門屋が郵便局になった
平形家住宅門屋(旧中山郵便局)は、群馬県吾妻郡高山村中山にある江戸末期建築の木造2階建の建物で、平成10年(1998年)9月2日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。三国街道中山宿・新田本陣の門屋(長屋門)として建てられ、その一部が明治6年(1873年)から昭和41年(1966年)まで中山郵便局として使われた。
建築面積は約158平方メートル、屋根は鉄板葺。街道に面して建ち、外観は伝統的な町屋に近い。おもしろいのはここから先である。近世の交通と輸送のために建てられた建物が、明治4年(1871年)に郵便制度が発足したわずか二年後、その新しい制度の窓口へと姿を変えた。
文化庁は登録基準を「再現することが容易でないもの」とし、山間の地に開設された初期の郵便局舎の様子を示す類例の少ない事例として貴重だと評価している。
三国街道中山宿という場所
三国街道は、中山道の高崎宿から北へ、子持山と小野子山の間の中山峠を越えて、越後・佐渡へ至る道である。江戸と日本海側を結ぶ最短路で、長岡藩をはじめとする諸藩の参勤交代路として、また佐渡金山奉行の通路として使われた。
中山宿が開かれたのは慶長17年(1612年)。この宿場には少し変わった仕組みがあった。本宿と新田宿の二つに分かれ、宿駅の業務を交替で務めていたのである。それぞれが本陣を持っていた。平形家が務めたのは新田側の本陣で、同家は同時に荷物と飛脚を扱う問屋でもあった。
その新田の本陣は文政年間(1818年から1830年)に焼失している。再建にあたっては、同家が問屋であったことから、長岡藩主をはじめ三国街道筋の荷主・飛脚問屋、その宰領が寄進を寄せ、本陣として復興された。街道の物流が、この一軒に頼っていたことがよくわかる出来事だ。当時のままの書院が今も残っている。
門屋と母屋の中間には、殿様が泊まった棟が建つ。上段の間、違い棚の床の間、畳敷きで木戸の無い風呂場、近臣が控えた次の間、宿札。これらが当時のまま保存されていると伝わる。
飛脚から郵便へ、同じ建物のなかで
この建物の二つの用途は、切れ目なくつながっている。明治4年より前、この街道の手紙は飛脚が運んだ。その飛脚を差配していたのが平形家のような問屋であり、幕府の公用便は本陣が扱った。近代郵便がその仕組みを置き換えたとき、仕事は別の場所へ移らなかった。同じ建物のなかで、名前だけが変わったのである。
明治6年、門屋の一部が改造され、中山郵便局として開局した。改造された部分はかつての旅籠の客室だったとする説明もある。以後、昭和41年までの93年間、郵便局として使われ続けた。一本の街道の通信を担った二つの制度が、同じ壁の内側に痕跡を残していることになる。
この種の建物はめったに残らない。郵便局舎は手狭になれば建て替えられ、本陣は宿駅制度の終焉とともに解体された。中山の例が残ったのは、二つの用途がたまたま同じ建物を使い続けたからである。
もう一方の本宿本陣は、そうはいかなかった。大正時代の火災で焼失している。ただし街道に面した門構と裏庭には本陣の面影が残り、書院の上段の間は二重張りだったと伝えられている。
訪ねるときに
平形家住宅は個人の所有で、資料館として公開されているわけではない。受付も、開館時間も、内部見学の案内もない。街道に面した門屋の外観を道路から眺めるかたちになる。かつてもそのように見られてきた建物なので、公道から見るぶんには何も差し支えない。
敷地内には大ケヤキが立つ。樹齢約600年、根回り13.7メートル、高さ約30メートル。平成元年(1989年)11月30日に高山村の天然記念物に指定された。門屋の向こうに大きく枝を広げる姿を見れば、この道がどれだけ長く使われてきたかが実感できる。
高山村は渋川と中之条の間、群馬県北部にある。拠点になるのは道の駅中山盆地で、日帰り温泉の高山温泉ふれあいプラザや中山城跡も近い。文化財についての問い合わせは高山村教育委員会が窓口となっており、村は位置情報のQRコードを載せた文化財ガイドも公開している。
ひとつ紛らわしい点を整理しておきたい。名前が似ているが、中山宿があるのは三国街道であって中山道ではない。二つの道が接するのは高崎で、三国街道はそこから北へ分かれていく。
Q&A
- 平形家住宅門屋(旧中山郵便局)は見学できますか。内部は公開されていますか。
- 個人の所有で資料館としての公開はなく、受付も開館時間もありません。内部の見学はできませんが、街道に面した門屋の外観は公道から眺められます。敷地内へは立ち入らないでください。
- 平形家住宅門屋はいつ建てられ、いつ登録有形文化財になりましたか。
- 建築は江戸末期で、文化庁は1830年から1867年の間としています。登録は平成10年(1998年)9月2日、告示は同年9月25日、登録番号は10-0029です。
- 平形家住宅門屋が中山郵便局として使われたのはいつまでですか。
- 明治6年(1873年)に建物の一部が改造されて開局し、昭和41年(1966年)まで93年間にわたって郵便局として使われました。日本の近代郵便制度が始まった明治4年からわずか二年後の開局です。
- 中山宿における平形家の役割は何だったのですか。
- 中山宿は本宿と新田宿に分かれて宿駅業務を交替で務めており、平形家はそのうち新田の本陣を務めました。あわせて荷物や飛脚を扱う問屋でもあり、三国街道の物流を担っていました。
- 平形家住宅門屋の周辺には他に何がありますか。
- 敷地内に樹齢約600年の大ケヤキ(高山村指定天然記念物)があります。近隣には道の駅中山盆地、高山温泉ふれあいプラザ、中山城跡があり、門構と裏庭が残る本宿本陣跡も訪ねられます。
基本情報
| 名称 | 平形家住宅門屋(旧中山郵便局)(ひらかたけじゅうたくもんや(きゅうなかやまゆうびんきょく)) |
|---|---|
| 所在地 | 群馬県吾妻郡高山村中山103-1 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) 登録番号 10-0029 |
| 指定年 | 平成10年(1998年)9月2日 登録(告示 同年9月25日、第13回) |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造2階建、鉄板葺、建築面積158平方メートル |
| 所有者 | 個人 |
| 公開状況 | 非公開(街道沿いの公道から外観のみ見学可) |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁) — 平形家住宅門屋(旧中山郵便局)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00000756
- 文化遺産オンライン(文化庁) — 平形家住宅門屋(旧中山郵便局)
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/176976
- 高山村観光案内 — 三国街道中山宿
- https://www.takayama-kanko.jp/info/rekishi/mikunikaido.html
最終更新日: 2026.08.08