新宮宮内遺跡 ― 揖保川のほとりに広がる弥生のムラ

JR姫新線・播磨新宮駅のホームから歩いて4分。線路のすぐ裏手に、人びとが数千年にわたって暮らしつづけた低い高まりがある。新宮宮内遺跡は、兵庫県たつの市新宮町、揖保川の右岸に発達した自然堤防の上、標高およそ52メートルの微高地に立地する。発掘で確かめられた生活の跡は縄文時代後期から平安時代にまで及ぶが、ムラがもっとも大きくなったのは、いまから2000年あまり前の弥生時代中期だった。1982年(昭和57年)6月3日、国の史跡に指定されている。

地中に残されていたのは、稲作を営む集落の見取り図そのものである。円形や方形の竪穴住居、周囲に溝をめぐらせた墓、東西に走る幅広い大溝、そして兵庫県内で最も多く見つかった分銅形土製品。これらが、この一画に重なって眠っていた。

遺跡が見つかるまで

発見のきっかけは、駅前の開発だった。1965年(昭和40年)ごろから駅周辺の土地利用が一気に進み、これに合わせて予備的な調査が行われた。その結果、播磨地方では初めてとなる低地の竪穴住居跡が確認され、さらに揖保川流域では最初の、年代の確かな縄文時代後期の集落であることがわかった。1973年(昭和48年)の範囲確認調査をはじめ、1980年(昭和55年)までに四次にわたる発掘が重ねられ、東西およそ400メートル、南北230メートル以上に広がるムラの姿が浮かび上がってきた。

詳しく調べられた4ヘクタールの範囲だけで、竪穴住居の跡は63棟を数えた。ただし、ムラの実際の広がりはこれをはるかに上回る。総面積は10ヘクタール以上、累計300棟を超える住居が建っていたと推定されている。なかに一つ、異色の建物があった。茅ではなく土で屋根を葺いた住居で、兵庫県では珍しい型式である。火災で焼け落ちた状態のまま見つかった。

なぜ史跡に指定されたのか

西播磨で、初期の村のくらしをこれほど豊かに記録した場所は多くない。複数の時代にわたって途切れることなく人が住みつづけた跡が残り、稲作民がまとまった規模の集落をかたちづくっていく過程を、この遺跡はとらえている。墓地もまた、別の角度から当時の社会を映し出す。世代を経るなかで、人びとは死者を葬る場の形を方形から円形の周溝墓へと変えていった。その移り変わりが、土の中にそのまま刻まれていたのである。遺構から弥生時代を読み解こうとする者にとって、ここはいわば教科書のような遺跡であり、その完結性が1982年の国史跡指定につながった。

見どころ

分銅形土製品

この遺跡を象徴する出土品が、分銅形土製品である。子どもの手のひらほどの大きさの焼きものの一種で、長辺の両側が内側にえぐれた楕円形をなし、その形が天秤の分銅に似ることからこの名がある。用途はわかっていない。お守りとみる説もあれば、まじないの道具とする見方もあり、結論は出ていない。はっきりしているのは分布のかたよりで、西方の岡山県や瀬戸内海沿岸に集中して見つかる。新宮宮内遺跡で出土数が群を抜いて多いことは、内陸のこの谷あいと瀬戸内側の集落とのあいだに、行き来があったことを示している。

形を変えた墓

墓地には、二種類の周溝墓が残されていた。古い弥生時代中期の墓は、四角い溝に囲まれた方形周溝墓である。これに対し、のちの墓は円形のプランをとる。両者が並んで見つかったことで、葬送のならわしの変化を、地割りそのものから読み取ることができる。西播磨におけるこの転換を示す、わかりやすい例の一つである。

八条の大溝

遺跡を東西に横切って、幅の広い溝が8条、平行して走っている。最も大きなものは深さ約2メートル、幅約5メートルに達する。何のための溝かは、いまも議論が続く。防災と防御という二つの解釈がよく挙げられるが、目的がどうであれ、これだけの掘削をやり遂げた事実は、このムラが動かせた労働力の大きさを物語っている。

訪ねる

遺跡の一帯、約4ヘクタールは史跡公園として無料で開放されている。復元された建物や墓は、いずれも実際に遺構が見つかった場所に建てられている。竪穴建物の群れ、円形の周溝墓、倉として使われた掘立柱建物、そして弥生戦士の墓と紹介される墓。これらのあいだを歩くと、住居や墓のあいだの距離感が、展示ケースでは得られない実感として伝わってくる。

出土品そのものを見たいなら、たつの市立埋蔵文化財センターへ。たつの市役所の新宮総合支所内にあり、分銅形土製品や弥生土器、発掘で得られた各種の石器を展示している。石器には石鏃、石包丁、石錘、砥石などが含まれる。

遺跡はJR姫新線・播磨新宮駅のすぐ裏手にあり、姫路からの日帰りに向く。白亜の名城・姫路城と組み合わせるのも自然な行程だろう。たつの市そのものも、淡口醤油とそうめんで知られる古い城下・醸造の町である。立ち寄る価値は十分にある。

Q&A

Q新宮宮内遺跡とはどんな遺跡ですか。
A兵庫県たつの市、揖保川の右岸にある集落跡です。縄文時代後期から平安時代まで人が暮らし、弥生時代中期に最も大きな集落となりました。1982年に国の史跡に指定されています。
Qこの遺跡で有名な分銅形土製品とは何ですか。
A天秤の分銅のような形をした、両側がえぐれた楕円形の小さな土製品です。新宮宮内遺跡からは兵庫県内で最も多く出土しています。用途は不明で、お守りや呪術の道具などの説があります。主に岡山県や瀬戸内海沿岸で見つかる遺物で、その地域との交流をうかがわせます。
Q見学できますか。何が見られますか。
A見学できます。約4ヘクタールが無料の史跡公園として開放され、復元された竪穴住居、円形周溝墓、掘立柱建物、弥生戦士の墓などがあります。出土品は近くのたつの市立埋蔵文化財センターで展示されています。
Qどうやって行けばよいですか。
AJR姫新線の播磨新宮駅が最寄りです。遺跡は駅のすぐ裏手にあり、徒歩約4分です。遠方から訪れる場合は、同じ路線上の姫路が乗り継ぎに便利です。
Qなぜこの場所に大きなムラができたのですか。
A揖保川沿いの自然堤防は、水辺と農地に近く、わずかに高くて水はけのよい土地でした。稲作を営む集落に適した立地だったと考えられます。見つかった8条の大溝は、洪水への備えだった可能性がありますが、目的についてはなお議論があります。

基本情報

名称新宮宮内遺跡(しんぐうみやうちいせき)
所在地兵庫県たつの市新宮町新宮
指定区分国指定史跡
指定年月日1982年(昭和57年)6月3日
時代縄文時代後期~平安時代(最盛期は弥生時代中期)
遺跡の性格集落跡・墓域
範囲東西約400メートル、南北230メートル以上。総面積は10ヘクタール以上と推定
主な遺構・遺物竪穴住居、方形・円形の周溝墓、8条の大溝、分銅形土製品
アクセスJR姫新線・播磨新宮駅から徒歩約4分
公開状況史跡公園として無料公開。出土品はたつの市立埋蔵文化財センターで展示

参考文献

文化遺産オンライン(文化庁)― 新宮宮内遺跡
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/191322/2
国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/1898
たつの市 ― 新宮宮内遺跡
https://www.city.tatsuno.lg.jp/soshiki/1041/gyomu/5/4/3473.html
西播磨ツーリズム・観光ガイド ― 新宮宮内遺跡
https://www.nishiharima.jp/spot/255

最終更新日: 2026.05.29