敷地の奥に建つ、古いほうの建物

和泉屋旅館土蔵(いずみやりょかんどぞう)は、福島県南会津郡南会津町田島の和泉屋旅館の敷地に建つ土蔵造2階建の蔵で、様式から明治期(1868年から1911年)の建築と推定され、平成11年(1999年)7月8日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。国道121号に面した表からは遠く、奥行きの長い敷地の中央東端に位置する。

この敷地の形が、まず建物を理解する手がかりになる。会津西街道沿いの商家や旅籠は、間口が狭く奥行きが深い地割を持つ。宿場の町では街道に面した間口の広さが課税や割り当ての基準になり、その結果として敷地は奥へ伸びた。家の表向きは街道に置き、商いを支えるものは奥に並べる。土蔵はその奥の領域を占めている。和泉屋の前を通る人のほとんどがこの蔵を見たことがないのは、そのためである。

棟は南北に走り、妻側から入る妻入の形式をとる。文化庁の記録では間口2間半、奥行6間。おおよそ4.5メートル×11メートルにあたり、南面には庇が付く。同じ記録が登録上の建築面積を115平方メートルとしており、この数値は間口と奥行を掛け合わせた面積より大きい。データベースはその差の理由を記しておらず、他の資料でも確かめられない。

屋根の上部に残る焼けの跡

この蔵は、町全体の姿を変えた出来事の物証を持っている。昭和9年(1934年)5月、田島を大火が襲った。土蔵と街道のあいだに建つ主屋はその直後に再建され、いまは別に登録されている。土蔵は焼け残り、上部に火の痕跡をとどめた。

そうやって残ることこそ、土蔵が造られる理由である。竹の小舞に厚く土を塗り重ね、漆喰で仕上げた壁は熱を通しにくく、炎の掛かりどころを与えない。日本の商家が代々、在庫や帳簿や家財をここに納めてきたのはそれによる。和泉屋の蔵にはもうひとつの仕掛けがある。置屋根である。土でつくった屋根の上に、構造的につながらない木の小屋組を別に載せる形式で、平時には雨から土を守り、傷めば置屋根だけを架け替えればよい。火事のときには、置屋根が焼け落ちても下の土屋根が持ちこたえる。現在の葺材は鉄板で、これは建物の生涯の後半に一般化した材料である。

納められていたのは宝物のたぐいではない。登録記録には、営業用の什器類を納めるとある。膳、椀、寝具、配膳の道具。相応の規模の旅館が客室のあいだで回してきたものである。内外の造作はいずれも標準的な規模と記される。この点は率直に書いておきたい。稀少さや意匠の冒険が評価されたのではなく、登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」だった。時代の蔵として、よくできた普通の建物なのである。

登録番号は07-0031。第18回登録で、告示は平成11年7月21日。主屋の07-0030に続く番号で、二棟は同時に評価された。旅館の玄関近くには、この二つの番号を記した登録有形文化財のプレートが掲げられている。

見学の可否と、周辺のこと

見学については現実的に考えたほうがいい。土蔵は営業中の旅館の私有地の奥にあり、公道からは見えない。入場料も公開時間も見学順路も設定されていない。宿泊者であれば相談しやすいが、そうでなければ、着いてから頼むのではなく、事前に0241-62-0048へ電話するのが筋である。敷地内での撮影も同じ配慮がいる。記録に書かれた特徴は近くからでなければ読み取れないので、塀越しに一瞥しても得るものは少ない。

歩いて眺める価値があるのは、表に建つ主屋のほうだ。昭和9年の建築で、玄関には向唐破風の屋根が掛かり、寺社に用いる組物が付く。二棟を並べて読むことに意味がある。土蔵は大火の前からそこにあったもので、主屋は大火が生んだもの。同じ一筆の土地に、その両方が建っている。

田島までの行き方は難しくない。会津鉄道会津田島駅から宿まで徒歩約5分。東京の浅草から東武・野岩・会津の各線を経由する直通列車が入り、所要はおおむね3時間半から4時間である。時期を選ぶなら、7月22日から24日の会津田島祇園祭のころに町はいちばん動く。田島祇園祭のおとうや行事は昭和56年(1981年)1月21日に国の重要無形民俗文化財に指定された。和泉屋の建つ上町も、祭りを担うお党屋組のひとつである。徒歩10分ほどのところには、明治18年(1885年)建築で昭和46年(1971年)に福島県指定重要文化財となった旧南会津郡役所があり、資料館として公開されている。数軒隣は国権酒造である。

ひとつ紛らわしい点を整理しておく。和泉屋旅館という名の宿は各地にあり、長野県の霊泉寺温泉にも同名の旅館がある。ここで述べた登録有形文化財の土蔵は、福島県南会津郡南会津町田島字上町の和泉屋旅館に属するものである。

Q&A

Q和泉屋旅館土蔵は見学できますか。
A自由には見学できません。営業中の旅館の私有地の奥にあり、国道121号をはじめ公道からは見えません。入場料、公開時間、見学順路のいずれも設定されていません。宿泊者は相談しやすい立場にありますが、それ以外の方は現地で頼むのではなく、事前に0241-62-0048へ電話してください。
Q和泉屋旅館土蔵はいつごろの建物で、年代はどう判断されたのですか。
A文化庁は明治期(1868年から1911年)としており、年代は棟札や文書ではなく建物の様式から推定したものと明記しています。昭和9年(1934年)建築の主屋より古く、敷地内の登録建造物では最も古い一棟にあたります。
Q和泉屋旅館土蔵の置屋根とは何ですか。
A置屋根は、蔵の土屋根の上に、構造的に接合しない木の小屋組を別に載せる形式です。雨から土屋根を守り、傷んだときは置屋根だけを架け替えられます。火災時には置屋根が焼け落ちても下の土屋根が残ります。この蔵の葺材は鉄板で、上部には昭和9年の大火の痕跡が残っています。
Q和泉屋旅館土蔵の登録はいつで、何が評価されたのですか。
A登録年月日は平成11年(1999年)7月8日、告示は同年7月21日、登録番号は07-0031、第18回登録です。適用された登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」でした。主屋も同時に07-0030として登録されています。
Q和泉屋旅館土蔵は、長野県の和泉屋旅館とは別のものですか。
A別です。和泉屋旅館という名の宿は各地にあり、長野県の霊泉寺温泉にも同名の旅館があります。登録有形文化財の土蔵は、福島県南会津郡南会津町田島字上町甲4047、会津田島駅にほど近い和泉屋旅館の敷地に建つものです。

基本情報

名称和泉屋旅館土蔵(いずみやりょかんどぞう)
所在地福島県南会津郡南会津町田島字上町甲4047
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 07-0031/第18回登録/登録基準:国土の歴史的景観に寄与しているもの
指定年登録年月日 平成11年(1999年)7月8日/登録告示 平成11年7月21日
員数1棟
寸法土蔵造2階建、鉄板葺、登録上の建築面積115平方メートル/間口2間半、奥行6間、南面に庇/建築年代は様式から明治期(1868年から1911年)と推定
所有者文化庁データベースに記載なし(和泉屋旅館の敷地内)
公開状況非公開。公道からは見えない。問い合わせは0241-62-0048。会津鉄道会津田島駅から徒歩約5分。

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「和泉屋旅館土蔵」
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00001164
文化遺産オンライン「和泉屋旅館土蔵」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/114044
文化庁 国指定文化財等データベース「和泉屋旅館主屋」
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00001163
おいでよ!南会津。「和泉屋旅館」
https://www.aizu-concierge.com/spot/5159/
南会津町観光物産協会「和泉屋旅館」
https://www.kanko-aizu.com/tomaru/2389/
旅東北「会津田島祗園祭」
https://www.tohokukanko.jp/festivals/detail_10017.html

最終更新日: 2026.08.25