旧木原家住宅 ― 寛文5年(1665)の年代をもつ町家
鬼瓦のひとつにヘラで刻まれた署銘があり、そこに寛文5年、すなわち1665年という建築年がはっきり記されている。木造の建物で建てられた年が判明する例は少なく、この一枚の鬼瓦が、旧木原家住宅という建築の価値を支える要のひとつになっている。場所は広島県東広島市高屋町、丘陵に開けた旧市場町・白市の坂道に面した一角である。
建物は農家ではなく町家、つまり商家の住まいである。住んでいたのは木原家で、もとは武士の家系だが、江戸時代には白市で財を成した豪商になっていた。家業は酒造と、瀬戸内海沿岸の竹原で営んだ塩田業で、広島県の記録にはこれに両替商も加わる。竹原でつくられた塩は白市を経て中国地方の山間部へ運ばれ、木原家はその流通の要所で利益をあげていた。
現在まで残るのは主屋一棟で、桁行12.6メートル、梁間15.5メートルの規模をもつ。切妻造りの平入りで、一部が二階建てになり、屋根は本瓦葺き、側面の庇と背面には桟瓦を用いる。かつては主屋の南側や背後に離れ屋敷や酒蔵が並んでいた。いまも敷地には蔵や井戸、酒蔵の跡、庭園の一部が残っている。
重要文化財に指定された理由
文化庁がこの住宅を重要文化財に指定したのは昭和41年(1966)6月11日のことである。指定の背景にあるのは、古さそのものと、その古さが正確にわかるという珍しさの二点である。
木造住宅の建築年は、ふつう特定が難しい。多くは建築様式から数十年の幅で推定されるにとどまる。木原家住宅が別格なのは、署銘のある鬼瓦が建物を特定の一年に結びつけているからだ。国の文化財データベースは本住宅を中国地方で最も古い民家と記し、東広島市は西日本でも一、二を争う古い町家と位置づけている。民家建築の研究では、奈良や大阪に残る17世紀の町家の一群に続く古さとされる。
年代だけではない。間取りには、後世の町家が手放していった古い形式が保たれている。江戸時代後期に定型化していく以前の商家の構成を残しており、1600年代の商家がどう組み立てられていたかを知るうえでの基準になる。こうした理由から、本住宅は日本の住宅建築を研究するうえでの一次資料として扱われている。
内部の見どころ
大戸(おおと)をくぐると、家の構成が床から読み取れる。土間が建物の奥行きいっぱい、表から裏まで貫いている。ここは仕事の場で、荷が運ばれ、水が汲まれ、煮炊きがおこなわれた土の通り道だった。土間からは四本の太い柱が立ち上がり、屋根を直接受けている。
部屋は三つの帯に分かれる。表通り側にミセと広い板の間、その奥に座敷、裏手に居室と納戸が並ぶ。この家を見る人がほぼ必ず指摘するのが座敷の位置である。町家では座敷を建物の奥まった場所に置くのがふつうだが、ここでは表通り側に配されている。同じ特徴は近くの西条にあった旧石井家住宅にも見られ、座敷が客に見せる表向きの顔を兼ねていたことをうかがわせる。
はしごで一部二階に上がると、空気が変わる。屋根裏の狭いこの場所は奉公人の寝所として使われ、明かりは高窓ひとつから入る。案内人はここで、はしごを外すという言葉の話をする。二階に上げて文字どおりはしごを外せば、奉公人は降りることも何もできなくなる。言葉の由来を建物のなかで聞くことになる。
小ぶりな品にも目を向けたい。入口の近くには約1メートルの手水鉢が二つ据えられている。側溝は一枚石の御影石で切り出されている。ある部屋には高さ約50センチの阿弥陀如来と釈迦如来の石仏が、壁ぎわに静かに据えられている。
白市の町と、住宅までの道のり
この住宅は周囲の町と切り離して語れない。白市は戦国時代に白山城が築かれたのを契機に発展し、はじめは城下町、やがて市場町・宿場町として栄えた。江戸時代のはじめからは地域有数の牛馬市が開かれ、最盛期には期間中に数百頭の牛馬が集まったという。物資と人は、広島・呉・竹原・尾道・三次へ一日で行ける街道を通って行き来した。江戸から明治・大正・昭和初期にかけての瓦葺きの町家がいまも通りに残り、木原家住宅は同種の建物に囲まれて建っている。
住宅はJR山陽本線の白市駅から北西へ約2キロ、坂を上って徒歩でおよそ30分、タクシーなら約5分の距離にある。住宅専用の駐車場はなく、車で訪れる人は約200メートル南の白市探訪駐車場を使って歩く。東広島郷土史研究会の会員が管理人として常駐し、建物の説明をしてくれるので、ひと回りするだけの見学が、ずっと中身のある時間になる。
Q&A
- 建築年が1665年とわかるのはなぜですか。
- 装飾的な鬼瓦のひとつに、ヘラで刻んだ署銘があり、そこに寛文5年(1665年)の年代が記されています。年代を確定できる瓦は珍しく、推定ではなく一年を特定して述べられるのはこのためです。
- 内部を見学できますか。
- できます。開館は4月から11月が10時から17時、12月から3月が10時から16時です。休館は毎週月曜日と、年末年始の12月28日から1月5日まで。入場料は一般150円で、小・中・高校生等は無料です。
- 木原家はどんな家でしたか。
- 武士の出身で、のちに豪商となった家です。主な家業は酒造と、沿岸部の竹原での塩田業で、県の記録には両替商も挙げられています。沿岸の塩を内陸へ運ぶ街道上にあった白市の立地が、一家の繁栄を支えました。
- 駅からの行き方を教えてください。
- JR山陽本線の白市駅から北西へ約2キロです。坂を上って徒歩で約30分、タクシーなら約5分ほど。専用駐車場はないため、車の場合は約200メートル南の白市探訪駐車場を利用します。
- 間取りのどこが珍しいのですか。
- この時代の町家は座敷を建物の奥に設けるのがふつうですが、本住宅では表通り側に置かれています。同じ配置は西条にあった旧石井家住宅にも見られ、座敷が客に向けた表の顔を兼ねていたことを示しています。
基本データ
| 名称 | 旧木原家住宅(きはらけじゅうたく)主屋 |
|---|---|
| 所在地 | 広島県東広島市高屋町白市1046‐1 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物)、昭和41年(1966)6月11日指定 |
| 年代 | 寛文5年(1665)建築、江戸時代 |
| 員数 | 1棟(主屋) |
| 構造 | 桁行12.6m、梁間15.5m、切妻造、一部二階、本瓦葺。側面の庇および背面は桟瓦葺 |
| 所有者 | 東広島市 |
| 開館 | 4月~11月10時~17時/12月~3月10時~16時。月曜日と12月28日~1月5日は休館 |
| 入場料 | 一般150円(団体135円)、小・中・高校生等は無料 |
| アクセス | JR山陽本線・白市駅から北西へ約2km。徒歩約30分、タクシー約5分 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)― 旧木原家住宅
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/3162
- 文化遺産オンライン(国立文化財機構)― 旧木原家住宅
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/202089
- 東広島市 ― 重要文化財 旧木原家住宅
- https://www.city.higashihiroshima.lg.jp/soshiki/kyoikuiinkaishogaigakushu/3/11/bunkazai/town/takaya/43657.html
- 広島県教育委員会 ― 広島県の文化財 旧木原家住宅
- https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/bunkazai/bunkazai-data-102010340.html
- 東広島市観光協会 ― 白市の町並み(旧木原家住宅)
- https://hh-kanko.ne.jp/sightseeing/278/
最終更新日: 2026.06.03