美濃金山城跡——森氏3代が築き、慶長6年に消えた織豊系山城
慶長6年(1601)、関ヶ原の戦いの翌年に金山城は取り壊された。石垣の一部は崩され、桐紋を刻んだ軒平瓦を葺いていた建物群は解体されて、資材の少なからぬ部分は木曽川を下って犬山方面へ運ばれたとされる。残されたのは、岐阜県可児市兼山、古城山の山頂部(標高276メートル)に広がる曲輪と石垣、そして破却の痕跡そのものだった。
美濃金山城跡は、平成25年(2013)10月17日に国の史跡に指定され、平成29年(2017)には続日本100名城(143番)にも選定されている。森可成・長可・忠政の森氏3代(蘭丸も短期間ながら城主の座についている)が約35年にわたって居城とし、織田・豊臣政権下で東美濃支配の拠点となった山城である。
烏峰城から金山城へ:森氏3代の歴史
城の始まりは天文6年(1537)にさかのぼると伝わる。築いたのは斎藤道三の養子とされる斎藤正義で、当時の名は烏峰城(うほうじょう)。正義は東美濃の国衆を従えて勢力を伸ばしたが、天文17年(1548)、近隣の久々利城主に謀殺された。
城の運命が大きく動くのは永禄8年(1565)である。美濃へ進出した織田信長が烏峰城を奪い、家臣・森可成(よしなり)に与えた。可成は名を金山城と改め、織田流の城郭へと改修を始める。可成自身は元亀元年(1570)、近江宇佐山城で浅井・朝倉連合軍と戦って討死。家督を継いだのは13歳の次男・長可(ながよし)だった。後年「鬼武蔵」の異名で恐れられた長可は、織田信忠の与力として武田攻めなどで武功を重ね、金山を東美濃の軍事拠点として整備していく。
天正10年(1582)、甲州征伐後に長可が信濃川中島・海津城へ転封されると、その留守を兄に代わって守ったのが弟の森成利、すなわち蘭丸である。しかし同年6月の本能寺の変で信長とともに18歳で戦死。長可は不安定な川中島を見限って金山へ戻り、天正12年(1584)には小牧・長久手の戦いで井伊直政らに討たれて没する。父・可成と兄弟あわせて15年ほどの間に森家の男子6名が次々と命を落としたことになる。家督と城を継いだ末弟の忠政は、その後16年にわたって城主を務めたが、関ヶ原を目前にした慶長5年(1600)2月、徳川家康の命で信濃川中島13万7500石へ転封される。森氏が去ったあとの金山城は犬山城主・石川貞清の兼帯支配となり、翌慶長6年には犬山城主に交替した小笠原吉次のもとで破城に至った。
国史跡指定の理由:織豊系城郭の好例
国史跡指定の理由として可児市教育委員会と文化庁が挙げているのは、大きく三つの点である。
第一に、織豊系城郭の特徴を示す石垣と瓦の構造。主郭は全周を石垣が囲み、破城前には高さ3メートルに及ぶ箇所もあったと推定される。岩盤を加工して曲輪を造成した部分もあり、防御性と視覚的な効果の両方を意図したつくりがうかがえる。出土した瓦のなかには桐紋の軒平瓦のほか、道具瓦や飾瓦も含まれており、主郭には瓦葺の建物が存在したと考えられている。桐紋の使用は天正15年(1587)に豊臣秀吉から森忠政に許されたものとされ、城の格式の高さを示す手がかりとなっている。
第二に、破城時の状況が良好に残されている点。発掘調査では主郭で4棟の礎石建物が検出され、最盛期と推定される16世紀後半には10の曲輪に礎石建物が存在したことが確認された。出土遺物には土師質のかわらけや瀬戸美濃産陶器(碗・皿・鉢)、中国製磁器などが含まれる。三の丸付近では、慶長6年の破城で意図的に崩落させられた石垣の痕跡が現地に残り、再築を防ぐために石材を斜面へ落とした様子そのものが観察できる。
第三に、後世の改変が少ないこと。元和元年(1615)に尾張藩領となって以降、城跡一帯は留山として保護され、明治以降も国有林として人手が入らなかった。昭和28年(1953)に兼山町(現・可児市)に払い下げられて公園化や調査が進んだが、近世初頭の破却直後の遺構がほぼそのまま残された山城は全国的にも珍しい。可児市教育委員会は平成18年度(2006)から5年をかけて全体測量と確認調査を実施し、城郭の全貌が明らかになった。
歩いて見る見どころ
登城口は複数あるが、最も歩程が短いのは出丸(西Ⅲ郭)の駐車場からのルートである。三の丸、二の丸を経て主郭まで10〜15分。麓の大手道側から登ると約40分かかる。古城山の山頂部には主郭を中心に東・南・西・北の各方向へ曲輪が配置され、南西端の出丸と南東端の左近屋敷(東Ⅵ郭)を含めると、城域はかなりの広がりを持つ。
注目したいのは南Ⅰ郭と主郭北東部に残る桝形虎口。曲輪間の動線が直線的でなく、攻撃側の進路を曲げて視界を遮るよう設計されており、戦国末期の虎口の発達段階を実地で観察できる。本丸虎口の正面石垣沿いには4個の礎石が確認されており、虎口を覆う櫓門のような建物があったと推定されている。本丸南西端には天守台の隅石が残り、特に南面の石垣は良好な状態で見学できる。
もっとも見応えのある石垣は、実は山頂ではなく北麓にある。米蔵跡と伝わる曲輪の北面には高さ約5.3メートルの石垣が積まれており、これは現存する金山城遺構のなかで最大規模である。主郭との比高差は約160メートル。山上と山麓の両方を歩いてはじめて、この城が想定していた規模感が体感できる。
三の丸の破城跡も見逃せない。崩れた石垣と散乱する石材が、慶長6年の破却作業の痕跡そのものとして保存されている。要所に立つ可児市教育委員会の解説板を読みながら歩けば、近世初頭の「破城」という、ふだん意識される機会の少ない歴史過程を読み取ることができる。
周辺の見どころ
登城前後の拠点となるのが、可児市戦国山城ミュージアム(兼山675-1)である。明治18年(1885)に竣工した懸け造り3階建ての旧兼山小学校校舎を改修した施設で、北面から見ると3階建て、南面から見ると2階建てに見える独特の構造をもつ。展示は美濃金山城跡と森家、可児市内に点在する戦国期の山城(明智城、久々利城、今城など)が中心。続日本100名城のスタンプは隣接する可児市観光交流館に置かれている。同館では甲冑試着体験や、甲冑姿で金山城に登る「イクササイズ」も実施されている。
金山城の城門の一部は廃城後に他所へ移築されて現存する。犬山市の瑞泉寺に移されていた二の門は、可児市への寄贈を経て令和7年(2025)3月、戦国山城ミュージアム内に移築復原された。可児市内では浄音寺の山門が裏木戸門の移築と伝わり、同寺には築城者・斎藤正義の墓もある。
森家ゆかりの可成寺には森一族の墓と、森長可の脛当・肖像画が伝わる。少し足を延ばせば、可児市瀬田に明智光秀ゆかりの明智城跡(市指定史跡)がある。信長の小姓だった蘭丸の生地と、本能寺で信長を討った光秀の生地が、わずか数キロを隔てて並存しているという地理関係そのものも、この一帯を歩く意味の一つになっている。
Q&A
- 城跡の見学に料金はかかりますか。
- 城跡そのものは終日無料で見学できます。麓の可児市戦国山城ミュージアムは一般210円(高校生以下無料)で、続日本100名城スタンプは隣接する可児市観光交流館で押せます。
- 所要時間の目安は。
- 出丸の駐車場からなら本丸往復で30〜45分程度です。北麓の米蔵跡石垣まで含めると90分前後。じっくり遺構を観察したい場合は半日を見ておくと安心です。ミュージアム見学にはさらに1時間ほどを加えてください。
- 金山城の建物は本当に犬山城に移築されたのですか。
- 江戸期の『正事記』などに見える「金山越」の伝承で、戦前から関心が寄せられてきました。昭和36年(1961)の犬山城天守解体修理では移築の物証が見いだされず、いったん否定されています。近年、犬山城北側で出土した桐紋瓦などをめぐって再検討が進んでおり、議論は続いている状況です。城門については、犬山市瑞泉寺に移築されていた二の門が令和7年(2025)3月、戦国山城ミュージアム内に移設・公開されました。
- 登城路は普通の靴で歩けますか。
- 主要ルートは整備されていますが、石や木の根が露出した山道で起伏もあります。歩きやすい靴を推奨します。出丸駐車場までの車道は道幅が狭く、すれ違い困難な箇所があるため運転には十分注意してください。なお、駐車場までの道路は夜間(おおむね17時〜翌朝8時30分)通行止めとなります。
- おすすめの季節は。
- 南麓の蘭丸ふる里の森一帯が桜に包まれる3月下旬〜4月上旬、視界が開けて石垣の観察がしやすい11月の晩秋が特におすすめです。夏季は下草が伸び、石垣の細部が見づらくなる傾向があります。
基本情報
| 名称 | 美濃金山城跡(みのかねやまじょうあと) |
|---|---|
| 所在地 | 岐阜県可児市兼山 |
| 指定区分 | 国指定史跡(平成25年〈2013〉10月17日指定、告示第142号) |
| 指定基準 | 二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡 |
| 時代 | 戦国・安土桃山 |
| 標高 | 276メートル(主郭) |
| 関連選定 | 続日本100名城143番(平成29年〈2017〉4月6日選定) |
| アクセス | 名鉄広見線「明智駅」からYAOバスで約15分、「元兼山町役場前」または「城戸坂」バス停下車、登城口まで徒歩約15分。車:東海環状自動車道「可児御嵩IC」より約10分 |
| 見学時間 | 城跡は終日見学可。出丸駐車場までの車道は夜間(おおむね17時〜8時30分)通行止め |
| 料金 | 城跡は無料。戦国山城ミュージアムは一般210円、高校生以下無料 |
| 可児市戦国山城ミュージアム | 可児市兼山675-1。開館9:00〜16:30(入館は16:00まで)。月曜(祝日の場合は開館、翌日休館)・年末年始休館。Tel: 0574-50-8443 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース「美濃金山城跡」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/00003817
- 文化遺産オンライン「美濃金山城跡」
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/260582
- 岐阜の旅ガイド「国史跡 美濃金山城跡」
- https://www.kankou-gifu.jp/spot/detail_4238.html
- 可児市「ご利用案内(戦国山城ミュージアム)」
- https://www.city.kani.lg.jp/10027.htm
最終更新日: 2026.05.20