天神山古墳 ― 東日本最大の前方後円墳

群馬県太田市、東武伊勢崎線太田駅の東およそ1.2キロの平地に、全長210メートルの巨大な墳丘が横たわっている。天神山古墳である。前方後円墳としては東日本で最も大きく、墳丘長が200メートルを超える古墳は、近畿地方を離れた東国ではこの一基しか知られていない。一方の端に立って反対の端を眺めれば、これを築いた力の大きさが一目で伝わってくる。

古墳には男体山(なんたいさん)古墳というもう一つの名がある。北東に近接する女体山(にょたいさん)古墳と対をなす呼び名で、二基はともに古墳時代中期、各地の首長が巨大な土の高まりによって権力を示した時代の所産である。

毛野を治めた大首長

築造は5世紀前半、古墳時代の中期にあたる。出土した埴輪や土師器の年代観から、5世紀の中頃まで下げて考える研究者もいる。

葬られた人物は、現在の群馬県と栃木県西部にあたる毛野(けぬ)の地を治めた首長と考えられている。太田市の周辺はとりわけ古墳の多い土地で、すでに失われたものを含めると約1,200基の古墳が確認されてきた。直径10メートルほどの小さな円墳から大型の前方後円墳まで、その頂点に立つのが天神山古墳である。

規模の大きさからは、被葬者の影響力が一つの谷あいにとどまらなかったことがうかがえる。研究者の多くは、この人物を畿内のヤマト政権と強く結びつけて捉え、東毛の首長がヤマト王権の後ろ盾を得て毛野全域に及ぶ支配を固めた証と読む。ただし異なる見方もあり、被葬者が誰であったかは確定していない。

史跡に指定された理由

天神山古墳が国の史跡に指定されたのは昭和16年(1941年)1月27日のこと。平成22年(2010年)8月5日には指定範囲が追加された。この古墳を際立たせる特徴は、大きく二つある。

一つは棺である。後円部には、凝灰質砂岩を加工した大型の長持形石棺が納められていた。縄をかけて運ぶための縄掛突起をもつ、箱形の重い石棺である。盗掘は江戸時代以前にさかのぼり、現在は底石となる石材が遺存するのみだが、長持形石棺は畿内の大王墓にほぼ限って用いられた形式だった。畿内と同じ純粋な形の石棺が東国で見つかる例はきわめて珍しい。近くのお富士山古墳の石棺と並び、東日本では二例のみの事例とされる。

もう一つは保存状態の良さである。後の時代に農地や宅地となった平野部にありながら、墳丘と内堀の大部分が良好に残る。昭和32年(1957年)の測量、昭和40年(1965年)の内堀調査、平成5年(1993年)と平成11年(1999年)の発掘調査が、墳丘と濠の構造を順に明らかにしてきた。

墳丘を歩く

墳丘は三段に築かれている。方形の前方部から円形の後円部へと歩けば、二つの高まりが接するくびれ部を越え、足もとの傾斜の変化が段の境を示してくる。後円部の直径は約120メートル、高さはおよそ16メートル。前方部の幅は約126メートルを測る。斜面にはかつて、渡良瀬川水系から運ばれた川原石が葺石として敷き詰められていた。

墳丘の周囲には、盾形の二重の濠がめぐる。外側の濠まで含めると、古墳全体は全長約364メートル、幅約288メートルに達する。上空から眺めれば、墳丘・中堤・濠・中堤と連なる一つの設計意図が見てとれる。

墳丘の上には埴輪が立て並べられていた。発掘では円筒埴輪のほか、家・楯・鶏・水鳥をかたどった形象埴輪が見つかっている。埴輪は墳丘だけでなく、中堤帯の一部にも置かれていた。くびれ部の濠の中から水鳥形埴輪が出土しており、そこにかつて小さな中島があった可能性も指摘されている。

北東には円形の陪塚が一基残る。直径36メートルほどで、大古墳の主軸の延長線上に位置し、出土した円筒埴輪も天神山古墳のものと同種である。同じ葬送の場を構成する一基といえる。

古墳のまわりで

北東へ約300メートルの場所には、全長およそ106メートルの帆立貝形古墳、女体山古墳が築かれている。天神山古墳とまったく同じ主軸をもち、同じ長さの単位で設計されていることから、二基は一連の計画のもとに造られたと考えられている。女体山古墳の方がやや古い。両方をあわせて歩けば、一つの首長の系譜が世代を越えて墓を営んださまが見えてくる。

太田の町は、もう少し時間をかけて巡りたい。平野の北の丘陵には、戦国期の山城・金山城の跡が広がり、復元された石垣や虎口は、それ自体が国の史跡に指定されている。太田市美術館・図書館をはじめとする施設では、この地域の数多くの古墳から出土した品にふれることができる。太田はまた、古墳時代を代表する彫塑の名品でも知られる土地だ。市内飯塚町から出土した挂甲武人埴輪は、現在は国宝として東京国立博物館に収められている。

8月の中頃には、墳丘の斜面をキツネノカミソリの橙色の花が彩る。短い季節の眺めを目当てに、地元の人が足を運ぶ。

Q&A

Q墳丘に登ることはできますか。
Aできます。見学は無料で、くびれ部の小さな神社のあたりから墳丘へ上る道がついています。足もとは平坦ではないため、歩きやすい靴をおすすめします。
Q天神山古墳へのアクセスは。
A東武伊勢崎線の太田駅から東へ約1.2キロ、徒歩でおよそ20分、タクシーなら数分です。南側の線路沿いに無料の専用駐車場があります。
Q古墳の上には何かありますか。
A墳丘は芝に覆われ、現地に展示施設はありません。見どころは規模そのものと、三段築成・二重周濠のはっきりした形です。くびれ部には小さな神社があります。出土した埴輪や解説は、太田市美術館・図書館などで見ることができます。
Q長持形石棺とはどのようなものですか。
A切り出した石材を組み合わせた大型の箱形の棺で、縄をかけるための突起をもちます。5世紀には畿内の大王墓にほぼ限って用いられた形式で、群馬で見つかること自体が、地元の首長と畿内との深い結びつきを示しています。
Q訪れるのに良い時期はいつですか。
A一年を通して見学できます。春と秋は歩きやすく、8月中旬には斜面をキツネノカミソリの花が短く彩ります。墳丘の形を写真に収めるなら、朝の光が向いています。

基本情報

名称天神山古墳(太田天神山古墳)/男体山古墳
所在地群馬県太田市内ケ島町1606-1ほか
指定区分国指定史跡
指定年月日昭和16年(1941年)1月27日/平成22年(2010年)8月5日 追加指定
種別前方後円墳(古墳時代中期)
築造時期5世紀前半~中頃
規模墳丘長 約210メートル/後円部 径 約120メートル・高さ 約16メートル/三段築成・二重周濠
アクセス東武伊勢崎線 太田駅から東へ約1.2キロ/無料の専用駐車場あり
公開見学自由・無料(屋外の史跡)

参考文献

天神山古墳 ― 太田市(文化財課)
https://www.city.ota.gunma.jp/page/4225.html
国指定文化財等データベース ― 文化庁
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/554
太田天神山古墳 ― ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/太田天神山古墳
天神山古墳等文化財めぐりコース ― 太田市観光物産協会
https://www.ota-kanko.jp/course/tenjinyama/

最終更新日: 2026.05.22