加納城跡:徳川家康が築いた美濃の要衝、岐阜市の国指定史跡

JR岐阜駅から南へ徒歩約10分、閑静な住宅街の只中に残る加納城跡(かのうじょうあと)は、江戸時代初頭に築かれた近世平城の貴重な遺構です。関ヶ原合戦に勝利した徳川家康自らの命によって築かれたこの城は、中山道を見下ろし、西国に対する備えとして美濃の要衝を担いました。現在も本丸を囲む石垣や土塁、堀の跡が往時の姿を今に伝え、「加納城型」と呼ばれる初期徳川城郭の典型的な縄張りを目にすることができます。

関ヶ原から生まれた城

加納の地には、徳川以前にも城がありました。文安2年(1445年)、美濃国守護土岐将益の執権であった斎藤利永が築いたと伝わる上加納城(かみかのうじょう)です。土岐氏の居城・革手城の備えとして築かれたこの城は、天文年間(1532–1555年)に斎藤道三が稲葉山城(後の岐阜城)に本拠を移したことで廃城となりました。

慶長5年(1600年)、関ヶ原合戦に勝利した徳川家康は、まだ豊臣氏が大坂城に拠る情勢のなか、美濃の支配を確固たるものとする必要に迫られました。織田信長の孫・織田秀信が籠った岐阜城は廃城とされ、その代わりとして、家康は旧加納城の地に新たな城を築くよう命じます。築城は天下普請として進められ、縄張りは家康自らが手がけ、普請奉行には本多忠勝が任じられたと伝わります。岐阜城から運ばれた建材や、山頂にあった天守までもが移築され、本丸北東の二の丸に三階の隅櫓として再利用されたといわれています。

なぜ国の史跡に指定されたのか

加納城跡は昭和58年(1983年)10月28日に国の史跡に指定され、翌年6月21日に岐阜市が管理団体として登録されました。この指定の背景には、複数の歴史的・建築的価値が認められています。

第一に、近世初頭の平城の遺構が極めて良好に残されている点です。二の丸以下は現在では市街地となっていますが、本丸の周囲には築城当初の石垣・土塁・堀跡が今も明瞭に確認でき、平城遺構として全国的にも価値が高いとされています。

第二に、本丸の独特な形状です。本丸の正門前には、東側に張り出した方形の防御区画「出枡形(でますがた)」が設けられ、本丸全体が凸字形を成しています。攻め寄せる敵を一旦狭い空間に誘い込む構造で、初期の徳川系城郭に共通して見られる特徴です。加納城はこの形式の最も早い事例とされ、「加納城型」と呼ばれるようになりました。

第三に、史跡指定後に進められた発掘調査によって、新たな歴史的価値が次々と明らかになっている点も重要です。本丸大手の櫓門の礎石、北側外堀から発見された堀障子(ほりしょうじ)、江戸時代の遺構の下層から確認された戦国時代の土塁など、文献史料を裏付ける成果が積み重ねられています。

見どころ

地上には建物が残っていないものの、本丸周辺を一周するだけで多くの発見があります。南面と西面の石垣は特に保存状態が良く、打込接(うちこみはぎ)と呼ばれる加工をほどこした石が緻密に積まれ、数メートルの高さで往時の姿を伝えています。岐阜市が設置した案内板には、門跡や出枡形、発掘成果の位置が分かりやすく示されており、初めて訪れる方でも構造を読み解くことができます。

本丸内部は加納公園として整備され、春には桜が咲き誇る市民の憩いの場となっています。芝生越しに北を望むと、金華山頂に再建された岐阜城の姿が遠くに見え、岐阜の歴史を象徴する二つの城を一望できる構図が広がります。東側には出枡形の土塁が残り、現地の縄張り図と照らし合わせると、その防御思想を体感できます。

発掘成果に関心のある方には、岐阜市教育委員会が刊行した『加納城跡の発掘:発掘22年の成果』などの報告書が参考になります。堀障子や二の丸御殿の礎石など、平成期の調査で新たに見つかった遺構が詳しく記録されています。

周辺情報

加納は城下町であると同時に、江戸と京都を結ぶ中山道の53番目の宿場「加納宿」でもありました。城跡から北へ歩けば、かつての街道筋に出ます。この一帯では、伝統工芸である和傘づくりが今なお受け継がれており、「城と中山道と和傘のまち」という地域の異名は伊達ではありません。

城跡の西方約500メートルには、臨済宗の盛徳寺(せいとくじ)があります。ここには初代城主・奥平信昌と、その正室で家康の長女である亀姫の墓が静かに佇んでおり、加納城の歴史と合わせて訪れたい場所です。

さらに足を延ばせば、織田信長ゆかりの岐阜城が建つ金華山があります。山頂からは濃尾平野と長良川を一望することができます。夏季の夕暮れには、1300年以上の伝統を誇る長良川の鵜飼が行われ、川面を彩る篝火の幻想的な光景を楽しむことができます。

Q&A

Q入場料はかかりますか。いつでも見学できますか。
A本丸は加納公園として整備されており、年間を通じて自由に見学できます。入場料は不要で、特に開園時間も定められていませんが、見学は明るい日中の時間帯をおすすめします。
Q城の建物は現存していますか。
A残念ながら現存していません。岐阜城から移築されたと伝わる三階櫓は享保13年(1728年)に焼失し、明治5年から6年にかけて残る建物もすべて取り壊されました。一方で石垣・土塁・堀の跡は良好に残されており、当時の縄張りを十分に偲ぶことができます。
Q「加納城型」とは何ですか。
A本丸正門の前に「出枡形」と呼ばれる方形の防御区画を張り出させた縄張りのことで、本丸全体が凸字形を成すのが特徴です。初期の徳川系城郭に見られる形式で、加納城はその最も早い事例として知られています。
Q岐阜駅からのアクセスを教えてください。
AJR岐阜駅から徒歩約10分、名鉄岐阜駅からは徒歩約13分です。本丸跡の南側には来訪者用の小さな駐車場も用意されています。
Q岐阜城と一緒に1日で巡れますか。
Aはい、十分に可能で、特におすすめの組み合わせです。金華山の岐阜城と平地の加納城は、戦国から江戸への権力の移行を体感できる対照的な存在です。加納城の石垣には岐阜城から運ばれた石材が使われたとも伝えられ、二つの城を結ぶ歴史の糸を感じられます。

基本情報

名称 加納城跡(かのうじょうあと)
指定区分 国指定史跡(昭和58年〔1983年〕10月28日指定)
管理団体 岐阜市(昭和59年〔1984年〕6月21日登録)
所在地 岐阜県岐阜市加納丸の内
城郭の種類 平城
築城年 慶長6年(1601年)頃、徳川家康の命により築城。前身の上加納城は文安2年(1445年)築
縄張り 徳川家康(伝)/普請奉行:本多忠勝
初代城主 奥平信昌(10万石)。徳川家康の娘・亀姫の夫
アクセス JR岐阜駅から徒歩約10分/名鉄岐阜駅から徒歩約13分
入場料 無料(本丸跡は加納公園として開放)

参考文献

加納城跡 - 文化遺産オンライン(文化庁)
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/201756
加納城跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/1292
加納城跡 - 岐阜市教育文化振興事業団 埋蔵文化財調査事務所
https://gikyobun.or.jp/maibun/iseki/262_kanou.html
加納城跡 - 岐阜県公式ホームページ(文化伝承課)
https://www.pref.gifu.lg.jp/page/365938.html
加納城 - Wikipedia(日本語)
https://ja.wikipedia.org/wiki/加納城

最終更新日: 2026.05.12