標高1,600メートル超のホタル生息地
長野県山ノ内町、志賀高原の中腹に標高1,580〜1,620メートルの湿地帯がある。岩倉沢川という小さな沢に沿って広がるこの一帯では、夏の数週間、日本最大級のホタル「ゲンジボタル」が舞う。注目すべきはその標高である。ゲンジボタルの生息地として国内で記録されてきた最高地点は山梨県富士河口湖町・忍野村の840メートルで、石の湯はその約2倍に位置する。
正式名称は「志賀高原石の湯のゲンジボタル生息地」。文化庁が2008年(平成20年)3月28日に国の天然記念物に指定し、2017年(平成29年)10月13日には保護区域が追加指定された。現在の指定面積は158,721.09平方メートル、約15.87ヘクタールである。
火山と温泉が育てた特異な環境
これほどの高地でホタルが世代を重ねていられるのは、地形と地質の偶然による。約25万年前、志賀火山の噴火による溶岩流が角間川をせき止め、流域に湖が形成された。湖底には厚さ50メートルほどの土砂が堆積し、やがて角間川の侵食で湖水が抜けると、その柔らかな堆積層を底に持つ低地が残った。岩倉沢川はその低地を流れ、志賀山西部の山地に染み込んだ雨水と雪解け水を集めて角間川へと注いでいる。
沢沿いの3か所からは温泉水が湧き出しており、これが流れに合流して水温を底上げしている。幼虫の餌となる巻貝・カワニナが繁殖するには一定の水温が必要だが、本来この標高の渓流では水が冷えすぎてカワニナが定着しにくい。温泉の流入がカワニナの個体数を支え、結果としてゲンジボタルの世代交代を可能にしている。
指定の根拠となった生態学的特徴
指定基準は「特有の産ではないが、日本著名の動物としてその保存を必要とするもの及びその棲息地」。種としては全国に分布するゲンジボタルだが、この生息地に固有の生態が複数確認されている点が評価された。
調査の蓄積は厚い。昭和57年(1982年)から三石暉弥氏と長野西高等学校生物班が継続的に観察を続けており、その記録は他の文献では報告のない特徴を浮かび上がらせた。第一に、成虫の発生期間が極端に長い。一般の生息地では1か月ほどで終わるのに対し、石の湯では平均3か月を超え、5か月に及んだ年もある。第二に、成虫の寿命が長く、明滅周期も他地より緩やかである。10月、気温が氷点下に下がり雪の舞う夜にも飛翔個体が確認されたとの記録もある。
観賞の手引き
指定区域は「志賀高原ゲンジボタル公園」として整備されており、7月上旬から8月下旬まで地元の整備委員会が交通誘導と注意事項の説明を行っている。入場は無料。
最盛期は7月中旬から8月中旬。例年5月末から9月にかけて成虫が観察されるため、夏休み中に確実に出会える数少ない生息地のひとつである。駐車場から観賞ポイントまでは緩やかな下り坂を歩いて10分ほど。帰りは登り坂になるため、小さな子どもや脚の弱い方にはやや負担となる。
ホタルは光で交信する昆虫である。懐中電灯、スマートフォンの画面、カメラのフラッシュ、いずれもホタルの発光を止めてしまうため使用は禁じられている。写真撮影が許可されるのは8月上旬から下旬の指定された期間、20時30分以降に限られ、フラッシュ撮影は通年で禁止。虫除けスプレーの噴霧、川への接近、ペットの持ち込みも認められていない。会話は小声で、ゆっくり歩くことが求められる。
駐車場周辺は集落の灯りから遮られた窪地にあるため、晴れた夜にはホタルの光と頭上の星空が同時に楽しめる。標高1,600メートルの夏の夜は気温が15℃を下回ることも珍しくないので、薄手の上着を一枚持参するとよい。
周辺の見どころ
石の湯は国道292号沿い、木戸池と熊の湯温泉の中間に位置する。志賀高原は上信越高原国立公園の一部で、湿原や白樺林を巡る遊歩道が整備されている。木戸池は水面に周囲の山々を映す静かな池で、車で数分の距離にあり、ホタル観賞前の昼間に立ち寄るのに適する。田ノ原湿原や前山周辺のトレイルも、宿泊滞在型の旅程に組み込みやすい。
公園の徒歩圏には石の湯ロッジと幸の湯ホテルがある。いずれも岩倉沢に流入するものと同じ源泉系の温泉を引いており、ホタルを育てている湯にそのまま浸かれる宿として知られる。
Q&A
- いつ頃が観賞のベストシーズンですか。
- 7月中旬から8月中旬が最も個体数の多い時期です。風がなく蒸し暑い夜の20〜21時頃が活動のピークで、雨や強風、冷え込む夜は数が減ります。
- 写真撮影はできますか。
- 原則として禁止です。8月の限られた期間のみ、20時30分以降に撮影が許可されますが、フラッシュ撮影は全期間を通じて不可です。詳細は現地の整備委員会の指示に従ってください。
- 車を使わずに行けますか。
- JR長野駅から長電バスの志賀高原行きに乗り、平床または山の駅で下車する経路があります。夜間の観賞地までは公共交通機関が通っていないため、宿泊先に送迎を相談するのが現実的です。
- 真夏でも上着は必要ですか。
- 必要です。標高約1,600メートルの夜は7月でも15℃を下回ることがあるため、薄手のジャケットやフリースを用意してください。
- 子ども連れでも訪れて大丈夫ですか。
- 問題ありませんが、駐車場から観賞地まで片道10分ほど歩く必要があり、帰路は上り坂です。ベビーカーは使いにくく、静かに見守れる年齢のお子様が安心です。
基本データ
| 名称 | 志賀高原石の湯のゲンジボタル生息地 |
|---|---|
| 所在地 | 長野県下高井郡山ノ内町 |
| 指定区分 | 国指定天然記念物(指定基準二) |
| 指定年月日 | 2008年(平成20年)3月28日/追加指定 2017年(平成29年)10月13日 |
| 面積 | 158,721.09平方メートル(約15.87ヘクタール) |
| 標高 | 1,580〜1,620メートル |
| 対象種 | ゲンジボタル(Luciola cruciata) |
| 観賞期 | 5月末〜9月(最盛期 7月中旬〜8月中旬) |
| アクセス | 上信越自動車道 信州中野ICから車で約40分。国道292号、木戸池と熊の湯の間 |
| 入場料 | 無料 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「志賀高原石の湯のゲンジボタル生息地」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/00003584
- 志賀高原観光協会「志賀高原日本一のゲンジボタル」
- https://www.shigakogen.gr.jp/hotaru/
- 志賀高原公式サイト「ホタル観賞」
- https://www.shigakogen.gr.jp/green_season/hotaru.html
- 山ノ内町「国天然記念物志賀高原石の湯のゲンジボタル生息地保存活用計画書」
- https://www.town.yamanouchi.nagano.jp/material/files/group/33/gennzibotarukeikakusyo.pdf
最終更新日: 2026.05.18