荘川の養蚕用具 — 合掌造りの屋根裏に息づいた山村養蚕の記憶
岐阜県飛騨地方の山深い旧荘川村では、かつて家々の合掌造りの屋根裏で蚕が育てられ、繭が紡がれていました。「荘川の養蚕用具」は、その営みを伝える230点の用具一式で、昭和38年(1963年)に国の重要有形民俗文化財に指定されています。現在は岐阜県高山市の野外博物館「飛騨民俗村」に保管・展示されており、移築された合掌造り民家の二階・三階を舞台に、雪深い山里に生きた人々の養蚕の暮らしを今に伝えています。
養蚕に支えられた山村の暮らし
旧荘川村(2005年の合併で現在は高山市の一部)は、庄川上流の山あいに広がる豪雪地帯です。隣接する白川郷と同じく、急勾配の茅葺き屋根を備えた合掌造りの民家が建ち並んでいました。雪を落とすために考えられたこの大屋根の下には、二層から三層に分かれた広大な屋根裏空間が確保されており、後に養蚕に最適な場として活用されることになります。
山に囲まれたこの地域では耕作に適する農地が狭く、稲作だけでは十分な収穫を得られませんでした。そのため江戸時代以降、合掌造りの家々は現金収入を補うために二つの産業に頼ります。一つは火薬の原料となる塩硝(えんしょう)の製造、もう一つが養蚕です。明治時代に入って塩硝が衰退すると、養蚕は山村経済の中心へとさらに比重を増し、合掌造りの広く風通しのよい屋根裏は、大規模な蚕の飼育空間として欠かせない存在となりました。
用具がここに集まるまで
「荘川の養蚕用具」が一つのコレクションとしてまとめられたのには、特別な経緯があります。昭和30年代、御母衣(みぼろ)ダムの建設により庄川沿いのいくつかの集落が水没することが決まり、貴重な合掌造り民家を救い出す動きが始まりました。その代表的な一棟が、寛政9年(1797年)建築の旧若山家住宅です。同家は丁寧に解体され、昭和34年(1959年)に高山市の野外博物館へと移築されました。これが現在の飛騨民俗村の出発点となります。
若山家が再建された際、二階と三階は当時の養蚕施設をそのままの形で残す方針がとられました。屋根裏を満たしていた蚕飼育の道具類は、ほかの旧荘川村の家々から集められた用具とあわせて一括の民俗資料として整理されます。そして昭和38年(1963年)5月15日、230点の用具群が国の重要有形民俗文化財に指定されました。山村における養蚕文化の総合的な姿を伝える、まとまりのある資料群として高く評価された結果です。
なぜ重要文化財に指定されたのか
有形民俗文化財の指定は、一つの「名品」ではなく、ある暮らしの全体像を伝える「ひと揃いの道具群」に対して与えられます。荘川の養蚕用具がその要件を満たしているのは、大きく三つの理由によるものです。
第一に、用具群が驚くほどよく揃っていることです。230点の内訳は飼育関係207点、繭処理関係23点とされ、卵から繭へという養蚕の全工程をほぼ網羅しています。これほど連続性のある資料群が残されている例は多くありません。
第二に、用具が建築空間と一体で保存されていることです。旧若山家住宅が屋根裏の養蚕施設ごと移築されたため、用具と建物の関係――どの道具がどの空間でどう使われていたか――を立体的に読み取ることができます。これは博物館の展示ケースだけでは得られない大きな価値です。
第三に、地域的な特色を備えていることです。雪深い合掌造り地帯での養蚕は、関東平野や信州盆地の養蚕とは異なる手法・空間構成・大家族労働の上に成り立っていました。荘川の用具にはその独自性が随所に表れており、明治中期まで存続していた山村養蚕の在り方を具体的に示すものとして貴重です。
用具の世界をのぞいてみる
養蚕用具と一口に言っても、その種類はじつに多彩です。約一か月という蚕の生涯の各段階にあわせて、小さな筆のような道具から大きな棚まで、用途別の道具が組み合わされて使われていました。
飼育関係の道具では、蚕を広げて桑の葉を与える平たい竹編みの「蚕箔(さんぱく)」、孵化したばかりの毛蚕(けご)を蚕箔へ掃き移すための鳥の羽でできた箒、蚕の糞や食べかすを掃除する際に用いる「藺網(いあみ)」などが代表的です。さらに、室温や湿度を管理する道具、桑の葉を刻むための包丁と俎板、屋根裏に蚕箔を何段にも積み重ねるための木製の棚なども含まれています。
繭処理関係の道具は、蚕が桑を食べなくなり繭を作り始める段階で使われたものです。蚕は「蔟(まぶし)」と呼ばれる藁や紙の小部屋に移され、そこで繭を紡ぎます。コレクションには蔟を作るための「蔟折機(まぶしおりき)」や、繭の外側にまとわりつく毛羽を取り除く「毛羽取機(けばとりき)」などが含まれており、桑を食む蚕の段階から、出荷可能な繭の段階までの工程をひと続きにたどることができます。
飛騨民俗村での見どころ
用具群が展示されている飛騨民俗村(飛騨の里)は、高山市街の南西、松倉山麓の小高い丘に広がる野外博物館です。用具そのものに加えて、いくつかの魅力が訪問の楽しみを大きく広げてくれます。
まず注目したいのは、移築復元された民家群そのものです。敷地内には合掌造りを中心に30棟以上の民家が並び、そのうち4棟は国指定重要文化財に指定されています。実際に屋根裏まで上がって、なぜこの大屋根が養蚕に向いていたのかを身体で実感することができます。
季節ごとの表情も大きな見どころです。春には桜が茅葺き屋根を彩り、夏には深い軒下に涼しい風が通り、秋には五阿弥池のまわりの紅葉が映え、冬には豪雪の中に建物が沈み込みます。期間限定で行われる夜間のライトアップでは、雪明かりに浮かぶ合掌造りの姿を眺めることもできます。
体験プログラムも充実しています。日替わりで、わら細工、さしこ細工、組ひも、絵付けなどの伝統工芸の実演や体験が行われており、養蚕とともに山村の暮らしを支えてきた手仕事に触れることができます。
あわせて訪れたい周辺スポット
飛騨民俗村は、歴史豊かな高山の市街地に近く、養蚕用具の見学とあわせて楽しみたい見どころが数多く点在しています。
江戸時代の町家や酒蔵が残る古い町並み「三町(さんまち)」までは、バスや車で15分ほどです。同地区には、現存する数少ない江戸期の代官・郡代役所「高山陣屋」も建っています。高山祭の屋台を間近に見学できる「高山祭屋台会館」も同じ徒歩圏内にあり、こちらも国指定の文化財です。
もう少し足を延ばせば、ユネスコ世界遺産の白川郷へ日帰りで訪れることもできます。荘川の養蚕用具が使われていたのと同じタイプの合掌造り民家が、いまも実際に人の住む集落として残っており、用具と建築のつながりをよりいきいきと体感することができます。高山と白川郷を結ぶ路線バスは、所要時間およそ50分です。
Q&A
- 「荘川の養蚕用具」はどこで見ることができますか。
- 岐阜県高山市上岡本町1-590にある飛騨民俗村(飛騨の里)に保管・展示されています。野外博物館の敷地内に建つ移築復元された合掌造り民家のなかで、用具が使われていた実際の空間に近い形で展示されているのが特徴です。
- 指定はいつ受けたものですか。点数はどれくらいありますか。
- 昭和38年(1963年)5月15日に、国の重要有形民俗文化財として指定されました。点数は全230点で、内訳は飼育関係207点、繭処理関係23点です。所有は高山市となっています。
- 荘川では今も養蚕が行われているのですか。
- かつてのような山村養蚕は途絶えています。明治後期以降、養蚕を支えていた大家族制度の崩壊や、市場環境の変化により急速に衰退しました。本コレクションは、その失われた山村経済の姿を後世に伝える記録として大切に保管されています。
- 飛騨民俗村を巡るにはどのくらい時間が必要ですか。
- じっくり見学する場合、2〜3時間が目安です。合掌造り民家の屋根裏まで上がり、養蚕用具の展示や伝統工芸の実演まで楽しむのであれば、半日ほどを確保すると安心です。
- 高山駅からのアクセス方法を教えてください。
- JR高山駅から飛騨民俗村方面のバスでおよそ10分です。「さるぼぼバス」など複数の路線が運行しており、車の場合は駅から約10分、駐車場も整備されています。
基本情報
| 名称 | 荘川の養蚕用具(しょうかわのようさんようぐ) |
|---|---|
| 指定区分 | 国指定重要有形民俗文化財 |
| 指定年月日 | 昭和38年(1963年)5月15日 |
| 点数 | 230点(飼育関係207点・繭処理関係23点) |
| 所在地 | 岐阜県高山市上岡本町1-590(飛騨民俗村内) |
| 所有者 | 高山市 |
| 由来 | 旧大野郡荘川村(現・高山市荘川町)の合掌造り民家で使用された養蚕用具 |
| 展示空間 | 移築復元された合掌造り民家群(旧若山家住宅 寛政9年〔1797年〕建築を含む) |
| アクセス | JR高山駅からバスで約10分 |
参考文献
- 文化遺産オンライン「荘川の養蚕用具」
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/208060
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/301/97
- 岐阜県公式ホームページ「荘川の養蚕用具」
- https://www.pref.gifu.lg.jp/page/364988.html
- 飛驒民俗村・飛驒の里 公式サイト
- https://hidanosato.com/
- 文化遺産オンライン「旧若山家住宅(旧所在 岐阜県大野郡荘川村)」
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/146241
- Wikipedia「飛騨民俗村」
- https://ja.wikipedia.org/wiki/飛騨民俗村
最終更新日: 2026.05.15