一棟のなかに二つの時代がある

松本家住宅主屋は、兵庫県朝来市生野町口銀谷にある明治初期建築・大正期増築の木造2階建町家で、平成16年(2004年)6月9日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。通りに東面して建ち、建築面積は361平方メートル。店舗兼用住宅である。

通りから近づくと、まず屋根の稜線が事情を明かす。北側は棟が低く、切妻造で、長い軒の下から入る平入。南側は背が高く、寄棟造で、妻側から入る妻入。屋根形式が二つ、入り方の理屈が二つ、それがひと続きの建物になっている。

古いのは北側で、明治初期、年代でいえば1868年から1911年のあいだにあたる。南側は大正期、1912年から1925年のあいだの増築である。どちらも2階の壁を塗籠めており、外から見たときの重厚な、閉じた印象はここから来ている。

二つを並べて見た瞬間、この建物は住宅であることをやめて記録になる。文化庁の記録は、窓廻りと出桁造の軒先廻りに年代差が見られるとし、生野の町家形式がどう移り変わったかを示す例として位置づけている。

銀がつくった町

口銀谷は普通の町ではなく、松本家住宅も普通の町家ではない。生野は鉱山町だからである。

ここで銀が見つかったのは大同2年(807年)と伝わる。徳川幕府のもとでは佐渡・石見と並ぶ幕府直轄の重要鉱山となり、生野奉行が置かれて江戸から直接支配された。明治元年(1868年)には新政府の直轄鉱山第1号となり、フランス人技師ジャン=フランソワ・コワニェが招かれて西欧の採掘・製錬技術が導入される。操業は昭和48年(1973年)の閉山まで続いた。

銀の町は農村とは違う育ち方をする。但馬地域の情報サイトが伝える地元の方の言葉によれば、口銀谷は田も畑もなく、勤め人の所帯が軒を連ねる、但馬でも特殊な町だったという。ここでは誰もが鉱山で働くか、鉱山で働く人を相手に働いていた。商人、宿屋、医者、役人が、のちに生野駅へ下る道筋に集まった。

松本家住宅が属していたのはその世界である。口銀谷の本通りに361平方メートルの店舗兼用住宅を構えたということは、この一家が鉱山経済のなかでうまくやっていたことを意味する。そして大正期の増築は、もう一度建てられるだけの余力を得た時点を刻んでいる。

町全体は、その後二度にわたって評価を受けた。平成26年(2014年)3月、文化庁は「生野鉱山及び鉱山町の文化的景観」を重要文化的景観に選定した。兵庫県初の選定であり、現役の鉱山町としては全国初と報じられている。範囲は四つの地域に分かれ、口銀谷は生野駅へ至る明治期の鉱山町にあたる。平成29年(2017年)には、朝来市が姫路市・神河町・市川町・福崎町・養父市とともに、日本遺産「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」の認定を受けた。飾磨港と内陸の鉱山群を結ぶ全長73キロの道の物語である。

松本家住宅の登録は、そのどちらよりも10年早い。登録番号28-0168、第42回登録、基準は「造形の規範となっているもの」。告示は平成16年6月24日である。

口銀谷を歩く

この土地の面白さは積み重ねで効いてくる。登録建造物が一棟あるだけでは大したことは分からない。それが通り沿いに並ぶと話が変わる。口銀谷には登録建造物が複数あり、松本家住宅もその連なりのなかの一項として見るのが正しい。

出発はJR播但線の生野駅がよい。東口駅舎は明治28年(1895年)の建築で昭和35年(1960年)に改築されたもの。西口駅舎は平成21年(2009年)の新設で、鉱山町を思わせる木造平屋建とし、復元された生野瓦を葺いている。この瓦を先に知っておくと、その後の歩き方が変わる。生野瓦は盆地の激しい寒暖差に耐えるよう高温で焼かれ、赤褐色に上がる。地元の資料は昭和10年(1935年)頃まで生産されていたと伝える。ひと通り目に入れてから町へ入ると、屋根の連なりの見え方が違ってくる。

次に壁と擁壁を見てほしい。漆喰や焼き杉板に混じって、鈍く重く、かすかにガラス質の石積みが現れる。カラミ石という。製錬後に残る不要物を固めて成型したものだ。家の基礎、塀、トロッコ道の石積みアーチ。製錬の廃物が、製錬をしていた町そのものの建材になっている。こういう見え方をする町は日本に多くない。

駅から本通りを北へ歩けば、松本家住宅の前を通ることになる。二つの部分で軒の高さが変わる箇所を探し、それから左右それぞれの2階の窓を見比べてほしい。年代差がいちばんはっきり出るのはそこだ。2階の桁を壁面より外へ出した梁で受ける出桁造の軒先廻りも、古い部分と新しい部分とで扱いが違っている。

ひとつ注意がある。松本家住宅主屋は個人の所有で、国のデータベースには所有者名の記載も公開に関する記載もない。資料館ではなく、内部の見学もできない。通りから眺めるにとどめ、敷地には入らないでほしい。

内部を見たいなら、生野まちづくり工房井筒屋へ行くとよい。町に寄贈された郷宿・旧吉川邸を平成11年(1999年)に再生した施設で、まちづくり活動の拠点になっている。口銀谷にはほかに、明治期の擬洋風建築で現在は一区公民館として使われる旧生野警察署、旧生野鉱山職員宿舎(甲社宅)があり、いずれも市指定文化財である。史跡生野銀山そのものは谷を数キロさかのぼった小野にあり、坑道を歩き、資料館を見ることができる。朝来市は季節ごとに開館時間を分けて案内しているので、訪問前に確認してほしい。口銀谷での公道からの撮影に制限はなく、地区は半日あれば徒歩で十分にまわれる広さである。

Q&A

Q松本家住宅主屋の内部を見学することはできますか?
Aできません。個人の所有で、国指定文化財等データベースにも所有者名・公開に関する記載はありません。日本の登録制度は所有者に公開を義務づけていません。見学は公道からの外観のみとしてください。口銀谷で内部に入れる歴史的建造物としては、旧吉川邸を再生した生野まちづくり工房井筒屋(平成11年開設)があります。
Q松本家住宅主屋は、なぜ屋根の形が二つあるのですか?
A二度に分けて建てられたからです。棟の低い北側は切妻造・平入で明治初期、背の高い南側は寄棟造・妻入で大正期の増築にあたります。文化庁の記録は、窓廻りと出桁造の軒先廻りに年代差が見られる点を挙げ、生野の町家形式の移り変わりを示す例としています。
Q松本家住宅主屋はどこにあり、どう行けばよいですか?
A所在地は兵庫県朝来市生野町口銀谷477です。JR播但線の生野駅で下車し、本通りを北へ歩いて旧市街に入ります。地区はまとまっており、徒歩でまわれます。車の場合、生野は姫路と和田山を結ぶ播但連絡道路沿いにあたります。
Q松本家住宅主屋の周辺で見かける「カラミ石」とは何ですか?
A鉱石を製錬した後に残る不要物を固めて成型した石材です。口銀谷では家の基礎、塀や擁壁、トロッコ道の石積みなどに使われています。昭和10年頃まで生産されたと伝わる赤褐色の生野瓦とあわせて、他ではあまり見られない色と質感を町並みに与えています。
Q松本家住宅主屋のある一帯は、町並みとして保護されているのですか?
Aされています。平成26年(2014年)3月に「生野鉱山及び鉱山町の文化的景観」が重要文化的景観に選定されました。兵庫県初の選定で、範囲は四地域に分かれ、口銀谷は明治期の鉱山町にあたります。平成29年(2017年)には朝来市と近隣5市町が日本遺産「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」の認定を受けました。それ以前、平成10年(1998年)には兵庫県景観形成条例に基づく景観形成地区に指定されています。

基本データ

名称松本家住宅主屋(まつもとけじゅうたくしゅおく)
所在地兵庫県朝来市生野町口銀谷477
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年平成16年(2004年)6月9日登録/同年6月24日告示(登録番号28-0168、第42回)
員数1棟
寸法木造2階建、瓦葺、建築面積361平方メートル
所有者個人(国のデータベースに所有者名の記載なし)
公開状況非公開。見学は公道からの外観のみ

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース — 松本家住宅主屋
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00004173
文化遺産オンライン — 松本家住宅主屋
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/184083
朝来市教育委員会 — 文化財課の業務内容
https://www.city.asago.hyogo.jp/site/kyoiku/2889.html
日本遺産ポータルサイト — 生野鉱山町(生野鉱山及び鉱山町の文化的景観)
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/culturalproperties/result/3165/
日本遺産「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」公式サイト
https://wadachi73.jp/

最終更新日: 2026.08.26