美濃の小さな町に残る鎌倉の門

円鏡寺楼門(えんきょうじろうもん)は、岐阜県本巣郡北方町北方にある永仁4年(1296年)建立の寺院建築で、明治42年(1909年)4月5日に国の重要文化財に指定された。

円鏡寺は真言宗の別格本山で、正式には池鏡山円鏡寺と称する。寺伝によれば弘仁2年(811年)に弘法大師空海が勅願により創建したとされ、永延年間(987年から988年ごろ)には一条天皇の勅願寺となった。最盛期には本坊を中心に護摩堂、本地堂、経蔵などが整い、塔頭は16坊を数えたという。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康もそれぞれ庇護を寄せた。現在まで残る美術工芸品と文書の量は相当なもので、地元では美濃の正倉院と呼ばれている。

楼門は境内の東側に建つ。上梁銘によれば永尊という僧が永仁4年に建立したもので、西暦では1296年にあたる。元寇からはすでに二十年ほどが経っていたが記憶はなお生々しく、地方の町でこの規模の造営が行われた事実は、当時の宗教的な気分を推し量る材料になる。

指定の根拠

形式は三間一戸楼門、屋根は入母屋造の檜皮葺である。北方町の解説はこの種の楼門としては全国で二番目に古いとし、岐阜県内でも最古級の建造物に数えられる。

構造は純粋な和様で、同じ世紀に各地の寺院建築へ広がりつつあった禅宗様や大仏様の細部を混じえない。この一貫性そのものが評価の一部をなす。上層の組物は和様三手先で、深い軒の出を支える。尾垂木の鼻は垂直に切り落とし、中備えには間斗束を入れる。柱はすべて円柱として礎石の上に立つ。頭貫に木鼻がなく、下層に長押も打たれていない点にも注意したい。いずれも付けようと思えば付けられた部材であり、省略は選択である。

国の保護が始まったのは明治42年4月5日、当時の法にもとづく特別保護建造物としての指定による。昭和25年(1950年)の文化財保護法施行にともない、その地位が現在の重要文化財へ引き継がれた。大正3年(1914年)には大規模な修理が行われている。

この建物の位置づけを示す事実がひとつある。二十世紀初頭に東京の明治神宮南楼門が設計された際、範とされたのが岐阜の小さな町に建つこの楼門だった。

現地で確かめたい細部

まず妻側へ回りたい。破風には猪目懸魚(いのめげぎょ)が下がる。ハート形の透かしを穿った懸魚で、妻飾は豕叉首式の三角形の構成をとる。軒廻は二軒繁垂木、軒天井を張り、組物と軒板の間は曲面をもつ支輪でふさぐ。

視線を上層へ移す。勾欄を設けた切目縁が四周をめぐり、その縁板は約2センチメートルずつの間隔をあけて張られている。粗い仕事ではない。排水のための設計であり、水平に置かれた木材が七百回の梅雨をどう受けるかを知っていた大工の判断である。

下層には像が立つ。中央間は両開きの板扉、左右の脇間には鎌倉期の木造金剛力士像一対が安置される。この仁王像自体も国の重要文化財に指定されている。門脇の解説パネルは伝運慶作とするが年代が合わないため、記録された事実ではなく伝承として受け取るのが妥当だろう。像は保護用の金網の内側にあるため撮影は難しいが、解剖学的な観察の行き届いた素足の造形は網越しでも見てとれる。

下層内部では、鯖尻が自然な曲線を描く虹梁と、肩の繰形が独特の輪郭をもつ板蟇股を探したい。どちらも典型的な鎌倉の仕事である。ここでの組物は二手先、天井は組入天井とする。

最後に少し離れて全体を見る。屋根の勾配はゆるく、屋根と腰の均衡がよく練られている。明治の建築家が評価し、写し取ろうとしたのはこの質だった。

参拝の実際

円鏡寺は北方町の市街地にあり、一帯はかつての門前町にあたる。楼門は境内東側の入口に開かれた状態で建っているため、予約なしにいつでも見ることができ、撮影も自由である。境内への立ち入りと楼門の見学に拝観料はかからない。

楼門をくぐって境内へ入るのが通常の参拝経路である。上層は公開されていない。仁王像は通路の左右で金網越しに拝することができる。

寺には木造聖観音立像、木造不動明王立像といった国指定の彫刻や、県指定の絵画がまとまって伝わる。これらは常時公開されていないため、拝観を希望する場合は寺または北方町教育委員会へ事前に問い合わせたい。

北方町へは岐阜駅からバスで入る。町の中心部は歩いてまわれる範囲に収まっており、東には岐阜市と金華山の岐阜城がある。半日の行程に組み込みやすい立地である。

Q&A

Q円鏡寺楼門はいつ建てられましたか?
A上梁銘により、円鏡寺楼門は永尊という僧が永仁4年に建立したと伝わります。永仁4年は西暦1296年にあたります。なお文化庁のデータベースは西暦欄を1293年としており、永仁4年とは一致しません。
Q円鏡寺楼門は自由に見学できますか?
A見学できます。円鏡寺楼門は境内東側の入口に開かれた状態で建ち、拝観料も予約も不要です。上層は公開されていません。
Q円鏡寺楼門の中にある像は何ですか?
A円鏡寺楼門の左右の脇間には鎌倉期の木造金剛力士像一対が安置され、この像自体も国の重要文化財に指定されています。保護用の金網の内側にあるため撮影は難しくなっています。
Q円鏡寺楼門はなぜ価値が高いとされるのですか?
A円鏡寺楼門はこの種の楼門として全国で二番目に古いとされ、岐阜県内でも最古級の建造物です。純和様の細部が一貫している点が評価され、明治神宮南楼門の設計の手本ともなりました。
Q円鏡寺楼門へのアクセス方法を教えてください。
A円鏡寺楼門は本巣郡北方町の市街地にあり、岐阜駅からバスで向かうことができます。町の中心部は徒歩でまわれ、東隣には岐阜市があります。

基本情報

名称円鏡寺楼門(えんきょうじろうもん)
所在地岐阜県本巣郡北方町北方
指定区分重要文化財(建造物)/近世以前・寺院
指定年明治42年(1909年)4月5日
員数1棟
寸法国の台帳に全体寸法の記載はなく、形式は三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺と記録される
所有者円鏡寺
公開状況外観は常時見学可、拝観料不要。上層は非公開。他の指定品は常時公開されていない

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「円鏡寺楼門」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/1091
文化遺産オンライン「円鏡寺楼門」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/146291
岐阜県公式ホームページ(文化伝承課)「円鏡寺楼門」
https://www.pref.gifu.lg.jp/page/354501.html
北方町「円鏡寺楼門」
https://www.town.kitagata.gifu.jp/soshiki/kyoiku/1/11/1/2/2/791.html
北方町「北方町文化財観光マップ 円鏡寺」
https://www.town.kitagata.gifu.jp/kanko-bunka-sports/rekishi-bunkazai/1/2/2279.html

最終更新日: 2026.08.06