真野古墳群 ― 真野川南岸の段丘に営まれた古墳時代後期の群集墳

福島県南相馬市の鹿島区、真野川が東に流れて太平洋に注ぐ手前の南岸段丘上に、およそ百基の古墳が散らばっている。その多くは径十メートル前後のささやかな円墳で、住宅地のあいだに木の標柱が立っていなければ、ただの土の高まりにしか見えない。しかし全体としてみれば、これは東北地方でも有数の大規模な群集墳であり、なかでも一基からは、全国でも数例しか確認されていないほど稀少な金銅製の装身具が出土している。

群名の由来である真野川は、鹿島区を東西に貫いて太平洋に注ぐ。古墳が築かれたのはその南岸、河成段丘の上で、被葬者たちは死後も真野川の流域と、その先に広がる海を見渡す位置に眠ることになった。古墳群が分布する範囲は東西約三キロメートル、南北約一キロメートルにわたる。中央政権の墓制を取り入れつつ、列島の北東端にあたるこの地域なりの姿に組み直した、辺境社会のひそやかな記録である。

A地区とB地区 ― 二つの群を束ねる呼称

古墳群は、約一キロメートル離れた二つの支群からなる。東側の寺内字八幡林・大谷地一帯に位置するのがA地区で、かつては約八十基の古墳が確認されていた。西側、小池字長沼に位置するのがB地区で、約二十基を数えた。一九七九年(昭和五十四年)に国の史跡として指定されるまでは、それぞれ八幡林古墳群、大谷地古墳群、小池原古墳群という別個の名称で扱われてきたが、史跡指定にあたって三者は一括され、新たに「真野古墳群」と総称されるようになった。指定年月日は十月二十四日、管理団体は一九八一年(昭和五十六年)六月十七日付で南相馬市(当時の鹿島町)となっている。

これまで二十七基が調査・報告されている。一九七四年から七五年にかけての確認調査では、A地区で現存する墳丘二十四基と半壊状態の十一基、B地区で現存十基と半壊五基が記録された。残りは長い年月のあいだに、耕作や道路の拡幅、住宅地の造成などで姿を消した。今に伝わるのは群集墳のかつての全貌のうち、ごく一部分である。

小円墳が主体、二基の前方後円墳が立つ

古墳群の大半は径十メートル前後の小円墳で構成されているが、なかに二系統の大型墳が混じる。一つは径二十一メートルを測る四十九号墳。もう一つは墳丘長二十八・五メートル、周囲に浅い周濠を巡らせる二十号墳で、こちらは小型の前方後円墳である。前方後円墳二基、大型円墳二基という構成は、東北の浜通り地方に特徴的な後期群集墳の典型を示している。少数の首長墓を中核に、多数の従属的な小円墳が広がるという地域パターンである。

内部主体(埋葬施設)は墳丘ごとに違いが大きい。河原石を敷き詰めた礫槨をもつものがあれば、板石を組み合わせた箱式石棺をもつもの、変形した竪穴式石室をもつもの、さらに六世紀に列島全体へ広まる横穴式石室を採用するものもある。この構造のばらつきは、築造期間の長さを物語る。五世紀後半から築造が始まり、六世紀末まで断続的に営まれた群集墳であるという理解は、こうした内部主体の変遷を根拠としている。

国史跡に指定された理由

文化庁が国の史跡として指定する根拠を、概ね三点にまとめている。第一に規模である。戦前から大規模な古墳群として広く知られ、東北地方を代表する後期群集墳の一つとして数えられてきた。第二に類型としての明瞭さ。前方後円墳と多数の小円墳によって構成されるという形態は、後期の群集墳が浜通り地方で取った典型的なかたちであり、本古墳群はその範例である。そして第三に、出土遺物の豊富さと希少性である。

各古墳の埋葬施設からは、直刀、鉄剣、馬具、玉類などが数多く検出されている。なかでも四十九号墳の礫槨からは、斧、鎌、槽(おけ)といった石製模造品が良質な状態で出土した。実用の鉄器・木器を滑石で写しとり、副葬品として納めたものである。馬鐸(ばたく)を出土した古墳もあるが、最も知られているのは、二十号墳のくびれ部に設けられた礫槨から見つかった金銅製の双魚佩(そうぎょはい)一対である。

金銅製双魚佩 ― 大陸由来の魚形装身具

双魚佩は、革帯の先端に対の魚形飾りを下げる、中国に起源をもつ装身具である。日本国内では出土例が極めて少なく、全国でも数例しか知られていない。古墳時代において、この種の威信財はほぼ大和朝廷の独占的な配布下にあったとみられており、はるか北東の浜通りに位置する古墳から一対が出土したという事実は、二十号墳の被葬者が中央政権と直接的な結びつきをもった有力人物であったことを強く示唆している。

真野古墳群出土の双魚佩は、二枚の薄い金銅板を魚の形に整形し、二枚一組の半円板で錦帯の端部を挟んで鋲留めした構造であった。福島県文化財センター白河館「まほろん」による復元研究では、残された鋲孔と腐食金属に付着した繊維の痕跡をもとに、生前に身につけていた帯飾りの姿が詳細に検討されている。本品は福島県の重要文化財に指定されている。

現地を歩く ― 住宅地と田畑のあいだの古墳群

真野古墳群は柵で囲われた史跡公園ではなく、生活の場の中に埋め込まれた古墳群である。A地区は寺内の男山八幡神社のすぐ西側に広がっており、県道沿いから二十号墳の墳丘がすぐに目に入る。古墳群全体の配置を示す解説板が立ち、七号墳、八号墳、九号墳、十一号墳、十二号墳など、個々の墳丘には番号と昭和五十四年指定の表記を刻んだ標柱が並ぶ。前方後円墳である二十号墳は、バス停「寺内」のすぐ後ろにそびえる小高い土盛りで、台形に近いシルエットが田畑の中に今もはっきりと読み取れる。

見学の際は、ここが住宅地でもあることに注意したい。大谷地住宅地内には、墳丘の一部が宅地造成によって失われたものもあれば、庭先に取り込まれて残るものもある。歩きやすい靴と、南相馬市が公開している配布資料を手に、私有地の境界を越えないよう留意しながら巡るのがよい。出土した直刀、玉類、馬具、そして一対の双魚佩は南相馬市の所蔵で常設展示されてはいないが、原町区の南相馬市博物館にはこの地域の古墳時代に関する展示があり、現地歩きと併せて訪れると理解が深まる。

周辺の見どころ

鹿島区は南相馬市の旧三町のうち最も穏やかな顔をした地域で、田園が太平洋まで緩やかに下り、内陸側には阿武隈高地が連なる。古墳群から車で南へ五分ほどの道の駅セデッテかしまでは、地元の海産物や農産物が手に入り、二〇一一年の震災と復興についての展示も併設されている。原町区東ヶ丘公園内の南相馬市博物館までは車で約二十分。浜通りの考古資料に加え、七月下旬に行われる国の重要無形民俗文化財「相馬野馬追」をテーマとした展示が常設されている。

古墳に関心のある方には、原町区の桜井古墳公園を組み合わせることをお勧めしたい。桜井古墳は四世紀後半に築かれた前方後方墳で、当時の前方後方墳としては北限近くに位置する。出現期の桜井古墳と、後期の真野古墳群を併せて見ることで、浜通りにおける古墳時代の四百年を、出発点と終着点の両方から眺めることができる。

Q&A

Q墳丘の間を歩いて見学できますか
AA地区については県道沿いから徒歩で散策できます。番号入りの標柱が立つ墳丘がいくつもあり、二十号墳のそばには古墳群全体の解説板があります。ただし整備された公園ではなく、私有地内に残る墳丘もあるため、公道を外れて私有地に立ち入ることのないようご配慮ください。
Q公共交通でのアクセスは
AJR常磐線鹿島駅が最寄りです。駅から西へ徒歩約二十分でA地区の入口にあたる男山八幡神社付近に着きます。一キロメートル西の小池長沼地区にあたるB地区まではさらに歩く必要があり、レンタサイクルやタクシーの併用が便利です。
Q古墳群はいつ頃、誰によって造られたのですか
A築造は五世紀後半から六世紀末まで、古墳時代後期に集中します。被葬者はこの地域を治めた首長層の人々と考えられ、二十号墳の被葬者のように、中央政権から大陸由来の威信財を授与されるほど中央と深く結びついた人物も含まれていたとみられています。
Q金銅製双魚佩はどこで見られますか
A本品は南相馬市の所蔵で、常設展示はされていません。特別展や企画展で公開されることがあるため、実物の鑑賞を希望される場合は、事前に南相馬市博物館の展示スケジュールを確認されることをお勧めします。
Q写真撮影は可能ですか
A公道からの墳丘撮影は問題ありません。私有地に立つ墳丘もあるため、標柱の位置を目安に、敷地境界を越えないようにしてください。ドローン撮影については、事前に南相馬市の文化財担当課への確認が必要です。

基本情報

名称真野古墳群(まのこふんぐん)
所在地福島県南相馬市鹿島区寺内字八幡林・大谷地ほか、同区小池字長沼
指定区分国指定史跡(昭和五十四年〔一九七九〕十月二十四日指定)
管理団体南相馬市(昭和五十六年〔一九八一〕六月十七日指定)
構成A地区(寺内)約八十基、B地区(小池)約二十基、合計約百基。これまでに二十七基が調査報告。径十メートル前後の小円墳が主体で、墳丘長二十八・五メートルの前方後円墳(二十号墳)と径二十一メートルの大型円墳(四十九号墳)を含む
築造時期古墳時代中期末から後期(五世紀後半〜六世紀末)
内部主体礫槨、箱式石棺、変形竪穴式石室、横穴式石室
主な出土品金銅製双魚佩一対(二十号墳、福島県重要文化財)、石製模造品(斧・鎌・槽など、四十九号墳)、直刀、鉄剣、馬具、馬鐸、玉類
アクセスJR常磐線鹿島駅から徒歩約二十分。出土品の関連展示は南相馬市博物館(原町区東ヶ丘公園内、車で約二十分)にて
見学無料。野外で常時見学可能(私有地内の墳丘への立ち入りは不可)

参考文献

真野古墳群 ― 文化遺産オンライン(国立情報学研究所)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/137814
国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/
鹿島区の文化財 ― 南相馬市公式ウェブサイト
https://www.city.minamisoma.lg.jp/tourist/tourist_attractions/historic/culturalproperty/6853.html
真野古墳群A地区20号墳出土金銅製双魚佩の鋲と組立について ― 福島県文化財センター白河館「まほろん」紀要
https://www.fcp.or.jp/mahoron/kiyou/2001_35_1.htm
真野古墳群 ― Wikipedia 日本語版
https://ja.wikipedia.org/wiki/真野古墳群

最終更新日: 2026.05.16