両面を作り分けた延長六十八メートルの塀

赤木家屋敷の東辺をたどると、敷地境は単なる仕切りではなく、それ自体が一つの普請であることに気づく。塀一と呼ばれるこの塀は、延長およそ六十八メートル。番人小屋の北側から北辺へと折れて廻る、屋根付きの木造塀である。桟瓦葺の屋根を載せ、柱を半間ごと、すなわちおよそ九十センチ間隔に建て、長い塀面に一定の律動を与えている。

構造は真壁造。柱を壁面の内に塗り込めず、外に見せる造りである。大壁が軸組を隠すのに対し、真壁は柱を表に立てる。この選択が、塀の表情を決めている。

向きに応じた二つの仕上げ

塀一が見どころとなるのは、面する方向によって意匠を変えている点にある。腰は全体を焼き杉の竪板張りとする。表面を焼いた杉は、炭化層が腐朽と虫害を防ぎ、木目を深い黒へと沈める。

腰の上の仕上げは場所で異なる。玄関前庭に面する壁は横桟入りの透かし欄間とし、光と風を通して、門に立つ者に塀の向こうの庭の気配を感じさせる。一方、主屋北の庭園に面する壁は漆喰塗とし、一部のみを透かし欄間とする。一つの塀でありながら、外に向けては開き、内の庭に向けては落ち着いた閉じた面を見せる。

建築は明治末期。明治三年(1870年)の主屋を中心に、屋敷の付属建物と囲いが整えられていった時期にあたる。

塀が文化財となる理由

塀一は平成十八年(2006年)、国土の歴史的景観に寄与するものとして登録有形文化財に登録された。平成八年(1996年)に始まる登録制度は、許可制と強い規制をしく重要文化財とは異なり、届出と指導を基本とする緩やかな枠組みである。塀・門・蔵といった控えめな建造物が静かに失われていくのを防ぐために設けられた制度であり、塀一はその趣旨に合致する。

この塀は、豊岡を代表する明治期の屋敷の一部をなす。大庄屋にして大地主であった赤木家の屋敷は、氾濫を繰り返す円山川のほとりにあり、玄武岩の石垣で周囲よりおよそ二メートルかさ上げされている。その堅固な敷地のなかで、木造の塀は空間を細やかに区切る役を担う。改まった玄関まわりを庭から分け、屋敷を路から遮り、屋敷地全体を一つの整った景へとまとめている。屋敷は「砂防の父」赤木正雄(1887–1972)の生家でもあり、彼の治水・砂防の仕事を通じて、SABOは国際語として定着した。

Q&A

Q塀を間近で見られますか。
A赤木家住宅は個人の住宅で、原則として非公開です。敷地内の「砂防の父 赤木正雄展示館」を事前予約のうえ訪ねれば、屋敷の様子を見学できます。金・土曜の開館で、最新の予定は事前にご確認ください。
Q焼き杉とは何ですか。
A表面を焼いて炭化させた杉板です。炭化層が腐りや虫を防ぎ、風雨にも強いため、外部の竪板張りに適しています。腰部分に深い黒の落ち着いた色味を与えます。
Qなぜ場所によって仕上げが違うのですか。
A面する空間に合わせて作り分けているためです。玄関前庭側は透かし欄間で庭の気配を通し、内側の北庭側は漆喰塗を主として落ち着いた閉じた面とします。一つの塀が二つの表情を持ちます。
Q長さと建築年代を教えてください。
A延長は約六十八メートル、建築は明治末期、おおむね二十世紀初頭にあたります。屋敷外周の囲いが整えられていった時期の普請です。

基本情報

名称赤木家住宅塀一(あかぎけじゅうたくへいいち)
所在地兵庫県豊岡市引野972
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録年月日:平成18年(2006年)3月2日/告示:同年3月23日
登録番号28-0235
員数1棟
時代明治末期(1868–1911)
構造及び形式木造、瓦葺、延長約68m。真壁造、柱を半間ごとに建て、腰を焼き杉竪板張り、玄関前庭側は透かし欄間、北庭側は漆喰塗
公開状況個人住宅のため原則非公開。敷地内「砂防の父 赤木正雄展示館」(金・土、事前予約制)で屋敷の様子を見学可。最新情報は要確認

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「赤木家住宅塀一」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00005325
但馬の百科事典(公益財団法人たんしん地域振興基金)「赤木家住宅」
https://tanshin-kikin.jp/tajima/564
たじま旅ネット(但馬観光協会)「『砂防の神様』と言われた男、『赤木正雄』博士」
https://tajima-tabi.net/publictopics/376148
土砂災害防止広報センター「砂防の父 赤木正雄展示館」
https://www.sabopc.or.jp/category/砂防の父 赤木正雄展示館/

最終更新日: 2026.06.22