佐田谷・佐田峠墳墓群とは

広島県の北部、中国山地のただ中にひらけた庄原盆地に、稲作が始まって間もない人々がのこした八基の墳墓がある。佐田谷・佐田峠墳墓群。標高およそ三〇〇メートルの低い丘陵の頂部に、東西二五〇メートルほどにわたって三つの群をなして点在する弥生時代の墓地である。築造は紀元前一世紀から紀元後一世紀。後の前方後円墳に直接つながる「四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)」が、ここで姿をあらわした。

墳墓群の構成は、四隅突出型墳丘墓三基、方形台状墓四基、方形周溝墓一基。同一の丘陵上で、わずか二世紀ほどの間に多様な墓のかたちが造られ、しかも築造方法や埋葬の作法までもが目に見えて変化していったことが、近年の発掘調査で明らかになった。

令和三年(二〇二一年)十月十一日、国の史跡に指定された。庄原市内では昭和四十四年指定の寄倉岩陰遺跡に次ぐ、二件目の国史跡である。

四隅突出型墳丘墓と弥生「王墓」のはじまり

四隅突出型墳丘墓とは、上から見ると方形の墳丘の四隅が舌のように突き出した独特の形状をもつ墓のことをいう。中国山地の三次・庄原地域で生まれ、やがて江の川や日野川を下って山陰地方へと広がり、出雲を中心に大型化していった。やがて古墳時代を迎えると、その造墓技術は前方後円墳の祖型のひとつとして組み込まれていくことになる。日本の古代を象徴する巨大墳墓のルーツのひとつが、この庄原の地にある。

佐田谷・佐田峠墳墓群の発掘調査は、平成十九年度(二〇〇七年度)以降、広島大学考古学研究室と庄原市教育委員会の共同研究としてつづけられた。野外考古学実習の場としても利用され、若い研究者たちが土に向き合いながら、ひとつずつ事実を積みあげていった。

そこで浮かびあがってきたのが、墳丘の造りかたが世代を経るごとに様変わりしていく姿だった。弥生時代中期末に築かれた佐田峠三号墓では、まず墓坑を掘って遺体を埋葬し、その上に土を盛り、また次の埋葬と盛土を重ねる——墳丘と埋葬が同時並行で進む手間のかかる手順がとられていた。ところが弥生時代後期初頭の佐田谷一号墓では、まず墳丘を築きあげ、その後で頂部から大きな墓坑を掘り込んで葬る方式に変わっていた。

この「墳丘先行型」への転換は、単なる工法の違いではない。中心となる人物の埋葬を、あらかじめ用意された舞台の上で執りおこなう——首長墓の出現を象徴する転換である。佐田谷一号墓には、墳丘裾を囲む列石、斜面の貼石、突出部の付設、木棺を覆う木槨施設、墓坑上に朱塗りの大型土器を据える祭祀、そして巨大な中心墓坑とそれを取り巻く小墓坑、といった要素が初めてそろう。これらはやがて、出雲の西谷墳墓群や、丹後半島の大型墳丘墓へと受け継がれていく。

国史跡指定の理由と価値

国史跡に指定された決め手は、ひとつの丘陵上で弥生墳墓の変遷を連続して追えるという、他に類を見ない条件にあった。

同じ場所、同じ集団のなかで、墓のかたちが多様化し、築造方法が変わり、副葬や祭祀の道具立ても入れ替わっていく。墓坑が並列に置かれていた段階から、大きな中心墓坑のまわりに小さな墓坑が配される段階へ。在地で焼かれた土器が使われていた段階から、岡山方面の吉備系土器が混じり、やがて墓坑の上に器が供えられるようになる段階へ。地域社会のなかで「傑出した個人」が立ちあがり、外との交流が深まっていく過程が、土と石と土器越しに読み取れる。

当時の地域間関係——山陰の出雲圏、岡山の吉備圏、そして庄原盆地を含む備後北部——のあいだに張りめぐらされたつながりや、有力者集団の内部構造の変化を考えるうえで、この遺跡は欠かせない一次資料となっている。

見どころ

遺跡は西城川左岸の丘陵に、佐田谷一〜三号墓、佐田峠一・二号墓、佐田峠三〜五号墓の三群に分かれて広がっている。現在は国道一八三号線と高道路(バイパス)が三つの群のあいだを通り、それぞれが陸橋で結ばれているという、現代の道路網と古代の墓所がきわどく共存する独特の景観をつくっている。

もっとも見ごたえがあるのは、四隅突出型墳丘墓の隅の張り出しだ。盛土と石組みによって四隅が舌状に持ち出される造形は、図面で見るより実物に近づいたほうが理解しやすい。佐田峠三号墓の隅は、二〇〇八年の発掘調査で広島大学の学生たちによって慎重に検出されたところで、弥生時代中期末葉という、まだこの墓制が「古相」と呼ばれる段階の貴重な実例である。

佐田谷三号墓からは、高さ五五・五センチメートルにおよぶ注口付脚台付鉢形土器が出土している。葬送に用いられた特注品とおぼしき大型容器で、現在は出土資料として大切に保管されている。実物は常設展示されているわけではないため、特別展などの機会に巡り会えれば幸運だといえる。

丘陵の頂に立つと、足下には西城川の蛇行する谷筋、遠くには中国山地の稜線が幾重にも重なって見える。二千年前、この場所が選ばれた理由を、視覚で確かめることができる。

周辺の見どころとアクセス

墳墓群は屋外史跡であり、現地に常設の解説施設は設けられていない。見学は自由だが、徒歩でじっくり巡ろうとすると国道沿いの動線がやや厳しい区間もあるため、自家用車での訪問が現実的である。中国自動車道庄原ICから車で数分、JR芸備線備後庄原駅からも車で十分前後の距離にある。

あわせて訪ねたいのは、車で数キロの距離にある国営備北丘陵公園。広大な丘陵地に四季の花や里山景観が広がる国営公園で、家族連れに人気が高い。庄原盆地全体の地勢を体感できる場としても役立つ。

庄原市内の出土資料や弥生時代の文化を腰を据えて学びたい場合は、市東部の東城町にある帝釈峡博物展示施設「時悠館」が候補となる。佐田谷・佐田峠墳墓群の常設展ではないが、庄原市が国史跡指定を受けた寄倉岩陰遺跡の出土品を中心に、中国山地の先史時代の人々の暮らしを通観できる。時悠館では過去に佐田谷・佐田峠墳墓群を主題とした企画展「庄原盆地 弥生王墓誕生」も開催されており、今後も関連する企画が組まれる可能性が高い。訪問前に開催情報を確認しておくとよい。

庄原市域には縄文時代の岩陰遺跡群(帝釈峡遺跡群)、弥生から古墳時代にかけての遺跡群、たたら製鉄の遺構、そして比婆荒神神楽や塩原の大山供養田植といった国指定重要無形民俗文化財までが層をなして残されている。佐田谷・佐田峠墳墓群を訪ねたあと、これらの周辺の文化財を併せて回るとすれば、二日以上の余裕をとっておきたい。

よくある質問

Q「四隅突出型墳丘墓」とは、簡単にいうとどんな墓ですか。
A上から見ると四角い墳丘の四隅がそれぞれ舌のように突き出した、弥生時代中期後半から後期にかけて中国地方を中心に造られた独特の形状の墓です。中国山地の三次・庄原地域で誕生し、後に山陰地方へと広がって出雲の王墓へと発展していきました。古墳時代の前方後円墳の遠いルーツのひとつとも考えられています。
Q墳墓群はいつ造られたものですか。
A弥生時代中期末から後期前葉、紀元前一世紀から紀元後一世紀ごろにかけてのおよそ二百年弱の期間に、世代を重ねながら順次築造されました。墳形と築造方法が短期間で変化していくため、弥生墳墓の変遷を読み解く格好の資料となっています。
Q墳墓群はいつでも見学できますか。
A屋外の史跡で、見学に料金はかかりません。ただし常設の案内施設や展示棟はなく、現地は丘陵地形のため雨天時や雪の積もる時期は足元が悪くなります。墳丘そのものは盛土が経年でなだらかになっており、見学する側がある程度の予備知識をもって訪れたほうが理解が深まるでしょう。
Q出土した土器や副葬品は現地で見られますか。
A現地には常設の展示施設がなく、出土資料は庄原市や広島県の関連施設に保管されています。佐田谷三号墓の大型土器など主要資料は、これまで時悠館(庄原市東城町)や広島県立歴史民俗資料館などの企画展で公開される機会があります。最新の展示情報は各館にお問い合わせください。
Q広島市内や出雲方面からは行きやすいですか。
A広島市内からは中国自動車道で約九〇分、米子方面からは国道一八三号で南下するのが近道です。鉄道の場合は広島駅からJR芸備線で備後庄原駅まで快速利用で約二時間、駅からは車で十分ほどです。レンタカーがあると、近隣の国営備北丘陵公園や帝釈峡方面とあわせて巡ることができます。

基本情報

名称佐田谷・佐田峠墳墓群(さただに・さただおふんぼぐん)
所在地広島県庄原市高町・宮内町
指定区分国指定史跡
指定年月日令和三年(二〇二一年)十月十一日
時代弥生時代中期末〜後期前葉(紀元前一世紀〜紀元後一世紀ごろ)
構成四隅突出型墳丘墓三基、方形台状墓四基、方形周溝墓一基、計八基
立地西城川左岸、標高約三〇〇メートルの低丘陵頂部
分布範囲東西約二五〇メートル、三群に分かれて分布
調査主体広島大学考古学研究室、庄原市教育委員会、広島県立埋蔵文化財センターほか
主な発掘調査昭和六十一年(一九八六年)佐田谷一号墓、平成十九〜二十四年度(二〇〇七〜二〇一二年度)広島大学による継続調査
主な出土資料注口付脚台付鉢形土器(佐田谷三号墓出土、高さ五五・五センチメートル)など
見学屋外史跡、常時見学可(解説施設なし、駐車場は近隣施設を利用)
問い合わせ庄原市教育委員会教育部生涯学習課文化振興係(電話 〇八二四 - 七三 - 一一八九)

参考資料

佐田谷・佐田峠墳墓群(庄原市高町・宮内町)|庄原市公式サイト
https://www.city.shobara.hiroshima.jp/main/education/shogaigakushu/cat02/post_1472.html
「佐田谷・佐田峠墳墓群」が国史跡に指定されました|庄原市公式サイト
https://www.city.shobara.hiroshima.jp/info/post_535.html
広島県の文化財-佐田谷・佐田峠墳墓群|広島県教育委員会
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/bunkazai/bunkazai-data-20211011.html
【研究成果】庄原市所在「佐田谷・佐田峠墳墓群」国史跡指定の答申について|広島大学
https://www.hiroshima-u.ac.jp/news/65266
弥生時代の墳丘墓 ─ 前方後円墳の遠いルーツは広島だった!?|広島大学
https://www.hiroshima-u.ac.jp/HU_research/nojima
佐田谷・佐田峠墳墓群|文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/520797
国指定文化財等データベース 佐田谷・佐田峠墳墓群
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/401/2648

最終更新日: 2026.05.17