ヤマモトロックマシン(旧山本鉄工所)―東城の町なかに残る削岩機メーカーの建物群
ヤマモトロックマシン(旧山本鉄工所)は、広島県庄原市東城町にある削岩機メーカーの工場・事務所・社宅施設の建物群で、昭和9年(1934年)竣工の第一工場をはじめ、昭和前期に建てられた10棟が国の登録有形文化財となっている。平成28年(2016年)2月25日に工場と自治寮など8棟が登録有形文化財に登録され、令和6年(2024年)12月3日に旧本社事務所兼主屋と旧研究室棟の2棟が加わった。
所有者はいまも同じ会社である。工場の多くは現役で、トンネルや採石場で岩盤に孔をあける機械が、木造の小屋組の下でつくられてきた。一方、道を挟んだ南側の旧自治寮は、住む人がいなくなってから地元の人びとの手で掃除と修理が進められ、催しの会場として少しずつ使われるようになった。操業を続ける工場と、生活の場だった寮。性格の違う二つの区画が、ひとつの企業の歩みを一か所で見せている。
このページでは、10棟に共通する会社の沿革、敷地の配置、登録の経緯、東城への行き方と見学の条件をまとめる。個々の建物の構造や見どころは、それぞれの建物のページで扱っている。
ヤマモトロックマシン(旧山本鉄工所)の沿革 ― 鋳物の町工場から削岩機の国産化へ
会社の起こりは大正4年(1915年)2月、山本集一が東城で始めた個人経営の鉄工所である。社史によれば、最初は家庭用の鋳物をつくり、やがて機械設備を整えて発動機や製材機の修理・製造へ仕事を広げた。
転機は近くのダム工事だった。大正末期から昭和初期にかけて、山陽中央水力電気(現在の中国電力)の帝釈川発電所ダムや成羽川発電所の建設が進み、多くの外国製削岩機が現場に持ち込まれた。その修理と部品の補給を引き受けたことが、当時ほとんど輸入品に頼っていた削岩機を自社でつくる道につながった。同社はドイツから技師を招いて熱処理の技術を学んだと伝えている。削岩機は硬い岩を打ち続ける道具で、部品の焼き入れの良し悪しが寿命を左右する。
工場の建物がそろっていくのはこの時期である。昭和9年(1934年)に第一工場、昭和12年(1937年)に第二工場と自治寮家族棟、同じころに仕上げ工場と食堂・娯楽室棟が建ち、昭和13年(1938年)ころに青年学校、昭和14年(1939年)ころに便所棟、昭和16年(1941年)ころに自治寮独身棟が続いた。旧本社事務所兼主屋と旧研究室棟も、文化庁の記録では昭和前期の建築とされる。昭和14年(1939年)2月には資本金130万円で株式会社山本鐵工所が設立され、本社を東京・丸の内に置いた。
戦時中は軍需の管理工場となり、海軍の航空機部品もつくった。戦後は炭鉱用から建設工事用へと削岩機の軸足を移し、ダム・道路・トンネル工事の需要に応えていく。平成8年(1996年)に社名をヤマモトロックマシン株式会社へ改め、平成27年(2015年)に創業100周年を迎えた。
ヤマモトロックマシン(旧山本鉄工所)の敷地と建物の配置
10棟は、東西に延びる道路をはさんで北と南の二つの区画に分かれている。所在地の表記も異なり、北側は東城町東城字下町、南側は東城町川西字新丁の地番になる。
北側:工場と旧本社の区画(東城字下町)
中心にあるのは桁行78メートルの第一工場で、その北方に第二工場が直交し、東方に仕上げ工場、西方に便所棟がそれぞれ並行して建つ。区画の西端では、旧本社事務所兼主屋が東城の新町筋に面して西向きに建ち、そのすぐ東に旧研究室棟が続く。通りに見せる顔と、奥で生産を担う建屋という関係が、配置にそのまま表れている。
南側:旧自治寮と青年学校の区画(東城町川西字新丁)
文化庁の解説は、自治寮の施設群が工場群から道を挟んだ南に残ると記す。西寄りに木造3階建の家族棟、東側に桁行59メートルの独身棟が南北に長く建ち、その間に食堂・娯楽室棟が入る。3棟とも屋根は半切妻で、揃った屋根の形が寮の一画をひとつにまとめている。青年学校も川西字新丁の地番に属し、工場で働く若い養成工がここで学んだ。
外から歩いて見るなら、新町筋で旧本社事務所兼主屋の正面を眺め、そこから東へ道路沿いに進んで工場の屋根並みを確かめ、最後に道の南側で寮の3棟を見る順がわかりやすい。全体で1キロメートルに満たない範囲に収まっている。
ヤマモトロックマシン(旧山本鉄工所)の登録の経緯
最初の登録は平成28年(2016年)2月25日の第83回登録で、第一工場・第二工場・仕上げ工場・青年学校・便所棟・自治寮家族棟・自治寮独身棟・自治寮食堂・娯楽室棟の8棟が登録有形文化財になった。登録番号は34-0156から34-0163まで連番で並ぶ。登録基準はいずれも「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。
その後、文化審議会が令和6年(2024年)7月19日に答申し、同年12月3日の第108回登録で旧本社事務所兼主屋(34-0310)と旧研究室棟(34-0311)が加わった。旧研究室棟だけは登録基準が「造形の規範となっているもの」で、10棟のなかで唯一、景観ではなく意匠そのものを評価されている。
登録の前段には寮の保存活動がある。保存活用に取り組む団体によれば、旧自治寮は1970年代に住む人がいなくなり、長く空き家のままだった。平成24年(2012年)ごろから地元のまちづくり団体や住民、建築の専門家が集まって検討を始め、平成26年(2014年)には大掃除と初めての一般公開を行った。平成31年(2019年)には家族棟の屋根修理の費用の一部をクラウドファンディングで募り、目標を上回る支援を集めている。
ヤマモトロックマシン(旧山本鉄工所)へのアクセスと見学の条件
最寄り駅はJR芸備線の東城駅で、駅から南へおよそ1キロメートル、歩いて15分前後で工場の区画に着く。芸備線のこの区間は列車の本数が少ないので、時刻を事前に確かめておきたい。車の場合は中国自動車道の東城インターチェンジから1キロメートルほどで、町なかの道幅は狭い。
建物はすべて私有地にあり、常設の公開はない。工場は操業中の生産施設で、受付や見学コースは設けられていない。外観は周囲の公道から見ることができるが、敷地や建物には許可なく立ち入らないこと。撮影も公道からにとどめたい。
内部を見られるのは、会社や保存活動の団体が開く見学会・催しの機会に限られる。これまで旧自治寮や旧本社事務所を会場に、見学会、ワークショップ、演奏会などが不定期に開かれてきた。開催は毎年決まった日程ではないため、訪問を計画する際は同社の問い合わせ窓口や庄原市の観光案内で最新の予定を確認するのが確実である。
ヤマモトロックマシン(旧山本鉄工所)の名称と表記
読みは「やまもとろっくましん(きゅうやまもとてっこうしょ)」。文化財の名称は現在の社名に旧社名を括弧で添えた形で、10棟すべてがこの冠を共有する。昭和14年(1939年)の法人化の際の社名は旧字体の「株式会社山本鐵工所」だった。英語では Yamamoto Rock Machine と表記し、Rock は削岩機(rock drill)に由来する。
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「ヤマモトロックマシン(旧山本鉄工所)第一工場」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00010992
- 文化庁 国指定文化財等データベース「ヤマモトロックマシン(旧山本鉄工所)自治寮家族棟」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00010997
- 文化庁 国指定文化財等データベース「ヤマモトロックマシン(旧山本鉄工所)旧本社事務所兼主屋」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00015241
- 文化庁 国指定文化財等データベース「ヤマモトロックマシン(旧山本鉄工所)旧研究室棟」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00015242
- 文化庁「文化審議会の答申(登録有形文化財(建造物)の登録)」令和6年7月19日 資料
- https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/pdf/94134301_01.pdf
- 広島県教育委員会「広島県の文化財」
- https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/bunkazai/
- 庄原市「登録文化財」
- https://www.city.shobara.hiroshima.jp/main/education/shogaigakushu/cat02/02/post_192.html
- ヤマモトロックマシン株式会社「会社案内・沿革」
- https://yrm.co.jp/company-info/
- READYFOR「広島東城ヤマモトロックマシン旧自治寮を、みんなの力で修復へ!」(ヤマモトプロジェクト)
- https://readyfor.jp/projects/jichiryo-no1
最終更新日: 2026.09.24
基本情報
| 名称 | ヤマモトロックマシン(旧山本鉄工所) |
|---|---|
| 所在地 | 広島県庄原市東城町東城字下町6-3他 |
| 所有者 | ヤマモトロックマシン株式会社 |
| 指定 | 登録有形文化財 10件 |
| 座標 | 34.89427, 133.27291 |