霧多布泥炭形成植物群落 — 北海道東端に広がる「花の湿原」
北海道東部、太平洋から押し寄せる海霧が真夏でも涼しさをもたらすこの地に、日本でも稀有な自然の宝が広がっています。厚岸郡浜中町にある霧多布泥炭形成植物群落は、ラムサール条約登録湿地として知られる広大な霧多布湿原の中心部にあり、数百種の野生植物と、海抜ゼロメートル付近で育つ高山植物群落、そして他の湿原とは一線を画す独特の生態系をもつ場所です。1922年(大正11年)に天然記念物に指定された日本でも最初期の自然天然記念物のひとつであり、100年以上にわたって慎重に守られてきた原始の景観に出合うことができます。
霧多布泥炭形成植物群落とは
霧多布湿原は、北海道東部の太平洋岸に沿って南北約9キロメートル、東西約3キロメートルにわたって広がる、面積約3,168ヘクタールの大湿原です。このうち、ミズゴケなどの植物遺骸が長い年月をかけて積み重なって形成された中央部の高層湿原約803ヘクタールが、「霧多布泥炭形成植物群落」として国の天然記念物に指定されています。また、保全のためにその後、周辺の国有地約86ヘクタールが追加指定され、湿原中心部を周囲の人為的影響から守る役割を果たしています。
この湿原の成り立ちは、地球の気候変動と深く結びついています。今から約6,000年前の縄文時代、世界的に温暖だった時期には、この一帯は海が深く入り込んだ湾でした。その後気候が冷涼化して海面が低下するにつれ、海岸沿いに砂丘が形成され、内陸側に水はけの悪い低地が残されました。そこにアシやスゲ類、ミズゴケなどが繁茂し、長い年月をかけて植物の遺骸が泥炭として積み重なり、今日見られるような層構造をもつ湿原が形成されていったのです。
霧多布湿原のもう一つの特徴は、低層湿原・中間湿原・高層湿原・塩湿地という主要な湿原タイプが近接して見られることです。満潮時には海水が川をさかのぼって湿原中央部にまで及び、淡水と汽水の絶妙な均衡が、極めて多様な動植物の生息を支えています。
なぜ天然記念物に指定されたのか
霧多布の泥炭地が1922年(大正11年)10月12日に国の天然記念物として指定された理由は明快です。この地域の気候は寒冷で、特に盛夏には濃霧が発生することが多く、その結果として泥炭を形成する植物群落の構成が他の地域とは大きく異なるという点にありました。ミズゴケ類の発生がきわめて旺盛で、地表に無数の小さな丘塊(やちぼうずなど)を形成する独特の景観も評価されました。日本各地の湿原のなかでも、植物生育の状況が他に例を見ない特殊なものとして、早くから学術的価値が認められたのです。
当初の指定範囲は高層湿原の中心部の一部に限られていました。その後、周囲での放牧などによる汚水流入が湿原に与える影響が懸念されるようになり、保全強化のために周囲の国有地約86ヘクタールが追加指定されました。これにより、湿原の水文環境と植物群落をより確実に保護できる体制が整えられました。
霧多布湿原の価値は時代とともに国際的にも認知されていきます。1993年(平成5年)6月には、釧路で開催されたラムサール条約締約国会議に合わせて、国際的に重要な湿地としてラムサール条約登録湿地に登録されました。さらに2001年には北海道遺産に選定され、2021年(令和3年)3月には周辺地域を含めて厚岸霧多布昆布森国定公園に指定されています。
魅力と見どころ
「花の湿原」と呼ばれる理由
晩春から初秋にかけて、霧多布湿原は色とりどりの花に彩られます。湿原内だけでも約300種、浜中町全体では700種以上もの花が確認されており、その密度の高さから「花の湿原」とも呼ばれています。とりわけ注目すべきは、本州では標高の高い山岳地帯でしか見られない高山植物が、海抜ゼロメートル付近の平地で観察できる点です。涼しく霧の多い気候が、高山と同じような環境をもたらしているのです。
6月にはミズバショウやクロユリ、白いワタスゲの群落が広がり、7月には黄色いエゾカンゾウが一面に咲き乱れる圧巻の光景が現れます。あわせてヒオウギアヤメの紫、ハマナスの濃いピンク、ノハナショウブの深い紫が湿原を彩り、9月にはエゾリンドウが秋の気配を運びます。クシロハナシノブやイソツツジ、ガンコウランといった希少種にも出合えます。
木道と展望スポット
湿原の中心部(天然記念物指定地)には立ち入りが制限されていますが、その周囲には複数の木道が整備されており、貴重な自然を間近で楽しむことができます。最も人気の高い「琵琶瀬木道」は、駐車スペースから湿原内部に向けて約700メートルにわたって直線的に伸び、7月上旬にはエゾカンゾウの群生を堪能できます。「仲の浜木道」はワタスゲやエゾカンゾウの群生をより広範囲に観察でき、霧多布湿原センター近くの「やちぼうず木道」では、湿原特有の盛り上がった土塊「やちぼうず」を間近に見ることができます。
湿原の全体像を見渡したい方には、西側の高台にある琵琶瀬展望台がおすすめです。湿原の中を蛇行する琵琶瀬川と、その向こうに広がる太平洋を一望できます。北側の丘の上に建つ霧多布湿原センターは、展望ホールから湿原を俯瞰できるとともに、湿原の生態を学べる展示やカフェも備えています。
野鳥と野生動物
霧多布湿原では約100種の野鳥が確認されています。なかでも特別天然記念物のタンチョウは夏に湿原で繁殖しており、運がよければその姿を見ることができます。オジロワシは年間を通じて観察でき、冬にはオオワシも飛来し、雪化粧した湿原の上を雄大に舞います。湿原内ではエゾシカやキタキツネなどの野生動物に出合えることもあり、開発されていない自然のなかで生命のつながりを実感できる場所です。
長ぐつトレッキングとエコツアー
より深く湿原を体感したい方には、霧多布湿原センターが開催するガイド付きプログラムへの参加がおすすめです。5月・6月限定の「長ぐつトレッキング」は、ガイドとともに約2時間かけて湿原の中を直接歩く体験で、木道の上からは見えない小さな花々や野生生物を間近で観察できます。長靴やレインウェア、双眼鏡などはセンターで貸し出してくれるため、手ぶらでも気軽に参加可能です。琵琶瀬川でのカヌー体験や、季節ごとに異なる自然観察ツアーも用意されています。
周辺の見どころ
霧多布半島とその周辺には、訪れる価値のあるスポットが数多くあります。半島東端の霧多布岬は、太平洋に面する断崖絶壁が美しく、夏にはエゾカンゾウなどの花が咲き誇り、海上にラッコやアザラシの姿を見ることもできる景勝地です。浜中町は天然昆布の水揚げ量で日本一を誇るまちでもあり、霧多布湿原センターのカフェ「きりたっぷCafe」では、地元の母の味を再現したホッキ貝のカレーや、浜中産昆布を使った料理を味わえます。
霧多布温泉「ゆうゆ」は湿原を望む高台にあり、宿泊や日帰り入浴が可能です。さらに視野を広げれば、西には牡蠣で名高い厚岸町、東には日本本土最東端の納沙布岬がある根室市があり、道東の自然と食をめぐる旅の拠点となります。漫画ファンには、浜中町出身の故モンキー・パンチ氏の代表作『ルパン三世』の関連スポットがまちのあちこちに点在しているのも、楽しい発見となるでしょう。
Q&A
- いつ訪れるのが一番おすすめですか?
- ワタスゲやエゾカンゾウなど多くの花が見頃を迎える6月下旬から7月下旬が最盛期です。特に7月上旬は黄色いエゾカンゾウの群生が圧巻です。秋には金色に輝くススキ原と渡り鳥が、冬には雪原を舞うオオワシの姿が、それぞれ独特の魅力を見せてくれます。
- 東京や大都市からのアクセス方法は?
- 釧路空港まで飛行機で向かい、JR根室本線(花咲線)で茶内駅へ(釧路駅から約75分)、茶内駅から霧多布湿原センターまではタクシーで約10分です。釧路空港でレンタカーを借りれば、周辺観光もより自由に楽しめます。
- 天然記念物指定地の中に入れますか?
- 天然記念物に指定されている803ヘクタールの中心部に立ち入るには、文化庁長官の許可が必要です。ただし、その周囲には複数の木道や展望台、遊歩道が整備されており、保護地区に立ち入らずとも湿原の素晴らしい景観をたっぷり楽しめます。
- 高齢者や歩くのが苦手な人でも楽しめますか?
- はい、湿原はほとんど平地で、整備された木道を歩く形になりますので、ご高齢の方でも安心して散策できます。所要時間は1〜2時間が目安です。霧多布湿原センターや琵琶瀬展望台は、長距離を歩かずとも湿原の眺めを楽しめる絶好のスポットです。
- 服装や持ち物で気をつけることは?
- 道東の海岸部は夏でも涼しく、海霧が出ることが多いため、ウィンドブレーカーや薄手のレインウェアの携行を強くおすすめします。木道散策には歩きやすい靴で十分ですが、ガイドツアーに参加する際の長靴や双眼鏡などの道具は、霧多布湿原センターで貸し出してもらえます。
基本情報
| 名称 | 霧多布泥炭形成植物群落(きりたっぷでいたんけいせいしょくぶつぐんらく) |
|---|---|
| 指定区分 | 国指定天然記念物(1922年〈大正11年〉10月12日指定) |
| 所在地 | 北海道厚岸郡浜中町 |
| 指定面積 | 約803ヘクタール(追加指定の国有地約86ヘクタールを含む) |
| 湿原全体面積 | 約3,168ヘクタール |
| 国際的位置づけ | ラムサール条約登録湿地(1993年〜)/北海道遺産(2001年選定)/厚岸霧多布昆布森国定公園(2021年指定) |
| 来訪者拠点 | 霧多布湿原センター 〒088-1304 北海道厚岸郡浜中町四番沢20/TEL:0153-65-2779 |
| 開館時間 | 9:00〜17:00(5〜9月無休/10〜4月火曜休館/1月2日〜31日休館) |
| アクセス | JR根室本線(花咲線)茶内駅下車(釧路駅から約75分)、タクシーで約10分 |
| 駐車場 | 無料(約30台) |
参考文献
- 霧多布泥炭形成植物群落 - 文化遺産オンライン
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/209350
- 霧多布湿原 - Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/霧多布湿原
- 霧多布湿原 | ラムサール条約登録湿地関係市町村会議
- https://ramsarsite.jp/wetland-info/727/
- 釧路地域のラムサール条約湿地 | 釧路国際ウェットランドセンター
- https://www.kiwc.net/wetlands/ramsar_kushiro.html
- 霧多布湿原センター
- http://www.kiritappu.or.jp/center/
- 沿革|浜中町について|浜中町ホームページ
- https://www.townhamanaka.jp/profile/2017-0308-enkaku.html
- 霧多布湿原 ー 約300種の花が咲く「花の湿原」|浜中町 | ひがし北海道トラベルラボ
- https://easthokkaido.com/sightseeing-access/kiritappu-wetlandcenter/
- 霧多布湿原 (北海道遺産)|観光スポット|HOKKAIDO LOVE!
- https://www.visit-hokkaido.jp/spot/detail_10475.html
最終更新日: 2026.05.07