永享元年、将軍の寄進で建った塔

西国寺三重塔(さいこくじさんじゅうのとう)は、広島県尾道市西久保町の真言宗醍醐派大本山・西國寺にある塔で、永享元年(1429年)の建立、大正2年(1913年)4月14日に国の重要文化財に指定された。

建つのは金堂よりさらに山側で、大師堂の脇から続く道を登った先にある。土の道と石段が交互に現れる短い登りである。三間三重、屋根は本瓦葺。回縁を持たないため、輪郭は京都や奈良で見慣れた塔よりも引き締まって見える。

寄進者として記録されているのは、室町幕府6代将軍の足利義教である。京都の将軍が備後国の山腹に建つ塔に資金を出したという事実は、15世紀の尾道が置かれていた位置を示している。瀬戸内海の海運を担い、内陸の荘園から届く年貢の集散地となった港町には、それに見合う規模の寄進が集まった。

誰が資金を出したのか

西國寺には寄附の記録が伝わる。紙本墨書西國寺寄附帳といい、広島県の指定文化財となっている。南北朝時代末期から室町時代にかけての諸堂宇の建立・再建に関わる寄進が記され、名を連ねるのは23名。巻頭に置かれているのは山名持豊、出家後の名で宗全(1404〜1473年)として知られる、応仁の乱の一方の当事者である。以下に山名氏一族と、備後守護代の犬橋満泰をはじめとする被官の名が続く。

そのなかに「沼隈郡新庄長者実秀」の名がある。守護大名の名前と並んで、地域の富裕層の一人が記されているわけで、こうした記載はなかなか残らない。文化庁も、西國寺の金堂と三重塔は足利将軍家、備後守護山名氏、そして尾道周辺の商人たちの寄進によって建てられたと説明している。

塔は信仰の建築であると同時に、三方向から資金を引き寄せられた港町の力を、そのまま形にしたものでもある。

指定の理由と建築的な特徴

国指定文化財等データベースの記載は、員数1基、構造及び形式は「三間三重塔婆、本瓦葺」、時代は室町中期で年代は永享元年、指定番号00621。眼下の金堂と同じ日に指定を受けている。

建築史の側から注目されるのは、意識的な「後戻り」である。15世紀の日本の寺院建築は、宋から伝わった禅宗様を取り込んだうえで和様と混ぜ合わせるのが常態だった。この塔はその流れに乗らず、純和様で組み立てられている。中世的な折衷を通り越して奈良時代の姿へ帰ろうとした復古の意志が働いており、広島県教育委員会もこれを室町期の復古建築の一例として説明している。

その意図が最もよく表れているのは、あるべきものが無い点だ。同時代の三重塔の多くは初重の周囲に回縁をめぐらせるが、この塔にはそれがない。軸部が石製の基壇から直接立ち上がるため、初重に手すりの水平線が入らず、下層が塊のように見える。この造りで残る塔は数が少なく、技術的な解説では必ず触れられる。

見どころ

登るか、離れて見るか

金堂の裏手から続く道は距離こそ短いが、傾斜はしっかりある。足元に不安があれば、金堂前の平場からでも塔は樹間によく見える。近づけば木割や軒の出が分かり、離れれば斜面にどう伽藍が配置されたかが分かる。どちらを取るかで見えるものが変わる。

三重の屋根の逓減

基壇の際に立ち、隅の線に沿って見上げてみたい。上へ行くほど屋根は小さくなるが、回縁が視線を横切らないぶん、その絞り込みが強く感じられる。瓦は金堂と同じ本瓦葺で、40年余りの間隔をおいて建てられた二棟が、屋根の仕様で視覚的に結ばれている。

石製基壇

しゃがんで見る価値がある。塔身は石積みの上に直接載り、石と木の接する部分にこの塔の性格がいちばん素直に出ている。下層の部材の朱は色むらが進み、ところどころ木目が透けて見える。

内部は非公開

初重には建立当時のものとされる如意輪観世音菩薩像を安置し、その周囲に極彩色の四天王像を配すると伝えられる。内部は公開されていないため、この点は予備知識として持っておく程度でよい。

季節と光

周囲は桜が多く、開花期には日没から21時半ごろまで境内がライトアップされる。季節を問わず、午後遅い時間帯は塔の西面に光が直接あたり、軒の深さが分かりやすくなる。

参拝の実際

JR尾道駅からおのみちバス市内本線(西行き)で「西国寺下」下車、徒歩約5分で仁王門。JR新尾道駅からはタクシーで約10分。仁王門から金堂までは108段の石段、そこから塔まではさらに登りが続く。門から塔まで、急がずに歩いて20分ほどを見ておきたい。表参道側に駐車場はなく、車の場合は裏参道から入って西国寺駐車場を使う。

参拝時間は8時から17時。納経の受付は9時から17時で、御朱印は300円。持佛堂の内拝は9時から16時30分、500円(お茶・茶菓子付き)または1,000円(庭園拝観・お抹茶付き)。三重塔そのものは外観拝観で、別途の拝観料はかからない。行事の日には境内の動線が制限されることがあるので、塔まで確実に行きたい場合は事前に確認しておくとよい。

Q&A

Q西国寺三重塔は誰が、いつ建てたのですか。
A永享元年(1429年)の建立で、室町幕府6代将軍・足利義教の寄進によると記録されています。文化庁は、西國寺の金堂と三重塔が足利将軍家、備後守護山名氏、尾道周辺の商人の寄進で建てられたと説明しています。
Q西国寺三重塔の内部は拝観できますか。拝観料は必要ですか。
A内部は公開されておらず、外観からの拝観になります。塔を見るための拝観料はかかりません。境内の持佛堂は9時から16時30分まで内拝でき、こちらは500円(お茶・茶菓子付き)です。
Q西国寺三重塔の建築上の特徴は何ですか。
A初重に回縁がなく、石製の基壇の上に直接立つ点です。同時代の三重塔では珍しい造りです。様式も禅宗様を交えない純和様で、室町期に見られた復古的な建築の流れに位置づけられています。
Q西国寺三重塔までの道のりはきついですか。
A仁王門から金堂まで108段の石段、そこから大師堂脇を通って土と石段の登りが続きます。ゆっくりで20分ほどです。二段目の登りを避けたい場合は、金堂前の平場からでも塔の姿を見ることができます。
Q西国寺三重塔は夜間にライトアップされますか。
A桜の時期には日没から21時半ごろまで境内がライトアップされます。それ以外の期間の参拝時間は8時から17時までです。

基本情報

名称西国寺三重塔(さいこくじさんじゅうのとう)
所在地広島県尾道市西久保町
指定区分重要文化財(建造物)/指定番号 00621
指定年大正2年(1913年)4月14日
員数1基
構造三間三重塔婆、本瓦葺/回縁なし、石製基壇上に建つ
寸法国指定文化財等データベースに記載なし
建立年永享元年(1429年)/室町中期
所有者西国寺
公開状況境内は8時から17時まで参拝可。外観拝観のみで、塔の拝観料は不要

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) — 西国寺三重塔
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/3138
文化遺産オンライン — 西国寺三重塔
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/157675
日本遺産ポータルサイト(文化庁) — 西國寺金堂・三重塔
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/culturalproperties/result/1258/
真言宗醍醐派大本山 摩尼山総持院 西國寺 公式サイト
https://www.saikokuji.jp/
Dive! Hiroshima(広島県観光連盟) — 西國寺
https://dive-hiroshima.com/explore/1498/
広島県の文化財(広島県教育委員会)
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/bunkazai/

最終更新日: 2026.08.08