例幣使街道に構えた名主の家
田沼家は、足利市東部の島田町で、江戸中期からこの地に住居を構えてきた旧家である。代々村の名主を勤め、明治以降も地域の素封家として続いた。主屋は、旧日光例幣使街道に北面する屋敷地の北西寄りに、街道に背を向けて南面して建つ。例幣使街道は、江戸時代、朝廷から遣わされた例幣使が日光東照宮に幣帛を奉じるために毎年通った道である。
伝承では、主屋の創建は江戸中期にさかのぼり、年代の判明する部分は寛文から寛延頃、すなわち1661年から1750年の間とされる。明治27年(1894年)頃に大きく増改造され、現在の外観は、この明治中期以降の姿を映す。桁行九間半、梁間四間、切妻造、桟瓦葺で、建築面積は約233平方メートル、一部を二階建とする。
茅葺から瓦へ
主屋は平成18年(2006年)8月3日、国土の歴史的景観に寄与する建造物として登録有形文化財に登録された(登録番号09-0145)。土蔵、表門、外塀、稲荷社とともに一括して登録された田沼家住宅の中心をなす建物である。
その関心の一半は、変化の履歴にある。主屋はもと寄棟造・茅葺の、古い関東の農家に連なる建物であった。明治の増改造によって、現在の切妻・桟瓦葺の屋根となり、北方には台所などを角屋として張り出し、東面には入母屋造の車寄を付けた。内部は東半を土間とし、西半に六間取をとる。これらの特徴を合わせると、明治中期以降に整えられた名主屋敷の姿が保たれていることがわかる。
家の格をかたちづくるもの
主屋を正面の薬医門と合わせて見ると、その構えは名主の屋敷として明快に読める。格式ある門からの導入、江戸中期の創建にさかのぼるとされる式台をもつ主屋、そして役人や客を迎えるにたる規模の座敷。足利にこの格の住宅はわずかしか残っておらず、そのことが登録の大きな理由でもある。
東面の車寄は、公道からも一見の価値がある。入母屋の屋根は、かつて重要な来客が到着した地点を示す。主屋は現在も個人の住居で、公開されていない。とはいえ足利は訪ねる価値のある町で、日本最古の学校とも称される足利学校や、鑁阿寺は、いずれも西へ車で少しの距離にあり、一年を通じて参観できる。
Q&A
- 田沼家とはどのような家ですか。
- 江戸中期から島田町に住居を構えた名主の家で、明治以降も足利の素封家として続いた旧家です。
- 古い茅葺農家と屋根の印象が違うのはなぜですか。
- 主屋はもと寄棟造・茅葺でしたが、明治27年頃に増改造され、現在の切妻・桟瓦葺の屋根や車寄が整えられました。
- 例幣使街道とは何ですか。
- 江戸時代、朝廷の例幣使が毎年、日光東照宮へ幣帛を奉じるために通った道です。屋敷はその旧街道に北面しています。
- 主屋は見学できますか。
- いいえ、個人の住居です。近くの足利学校や鑁阿寺は公開されており、あわせて訪ねるとよいでしょう。
基本情報
| 名称 | 田沼家住宅主屋(たぬまけじゅうたくしゅおく) |
|---|---|
| 所在地 | 栃木県足利市島田町409 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 登録年月日 | 平成18年(2006年)8月3日/登録番号09-0145 |
| 員数・構造 | 1棟/木造平屋一部2階建、瓦葺、建築面積約233㎡ |
| 時代 | 江戸中期(1661~1750年)、1894年頃増改造 |
| 形式 | 切妻造・桟瓦葺、桁行九間半・梁間四間、北方に角屋、東面に車寄 |
| 公開状況 | 個人住宅のため非公開 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース — 田沼家住宅主屋
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00005559
- 足利市公式ホームページ — 田沼家住宅(主屋・土蔵・表門・外塀・稲荷社)
- https://www.city.ashikaga.tochigi.jp/education/000029/000169/000627/p000810.html
- 文化遺産オンライン — 田沼家住宅主屋
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/118637
最終更新日: 2026.07.03