梶原家住宅(中西梶原)とは
梶原家住宅(中西梶原)は、兵庫県姫路市大塩町字天神にある梶原家の屋敷で、大正11年(1922年)に建った主屋と、天保13年(1842年)に建ち大正後期に移築された土蔵の2件が、平成21年(2009年)に国の登録有形文化財に登録された。読みは「かじわらけじゅうたく」。
「中西梶原」は、姫路市が同じ大塩町のもう1軒の梶原家住宅と区別するために添えている呼び名である。南東へ250メートルほど離れた大塩町字宮之本には、姫路市が「西梶原」と呼ぶ梶原家住宅があり、塩田地主の屋敷として20件が同じ年の11月に登録されている。二つの梶原家の関係は、文化庁や姫路市の資料には記されていない。
梶原家住宅(中西梶原)の2件は登録番号28-0399と28-0400の連番で、平成21年8月7日に登録された。
棟札が伝える二つの年代
梶原家住宅(中西梶原)の2棟には、どちらも建てた年と職人の名を記した棟札が残る。姫路市によると、主屋の棟札には「大正十一年八月二十日」と大工の間谷文吉の名が、土蔵の棟札には「天保十三壬寅三月吉日」と松原村の棟梁、岡本儀輔の名がある。
二つの建物の建築年には80年の開きがある。一方で、土蔵が現在地へ移築されたのは大正後期で、主屋の建築とほぼ同じ時期にあたる。天保の土蔵を別の場所から運び、大正の新しい主屋とともに屋敷を整えた経過がうかがえるが、移築前の場所や事情は資料からは分からない。
屋敷の構成
主屋は敷地の中央に建つ。入母屋造・妻入の大屋根に、玄関や2階屋、台所などの屋根をいくつも付け足した造りで、北側の庭に面して座敷などの接客の部屋を並べる。土蔵は主屋の北西にあり、東を正面として庇を掛ける。
梶原家住宅(中西梶原)の2件はどちらも「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として登録された。塩づくりで栄えた大塩の町には、塩田地主が建てた大きな屋敷がいくつも残り、この屋敷もその町並みの中にある。
梶原家住宅(中西梶原)の見学とアクセス
梶原家住宅(中西梶原)は個人の住まいで、見学を受け付けているという情報は見当たらない。訪れる場合は道路から外観を眺めるにとどめ、敷地には立ち入らないようにしたい。道路からどこまで見えるかは現地で確かめていない。
最寄りは山陽電気鉄道本線の大塩駅で、屋敷は駅の北側、直線でおよそ200メートルの位置にある(座標からの推定)。西梶原の屋敷は駅の東側にあり、あわせて歩いても数分の範囲に収まる。
主屋と土蔵の詳しい構造は、それぞれのページで扱っている。
参考文献
- 国指定文化財等データベース 梶原家住宅主屋(天神)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00007773
- 国指定文化財等データベース 梶原家住宅土蔵
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00007774
- 文化遺産オンライン 梶原家住宅土蔵
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/154375
- 姫路市 梶原家住宅(中西梶原)主屋
- https://www.city.himeji.lg.jp/kanko/0000001823.html
- 姫路市 梶原家住宅(中西梶原)土蔵
- https://www.city.himeji.lg.jp/kanko/0000001828.html
- 姫路市 梶原家住宅(西梶原)主屋
- https://www.city.himeji.lg.jp/kanko/0000001775.html
- 姫路フィルムコミッション 塩業で栄えた町。点在する豪邸と威容を誇る寺院
- https://www.himeji-kanko.jp/fc/article.php?eid=00166
最終更新日: 2026.09.30
基本情報
| 名称 | 梶原家住宅(中西梶原) |
|---|---|
| 所在地 | 兵庫県姫路市大塩町字天神117-2 |
| 指定 | 登録有形文化財 2件 |
| 座標 | 34.78127, 134.75804 |