無汸庵 ── 御影の裏通りに建つ、規範を外した小さな茶室

神戸・東灘区の御影中町。閑静な住宅街の路地を歩いていると、煉瓦塀の向こうから小さな宝形造の屋根が顔を出す。その頂きに据えられているのは、釉のかかった陶器の土鍋。屋根飾りに食器を転用したのである。これが、芸術家・綿貫宏介(1926–2020)が自邸の南東隅に設けた茶室「無汸庵」だ。1969年の建築で、2023年8月に国の登録有形文化財に登録された。

建築面積はわずか18平方メートル。日本の登録有形文化財のなかでも特に小規模な部類に入る。文化庁データベースの解説には、鎌倉時代の「山家」── 山中に結ばれた庵 ── に着想を得たとあり、定型に縛られない自在な意匠が随所に見て取れる。

建てたのは、誰か

建物を理解するには、施主の歩みを知るのが近道である。綿貫宏介は関西学院大学に長く籍を置いた後、1956年2月、戦後初のポルトガル留学生としてリスボンへ渡った。以後およそ15年、イベリア半島を拠点にヨーロッパ、アフリカ、南米を巡り、リスボン国立近代美術館をはじめ各地の美術館に約40点の作品が収蔵されたという。帰国後は神戸を本拠に、書、絵画、陶芸、ガラス、染織、装幀、ブランドデザインへと領域を広げていく。

後年、彼の手になる仕事は関西で見覚えのある人も多いだろう。有馬温泉「陶泉 御所坊」の看板や避難経路図にまで及ぶ意匠、本高砂屋の包装紙、丹波・西山酒造場「小鼓」のラベル、宇治園の茶葉のパッケージ、関門海・玄品ふぐの店舗サインなど、用いられた書体は古代中国の金文を下敷きにしながらも独特の遊び心を宿している。「無汸庵」は彼自身の号でもあり、この茶室はその号と同じ名を冠した、いわば創作の核となった場所だった。

登録の理由

登録有形文化財制度は1996年に建造物の保護を目的として導入された比較的新しい仕組みで、国宝・重要文化財の枠から外れる近代以降の建物を緩やかに守る。無汸庵は登録番号28-0790、登録基準「造形の規範となっているもの」に該当するとされ、令和5年8月7日付で登録された。

「規範」と聞くと格式ばった印象を受けるが、この建物の選定理由はむしろ逆である。古典的な草庵茶室には、床の位置、躙口の寸法、釜にあたる光の取り方まで、長い積み重ねによる作法がある。無汸庵はそのほとんどを脇に置く。屋根の頂部に据えられているのは陶器の土鍋。天井は中央から放射状に骨が広がる傘天井で、見上げれば内側から開いた和傘を覗き込んでいるかのよう。障子の枠にはめ込まれているのは紙ではなく簾で、入る光は縦縞に切り分けられる。床は造りつけにせず、置き床として動かせるようにしてある。鎌倉期の山家を出発点としつつ、20世紀後半の画家の眼で語り直された茶の空間と言ってよい。

見るべき点

無汸庵は綿貫家の私有物で、内部の見学はできない。ただ、綿貫はこの茶室を敷地のいちばん街路寄り、しかも南東の角に置いた。煉瓦塀の上から宝形屋根がのぞくよう意図したと思われ、通りからでも屋根の輪郭と、頂に伏せた土鍋の質感はうかがえる。

内部の様子は写真集や雑誌の紹介でしか知り得ないが、床には囲炉裏が切られ、その周囲に傘天井の骨が広がる。簾障子越しに差す光は時刻と季節で表情を変え、置き床に何を据えるかで空気がまた変わる。素材も技法も日本の民家・茶室の系譜から借りているが、これだけのスケールで、これだけ自由に組み合わせた例は珍しい。

余談として ── 隣接する綿貫の本宅は1995年の阪神・淡路大震災で被災し、その後現在の建物に建て直されている。無汸庵自体は震災を生き延びており、本宅よりも四半世紀以上前から同じ場所に建っている計算になる。

綿貫宏介の仕事に触れるには

茶室そのものに入れない以上、綿貫の世界観に触れたい場合は別の場所を訪ねるのがよい。最も没入度が高いのは、神戸の北、有馬温泉にある老舗旅館「陶泉 御所坊」である。1987年以降、館内の意匠を綿貫が一貫して手がけており、ロゴ、サイン、館内表示、客室の意匠まで彼の創作によって統一されている。一夜を過ごせば、無汸庵を生んだ感覚に建物のスケールで包まれることになる。

御影周辺を歩くのもよい。阪急御影駅から徒歩五分ほどに鎮座する弓弦羽神社は嘉祥2年(849年)の創建と伝わる古社で、樹齢数百年の楠が境内を覆う。さらに南東に下れば、1933年竣工の御影公会堂 ── これも登録有形文化財 ── が国道二号と石屋川の交差点に建つ。南へ進めば、日本酒の名醸地として知られる灘五郷の一角、御影郷の酒蔵群が点在する。半日あれば、御影という街がもつ独特の重層 ── 古代の社、近代の公共建築、酒造業、そして綿貫のような近代の芸術家 ── を一筆書きで辿ることができる。

Q&A

Q無汸庵は見学できますか?
A個人の住宅敷地内にあるため、内部の見学はできません。煉瓦塀越しに宝形屋根と頂部の陶器土鍋を路上から眺めることは可能ですが、敷地内に立ち入ったり、写真目的で長時間滞留したりすることは避けてください。
Qいつ文化財に登録されましたか?
A令和5年(2023年)8月7日に登録有形文化財(建造物)として登録されました。登録番号は28-0790、分類は住宅、時代区分は昭和後期、建築年は1969年(昭和44年)です。
Q綿貫宏介とはどんな人物ですか?
A神戸ゆかりの芸術家・デザイナー(1926–2020)。関西学院大学を経て1956年に戦後初のポルトガル留学生として渡欧し、約15年をイベリアで過ごした後に帰国。書、絵画、陶芸、ガラス、染織、ブランドデザインなど領域を横断して活動し、雅号「無汸庵」をそのまま自宅の茶室にも冠しました。
Q伝統的な茶室との違いはどこにありますか?
Aほぼすべての要素が定型を外しています。屋根の頂部に陶器の土鍋を据え、障子は紙ではなく簾を建て、天井は傘状に骨を広げ、床は置き床にして固定していません。文化庁の解説でも「鎌倉時代の山家に着想したとされる野趣溢れる自在な造り」と評価されています。
Q綿貫宏介の意匠を体感できる場所はありますか?
A最も網羅的に触れられるのは有馬温泉の「陶泉 御所坊」です。1987年以降、館全体の意匠を綿貫が手がけており、現存する彼の総合的なインテリア・グラフィック作品としては最大規模のものになります。

基本データ

名称無汸庵(むほうあん)
所在地兵庫県神戸市東灘区御影中町一丁目947
指定区分登録有形文化財(建造物)/住宅
登録番号28-0790(第105回登録)
登録年月日令和5年(2023年)8月7日
登録基準造形の規範となっているもの
建築年昭和44年(1969年)
構造・形式木造平屋建、アスファルトシングル葺、建築面積約18㎡
員数1棟
建主・設計綿貫宏介(芸術家)
所有個人所有(住宅敷地内)
公開状況非公開(外観のみ路上から望見可)
最寄駅阪急神戸線「御影」駅から徒歩約10分/阪神本線「石屋川」駅・「御影」駅も利用可

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)「無汸庵」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00014653
文化遺産オンライン「無汸庵」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/560815
兵庫県教育委員会文化財課「文化財の保存と活用」令和6年2月
https://web.pref.hyogo.lg.jp/gikai/iinkai/index/joniniinkai/bunkyo/documents/06-2bunshiryo060213.pdf
無汸庵 綿貫宏介の空間(公式サイト)
https://muhouan.org/history/
株式会社関門海「意匠空間|綿貫宏介」
https://www.kanmonkai.co.jp/company/design.html
西山酒造場「デザイン」
http://www.kotsuzumi.co.jp/officialweb/design/

最終更新日: 2026.05.16