘安寺は会津三十三観音の第三十番札所にあたる。この巡礼路は、会津藩の初代藩主が領民の他国巡礼を禁じた代わりに定めたもので、江戸時代に整えられた。弘安寺はまた、長寿のうえで苦しまずに往生することを願う人々がめぐる「会津ころり三観音」の一つでもある。
像や寺宝の拝観は申し込み制で、前日までの予約と拝観料が必要になることが多い。公開の曜日や時間は季節によって変わるため、出かける前に確認しておきたい。厨子を納める覆堂を含む境内は、予約なしでも見て回れる。
中田のまわり
車で五分ほどの場所には、樹齢およそ七百年と伝わるしだれ桜「千歳桜」が立つ。同じ江川長者の伝説と結びつく木で、春には花を目当てに人が集まる。もう少し足をのばすなら、ころり三観音の残る二つ、会津坂下町の立木観音(恵隆寺)と西会津町の鳥追観音(如法寺)をたどるとよい。会津中央部の古い町並みや酒蔵も、それほど遠くない。
Q&A
- 弘安寺の厨子とはどのようなものですか。
- 大きな戸棚ほどの木造の小堂で、鎌倉時代後期に本尊の銅造観音三尊を納めるためにつくられました。建造物として国の重要文化財に指定されています。
- 厨子の中で本尊の観音像を見られますか。
- 見られません。観音三尊は現在観音堂に安置され、厨子には弁財天がまつられています。両者は十七世紀以来、別々になっています。
- 拝観に予約は必要ですか。
- 指定文化財の拝観は前日までの予約が必要なことが多く、拝観料もかかります。曜日や時間は季節で変わるので、事前に直接確認してください。
- なぜ仏像の配置が珍しいのですか。
- 十一面観音の脇侍は通常、毘沙門天と不動明王ですが、中田観音では地蔵菩薩と不動明王が両脇に立ちます。全国でもまれな組み合わせです。
- どうやって行けばよいですか。
- 車なら磐越自動車道の新鶴スマートインターチェンジから約十分です。寺は福島県西部、会津美里町の中田地区にあります。
基本データ
| 名称 | 弘安寺旧観音堂厨子(こうあんじきゅうかんのんどうずし) |
|---|---|
| 所在地 | 福島県大沼郡会津美里町大字米田字堂ノ後 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物)/昭和35年(1960年)6月9日指定 |
| 時代 | 鎌倉時代後期(1275〜1332年) |
| 構造・形式 | 一間厨子、唐破風造、こけら葺 |
| 員数 | 1基 |
| 所有者 | 弘安寺 |
| 現状 | 覆堂内に弁財天をまつる。寺宝の拝観は予約制 |
参考文献
- 文化遺産オンライン「弘安寺旧観音堂厨子」
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/143928
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/228
- 日本遺産ポータルサイト「弘安寺・弘安寺旧観音堂厨子」
- https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/culturalproperties/result/1618/
- 会津の三十三観音めぐり「第三十番札所 中田観音」
- https://aizu33.jp/cultural_assets/331/
- 会津美里町観光ポータル みさとの「中田観音」
- https://misatono.jp/nakata
最終更新日: 2026.06.04