豊田屋旅館本館 ― 高崎駅前にひっそりと佇む昭和初期の木造旅館

JR高崎駅西口を出て、高層ビルの並ぶ大通りをわずか二分ほど歩くと、まるで時代の隙間からそのまま現れたかのような木造二階建ての建物が目に飛び込んできます。昭和七年(一九三二年)に建てられた豊田屋旅館本館です。緩やかに弧を描く玄関の唐破風、桟瓦葺の入母屋屋根、格子窓――どれも昭和初期に駅前旅館が誇った華やかな意匠を、今もそのままに伝えています。平成十五年に国の登録有形文化財に登録された豊田屋旅館本館は、戦災や都市開発を免れて現在まで残された、全国でも数少ない当時の駅前旅館建築です。

海外から訪れる旅行者にとって魅力的なのは、この建物が単なる外観鑑賞の対象ではなく、今も現役の旅館・割烹として息づいているという点です。予約をすれば玄関で履物を脱ぎ、長い年月のなかで磨かれた木の床を踏み、かつて出征兵士の家族や戦後の映画俳優、そして作家・司馬遼太郎をもてなした座敷で、季節の会席料理を味わうことができます。

明治から令和まで――豊田屋のあゆみ

豊田屋の創業は明治十二年(一八七九年)と伝えられ、当初は食事処として営まれていました。明治十七年(一八八四年)に高崎駅が開業し、駅前一帯が交通の要衝として賑わいを増すなかで、明治末期までには旅館業に転じたとされます。明治三十年に刊行された『高崎繁盛記』には「旅店 豊田屋号 園原松三郎」の記述が見られ、すでにこの頃には地元で知られた宿となっていました。

戦前の高崎は陸軍第十五連隊が置かれた「軍都」として知られ、駅前の旅館街は出征前の宴や、面会に訪れる兵士の家族でいつも活気に満ちていたといいます。やがて伝令将校として高崎に駐留していた一人の青年士官、福田定一――のちに国民的な歴史小説家となる司馬遼太郎――が「十番」と名付けられた部屋に伝令を届けに訪れます。戦後、彼は懐かしさからこの宿を再訪し、それ以後「十番」は司馬の指定の部屋となりました。

戦後の高崎は「映画のまち」としても知られるようになります。昭和三十年公開の名作『ここに泉あり』のロケに際しては、岸恵子・岡田英次・加東大介・小林桂樹といった俳優たちが豊田屋に投宿し、撮影の合間を過ごしたと伝えられています。

そんな豊田屋に大きな転機が訪れたのは平成十三年(二〇〇一年)のこと。駅前道路の拡幅を含む土地区画整理事業により、建物の解体さえ取り沙汰されました。先代から受け継いだ宿を守りたいという当主の決意と、地域の関係者の知恵が集まり、本館のみを後方へ曳家(ひきや)して残す道が選ばれます。日本の伝統的な建造物移動工法である曳家により、建物全体を一切解体せずに移設し、減築と改修を経て現在の姿が整えられました。そして平成十五年九月十九日、本館は「昭和初期における駅前旅館の形式を伝える貴重な資料」として、国の登録有形文化財に登録されたのです。

なぜ文化財に登録されたのか

豊田屋旅館本館は、平成十五年(二〇〇三年)九月十九日付で文化庁により国登録有形文化財(建造物)に登録されました。登録の理由は、昭和初期における駅前旅館建築の形式を伝える、極めて貴重な現存例であるという点にあります。

かつて全国の主要な鉄道駅の周辺には、二階建てや三階建ての木造旅館が軒を連ねていました。深い軒、座敷の連なり、装飾的な玄関――いずれも到着した旅人の心を捉えるための演出でした。しかしその多くは戦災で焼け落ち、戦後の都市開発のなかで姿を消しました。高崎駅前にも同様の旅館街が広がっていましたが、現在その面影をほぼ往時のまま伝えるのは、この豊田屋本館一棟のみといってよい状況です。建築史の観点からも、地域の記憶という観点からも、その存在価値は計り知れません。

建築の見どころ

本館は木造二階建て、建築面積は約一二〇平方メートル。高崎駅から伸びる駅前通りに北面して建ち、屋根は格式の高い入母屋造、桟瓦葺き。玄関を屋根の妻側に設ける「妻入り」の形式を取っています。

もっとも目を引くのは正面のしつらえです。中央の玄関の上には軒が緩やかに弧を描く軒唐破風(のきからはふ)が据えられ、入母屋の破風と唐破風のいずれにも、鎮火の願いを込めた懸魚(げぎょ)と呼ばれる飾り板が掛けられています。賑やかな現代の駅前にあって、ひときわ目立つ華やかな意匠は、まさに駅前旅館がかつて競って施した「迎えの顔」そのものです。

二階には五室の客室が中廊下と周囲の廊下によって仕切られ、それぞれの座敷が独立性を保つように配されています。この平面構成は旅館建築としての機能性を率直に示しており、現在の宴席や会食の場としても、その静謐さが活かされています。

訪問の楽しみ方

豊田屋旅館本館は、いまも現役の旅館・割烹として営業を続けています。中心となるのは昼の会席と夜の宴席で、決まったメニューはなく、人数と予算に応じて季節の食材を生かした料理が用意されます。事前予約が必須で、当日の飛び込みでの利用はできませんが、その分、文化財の建物を貸し切るような落ち着いた時間を過ごすことができます。客室での宿泊にも対応しており、登録有形文化財の宿に泊まるという稀有な体験も可能です。

広く宣伝を行わない方針のため、訪問にはやや手間がかかりますが、それも含めて「知る人ぞ知る」名宿の趣を生んでいます。海外からの訪問者には、宿泊先のホテルのコンシェルジュや日本語の話せる同行者を介しての電話予約がおすすめです。

周辺のおすすめスポット

高崎駅周辺は群馬県随一の交通の結節点であり、豊田屋を起点に多彩な観光が楽しめます。

  • 少林山達磨寺 ― 高崎名物「高崎だるま」発祥の寺。境内には奉納された朱色のだるまが連なります
  • 高崎城址公園 ― 旧高崎城の石垣や堀が残る市民憩いの場で、春の桜が見事です
  • 群馬音楽センター ― チェコ系米国人建築家アントニン・レーモンドの設計による名建築で、群馬交響楽団の本拠地
  • 白衣大観音 ― 観音山の中腹に立つ高さ約四二メートルの白い観音像。市街を一望する展望スポット
  • 高崎市役所 タワー21 展望ロビー ― 関東平野と上毛の山並みを無料で見渡せる眺望スポット

高崎は上越・北陸新幹線の停車駅でもあり、伊香保温泉や草津温泉、富岡製糸場、桐生の織物のまちなど、群馬各地への日帰り旅行の起点としても便利です。

Q&A

Q建物の中を自由に見学することはできますか
A豊田屋旅館は公開施設ではなく現役の旅館・割烹のため、自由な見学はできません。室内をご覧になりたい場合は、昼食・夕食または宿泊の予約を入れていただくのが一番の方法です。外観は公道から自由に眺めることができます。
Q東京からの行き方を教えてください
A東京駅から上越・北陸新幹線に乗車し、約五十分で高崎駅に到着します。西口を出て市役所方面の大通りを進み、徒歩約二分で豊田屋旅館本館に到着します。
Q宿泊や食事の予約はどうすればよいですか
A電話による事前予約が基本となります。決まったメニューはなく、人数と予算を伝えて当日の料理を組んでもらう形式です。海外からのご利用の場合は、滞在先のホテルのフロントなどを通じて予約されると安心です。
Qどうして再開発の波の中で取り壊されずに残ったのですか
A平成十三年の駅前道路拡幅計画の際には解体も検討されましたが、当主と地域の人々の尽力により、本館を後方に曳家(ひきや)で移動する形で残されました。建物全体をそのままスライドさせる伝統工法により、貴重な建築は救われたのです。
Q玄関の上に掛かっている飾りは何ですか
A屋根の破風や唐破風の中央に下がっている彫刻は「懸魚(げぎょ)」と呼ばれる飾り板です。「魚」の字を当てるのは、水によって火災から建物を守る願いが込められているためで、古くから日本の社寺建築や格式ある建物に用いられてきました。

基本情報

名称 豊田屋旅館本館(とよたやりょかんほんかん)
所在地 群馬県高崎市八島町68
文化財種別 国登録有形文化財(建造物)
登録年月日 平成15年(2003年)9月19日
建築年 昭和7年(1932年)
創業 明治12年(1879年)
構造 木造2階建、瓦葺、建築面積約120㎡
屋根形式 入母屋造、桟瓦葺、妻入、玄関上部に軒唐破風
棟数 1棟
アクセス JR高崎駅西口より徒歩約2分
現在の用途 現役の旅館・割烹(要予約)

参考文献

豊田屋旅館本館 ― 高崎市文化財情報(高崎市公式ホームページ)
https://www.city.takasaki.gunma.jp/site/cultural-assets/6358.html
豊田屋旅館本館 ― 文化遺産オンライン(文化庁)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/179736
国指定文化財等データベース(文化庁)
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/179736
挑戦する老舗企業(3)豊田屋旅館 ― 高崎新聞
http://www.takasakiweb.jp/closeup_cat/5909/
《老舗のDNA 群馬の百年企業》豊田屋旅館 ― 上毛新聞
https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/234669

最終更新日: 2026.05.07