松前藩戸切地陣屋跡 ― 日本で最初の星形城郭

函館湾から内陸へおよそ5キロ、ゆるやかな高台の地面が、四つの稜をもつ星の形に削り出されている。芝に覆われた土塁は高さ約3メートル、その足元には同じほどの深さの空堀がめぐり、東側の一角だけが亀の首のように前へ突き出す。安政2年(1855年)に松前藩が築いた戸切地陣屋の跡である。

この場所が特別なのは、その縄張りにある。戸切地陣屋は、西洋で大砲に対抗するために幾世紀もかけて練られてきた稜堡式の築城術を、日本で初めて採り入れた城郭だった。多くの人が知る箱館の五稜郭が着工するのは安政4年(1857年)。築城の年代でいえば、北斗の野に残るこの土塁のほうが先輩にあたる。

なぜ松前藩が北の地に洋式城郭を築いたのか

箱館の開港は、北方の防備という課題を一気に押し上げた。安政2年、江戸幕府は蝦夷地を再び直轄地とし、その警衛を北方の諸藩に分担させる。松前藩に与えられたのは、新たな港と箱館奉行所をひかえる函館平野一帯の守りだった。

その答えを設計したのが、松前藩士の藤原重太である。藤原は、佐久間象山が開いた洋学塾「五月塾」で西洋の軍学を学んでいた。従来の城を築くのではなく、書物で得た稜堡の理論を実地に移したのだ。出来上がったのは、東の角に稜堡を一つ突き出した小ぶりな星形で、その稜堡には平野を見渡す6基の砲座が据えられた。陣屋の背後となる西は山地、南は海。大砲は、陸からの攻撃が想定される一方向へ向けられていた。

郭内には17棟の建物が並び、記録からは120名から160名ほどの松前藩士が詰めていたと考えられている。地名の「戸切地」は西側を流れる戸切地川に由来し、アイヌ語の「ペケレ・ペッ(明るい・川)」が語源といわれる。

国の史跡としての価値

日本は二世紀あまりにわたって大きな戦を経ず、各地の城は大砲が主役となる以前の戦いを前提に築かれていた。稜堡式の城はまったく別の発想に立つ。低く折れ曲がった土塁が、あらゆる方向への横矢を可能にし、寄せ手が身を隠せる死角を残さない。その西洋の発想が土と石で形になった最初の例が、ここ戸切地だった。

この先駆性と、残された土塁の保存状態の良さが評価され、昭和40年(1965年)3月に国の史跡に指定された。まず中心となる星形の土塁が守られ、その後の追加指定で範囲が広げられている。発掘と調査は近年も続けられ、北斗市の郷土資料館は平成30年(2018年)以降、陣屋の設計について再評価の研究を重ね、その成果を公開してきた。

訪れて目を向けたいところ

星形と一つの稜堡

この形は上空から見るともっとも分かりやすい。近くの新函館北斗駅の南口には、真上から見た陣屋の輪郭をかたどった花壇が設けられているほどだ。現地では、稜堡が前へ張り出す東の角まで歩いてみたい。ここに6門の大砲が置かれた。立ってみると、折れた土塁の角度が、正面ではなく塁線に沿って射撃するためのものだったことが読み取れる。

土塁と空堀

土塁とその下の空堀は、高さ・深さともおよそ3メートルと、築城当時に近い形でよく残っている。郭の周囲には園路がめぐり、一周すれば、かつて120人ほどが守った囲いの大きさが体でつかめる。芝のなかに据えられた礎石が、17棟の建物の位置を示している。

復元された門

史跡公園としての整備の中で、二つの門がもとの礎石の上に復元された。整備は平成13年(2001年)に完了している。表側の大手門と、裏手の搦手門である。いずれも遺構そのものではなく根拠にもとづく推定復元だが、土塁だけでは想像にゆだねられる縄張りを、来訪者が読み解く助けになっている。

桜のトンネル

陣屋跡へ続く道は、約800メートルにわたって桜並木が頭上を覆い、長い花のトンネルをつくる。これらは明治期、日露戦争の勝利を記念して函館の呉服商が植えたものと伝わる。多くはソメイヨシノだが、陣屋前の広場には、潮風に強い八重桜「上磯海潮(かみいそうしお)」や、淡い黄緑色の「御衣黄(ぎょいこう)」といった珍しい品種も植えられている。みなみ北海道を代表する桜の名所のひとつである。

訪問の手引き

敷地は入場無料の史跡公園として開かれており、土塁の上を自由に歩くことができる。北斗市は函館よりやや内陸で標高も高いため、桜の見頃は市街地より少し遅く、例年4月下旬から5月初めにかけてとなる。桜の季節には市内の桜回廊にあわせたイベントが催され、夜間にライトアップが行われる年もあるが、毎年実施されるとは限らないため、夜に訪れる場合は事前に最新の情報を確かめておきたい。

最寄りの鉄道の拠点は、北海道新幹線の新函館北斗駅で、ここからタクシーでおよそ12分。車なら、函館江差自動車道の北斗中央インターチェンジから約9分である。道南いさりび鉄道の上磯駅からも、約4キロの距離にある。

陣屋の最期と、周辺のめぐり方

戸切地陣屋が実際に戦に臨んだのは一度きりだった。戊辰戦争の最終局面となった明治元年(1868年)の箱館戦争で、蝦夷地に上陸した旧幕府軍が平野へ進撃してくる。劣勢に立たされた松前の守備隊は、陣屋を無傷で渡すことを避け、自らの手で17棟の建物に火を放って松前城方面へ退いた。今日歩く土塁は、その火のあとに残されたものである。

規模を広げた後継ともいえる箱館の五稜郭とあわせて訪ねれば、稜堡式の発想がどのように大きく展開していったかが見えてくる。足元の北斗市内では、桜回廊が複数の名所を結んでおり、なかでも法亀寺の樹齢を重ねたしだれ桜や、大野川沿いの長い桜並木が知られる。この一帯は、トラピスト修道院や松前へと向かう道筋の入口でもある。

Q&A

Q五稜郭より古いというのは本当ですか。
Aはい。戸切地陣屋は安政2年(1855年)の完成で、箱館の五稜郭が着工する安政4年(1857年)より前にあたります。稜堡式築城術にもとづく日本で最初の城郭とされています。
Qなぜ星のような形なのですか。
A稜堡式の城は、折れ曲がって張り出す土塁によって全方位を横矢で射すくめ、寄せ手に死角を与えない構造です。大砲に備えるため西洋で発達した形で、それを日本で最初に採り入れたのが戸切地でした。
Q郭内の建物はどうなったのですか。
A明治元年(1868年)の箱館戦争で失われました。旧幕府軍の進撃を受けた松前の守備隊が、17棟の建物に自ら火を放って退いたためです。現在は土塁などの遺構と、後年に復元された二つの門が残ります。
Q入場料はかかりますか。見頃はいつですか。
A史跡公園として開放されており、入場は無料です。もっとも賑わうのは桜の季節で、この地域では例年4月下旬から5月初めにかけてが見頃となり、函館の市街地より少し遅めです。
Q車がなくても行けますか。
A北海道新幹線の新函館北斗駅からタクシーで約12分が分かりやすい経路です。道南いさりび鉄道の上磯駅からも約4キロで、桜の時期には近くに連絡バスの停留所があります。

基本データ

名称松前藩戸切地陣屋跡(まつまえはんへきりちじんやあと)
所在地北海道北斗市野崎(旧・上磯町)
指定区分国指定史跡
指定年月日昭和40年(1965年)3月18日。のちに追加指定
築造安政2年(1855年)、松前藩による
設計松前藩士・藤原重太(洋式軍学を学ぶ)
形状四稜の星形をなす稜堡式の土塁城郭。東に稜堡一基、砲座6基
主な遺構土塁、空堀、建物礎石、復元された門二棟
アクセス新函館北斗駅からタクシー約12分/道南いさりび鉄道・上磯駅から約4キロ
公開状況入場無料の史跡公園として開放

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/38
文化遺産オンライン(文化庁)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/215649
松前藩戸切地陣屋跡(函館・みなみ北海道観光ガイド)
https://hakodate-kankou.com/spot/13021/
史跡松前藩戸切地陣屋跡(はこぶら/函館市)
https://www.hakobura.jp/spots/557
北斗桜回廊(北斗市)
https://www.city.hokuto.hokkaido.jp/docs/2091.html

最終更新日: 2026.05.29