道路工事が掘り当てた1400年前の墓室

昭和44年(1969年)1月、福島県いわき市の海寄りの丘陵で、県道小名浜四倉線の新設工事が斜面を削っていた。その作業の途中、土の奥から思いがけず横穴が姿をあらわす。中をのぞくと、石の壁面には赤と白で描かれた三角の文様が、整然と並んで残されていた。これが中田横穴の発見である。

横穴墓とは、土を盛り上げる古墳とは異なり、丘陵の斜面に横向きに穴を掘って造られた墓をいう。6世紀後半以降、各地でこの形式の墓が増えていく。中田横穴も、太平洋に派生する砂質凝灰岩の丘陵北斜面に営まれた。穴は5基が三段に並んで掘られており、そのうち最下段にあたる1号横穴が、壁画をもつ横穴である。

位置を地図で追えば、夏井川の河口から南へおよそ5キロ、現在の海岸線からは直線で約1.2キロ内陸にあたる。海と丘のあいだ、波音が届くほどの距離に、この墓は造られた。

1号横穴に葬られた武人

発見後ただちに緊急調査がおこなわれ、横穴からはおよそ1300点という、横穴墓としては破格の数の副葬品が見つかった。その内訳から、葬られた人物の性格がうかがえる。挂甲の小札、金銅製の冑、金銅装の太刀、銀製の鉾、そして金銅で飾られた馬具の数々があり、なかには我が国最大級とされる金銅製の大馬鈴も含まれていた。

金銅製の武具や華やかな馬具は、地方で気軽に作れる品ではない。これらは倭王権が地方の有力者へ与えた品々と性格が重なる。中田横穴に葬られた人物は、中央の政権と強い政治的なつながりをもつ地域の指導者であったと考えられている。

副葬品は、墓室にきれいに並べられた状態では出土していない。埋葬ののち、品々は意図的に壊され、後室から運び出されて、前室や羨門部、とりわけ外側の前庭部に置き直されていた。研究者はこれを、埋葬から時を経て横穴が再び開かれ、墓前で祭祀がおこなわれた痕跡と読み解いている。

なぜ史跡に指定されたのか

中田横穴は、昭和45年(1970年)5月11日に国の史跡に指定された。指定を支える理由は、ひとつの遺跡にはまとまりにくい複数の要素が、ここでは重なっている点にある。

前室と後室をもつ複室形態の装飾横穴は数が少ない。壁画は三周の壁にわたって比較的よく残り、羨道部に排水溝を備え、各羨門部には閉塞のための造作が残るなど、横穴としての構造もよく保たれている。そして床面である。壁から壁まで全面が赤く塗られており、これは他の装飾横穴にはほとんど見られない。

出土品が学術にもたらした意味も大きい。一括して検討された副葬品は、6世紀後半の古墳文化と横穴墓に対する理解を、大きく書き改める手がかりとなった。出土品そのものは、福島県の重要文化財に指定されている。

三角文の壁画を読む

1号横穴は、入口から後室の奥壁まで6.67メートルを測り、前室と後室の二室に分かれる。装飾が集中するのは、遺体が納められた後室である。

後室の三方の壁には、赤色と白色による連続三角文が描かれている。三角形は一辺がおよそ40センチ。これを三段に分け、上段は逆向きの正三角形、下の二段は正立の正三角形を配する。近づいて見ると、描き手の手順が読み取れる。三角文の多くには細い線刻で輪郭が施され、赤色の三角文のなかには、白色の顔料を下地としたうえに描かれた部分もある。

後室前壁、すなわち羨門の上部だけは、文様のリズムが変わる。ここでは二色を用いず赤色単彩で、2本の弧状線のあいだに鋸歯状の文様が走る。

そして床である。その全面に赤色の彩色が認められる。専門家がこの一点に注目するのは、ほかにほとんど例がないからだ。室内に立てば、墓室そのものが一色の朱に包み込まれているような印象を受ける。

顔料は石肌に直接置かれた鉱物の色である。長く残ったのは、横穴が密閉され、暗く、温度の安定した状態に保たれてきたからにほかならない。その壊れやすさが、見学者を壁画から慎重に遠ざける理由でもある。

見学と、出土品に会える場所

横穴の内部は、ふだん公開されていない。壁画を守るため後室の温度と湿度は観測が続けられており、一般公開は年に数えるほどの日に限られる。長らく秋に年1回の公開がおこなわれてきたが、日程は変わることがあり、2026年は地域の観光企画にあわせて5月に実施された。公開日の見学は無料で、事前申込も不要である。訪ねる際は、いわき市教育委員会や市の観光案内の告知を、出発前に確認しておきたい。

一方、出土品はずっと身近で見られる。約1300点はいわき市考古資料館に収められ、金銅製の大馬鈴、武具の断片、装身具などが常設展示されている。横穴の内部に入れる機会は限られても、中田横穴が実際に納めていたものは、ここで間近に確かめられる。

いわき市は広い海辺の町で、小名浜港や水族館アクアマリンふくしま、内陸の温泉地などがある。中田横穴を訪れるなら、海沿いの一日に組み込むのが自然だろう。交通は、JR常磐線いわき駅から車でおよそ30分。常磐自動車道いわき中央インターチェンジからも、ほぼ同じ時間で着く。

Q&A

Q横穴の中に入って見学できますか。
A通常は入れません。壁画保護のため、内部の一般公開は年に数日のみで、長く秋に実施されてきました。公開日の見学は無料・申込不要ですが、日程は変動するため、いわき市教育委員会や市の観光案内で事前にご確認ください。
Q出土した品はどこで見られますか。
A約1300点の副葬品はいわき市考古資料館に収蔵され、金銅製の大馬鈴や武具・装身具などが常設展示されています。出土品は福島県の重要文化財に指定されています。
Q中田横穴はいつ造られたものですか。
A墓室の形態と副葬品の特徴から、築造は6世紀後半と推定されています。およそ1400年前の墓です。
Q壁画のどこが珍しいのですか。
A後室の三方の壁に赤と白の連続三角文が三段に描かれ、多くの三角に細い線刻の輪郭が施されています。とりわけ床面が全面赤く塗られている点は、他の装飾横穴にほとんど例のない特徴です。
Qどのような人物が葬られたのですか。
A副葬品から、地域の有力な武人と考えられています。武具や金銅製の冑・太刀、装飾性の高い馬具は、倭王権との結びつきを背景にもつ指導者の姿をうかがわせます。

基本データ

名称中田横穴(なかたよこあな)
所在地福島県いわき市平沼ノ内字中田
指定区分国指定史跡(昭和45年〈1970年〉5月11日指定)
時代古墳時代後期・6世紀後半
構造三段に並ぶ5基の横穴墓。1号横穴は前室・後室をもつ複室形態の装飾横穴で、全長6.67メートル
出土品約1300点。我が国最大級の金銅製大馬鈴を含む。福島県指定重要文化財
発見昭和44年(1969年)1月、県道工事中に発見
公開状況内部は年数日の限定公開のみ(無料)。出土品はいわき市考古資料館で常設展示
アクセスJR常磐線いわき駅、または常磐自動車道いわき中央ICから車で約30分

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「中田横穴」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/386
文化庁 文化遺産オンライン「中田横穴」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/201146
いわき市考古資料館 デジタルミュージアム「中田横穴」
https://iwaki-museum.com/vr/3/
いわき市観光サイト「中田横穴」
https://kankou-iwaki.or.jp/spot/10210
福島県教育委員会 うつくしま電子辞典「中田横穴」
https://www.gimu.fks.ed.jp/plugin/databases/detail/2/18/219

最終更新日: 2026.05.26