洲本城跡 — 紀淡海峡を見下ろす総石垣の山城
洲本市街の南、標高約130メートルの三熊山に登ると、木立の切れ間に灰色の砂岩が現れる。モルタルを使わず積み上げられた石垣は、尾根に沿って東西およそ800メートルにわたって続く。淡路島南東部の三熊山に築かれたこの山城は、戦国時代後期から幕末まで淡路国統治の中心であった。最高所に天守台が置かれ、北の紀淡海峡を越えて大阪・堺の港を遠望する。
平成11年(1999年)1月14日、洲本城跡は国の史跡に指定された。曲輪、幅広い石段、櫓跡が残り、北側の急斜面には山の上下をつなぐ2本の登り石垣が現存する。
水軍の砦から豊臣系の拠点へ
築城の起こりは16世紀初めにさかのぼる。海峡の対岸、紀伊国を本拠とした水軍勢力、安宅氏の手によると伝えられる。江戸時代の淡路の地誌は二つの築城説を載せ、永正7年(1510年)の安宅河内守による築城と、大永6年(1526年)の安宅隠岐守治興による築城を記す。いずれの説も、島の周辺海域を押さえた海の武士の仕事である点では一致している。
統一戦争が淡路に及ぶと、城主は次々と入れ替わった。天正10年(1582年)には織田方の大名が短期間在城する。大きな転機となったのは、豊臣に仕えた脇坂安治の入城である。慶長14年(1609年)まで24年にわたって在城した脇坂は、それまでの砦を、今に残る総石垣の城へと造り替え、海峡と大阪湾の入口を守った。脇坂が伊予国大洲へ移った後は藤堂高虎、池田氏が淡路を領したが、この時期の記録は乏しい。
慶長20年(元和元年、1615年)、大坂夏の陣で豊臣秀頼が滅ぶと、淡路は徳島を本拠とする阿波蜂須賀氏に加増された。寛永8年(1631年)から一時、統治の拠点が島南東端の由良城に移されたが、不便などの理由でまもなく洲本へ戻された。城下町ごとの大移転であったこの動きは、今も「由良引け」と呼ばれている。以後、洲本は明治維新まで淡路統治の中心であり続けた。
この城跡が貴重な理由
洲本城跡が際立つのは、数世紀分の築城技術が一つの山に積み重なっている点にある。本丸跡と東の丸跡の発掘では、織豊期の瓦や碑が見つかっており、その中には脇坂氏の家紋「輪違い紋」を刻んだ瓦や、朝鮮系の滴水瓦が含まれていた。方形に近い本丸の縄張り、虎口の形、折れを多用した石垣は脇坂段階のものと考えられ、17世紀に一部改修されたとみられる。
石垣の多くは自然石をそのまま積む野面積みで、隅角部には整形した石を交互に組む算木積みの技法が用いられている。石材は三熊山産の和泉層群の砂岩と礫岩である。遺構の遺存状況は極めて良好で、各時期がそれぞれ痕跡を残しているため、戦国期、文禄・慶長期、寛永期の築城法が層をなして重なっている。この重層性と、海峡を見張る水軍拠点としての役割が、国史跡指定の理由となった。
登りながら見たいもの
城好きの目当ては、2本の登り石垣である。全国でも数えるほどしか残っていない。等高線に沿うのではなく斜面を縦に下るこの石垣は、山頂の防御と山麓をつなぎ、寄せ手が側面を回り込むのを防いだ。研究者は、1590年代の朝鮮出兵で日本軍が築いた城(倭城)との関わりを指摘し、その時期の所産と推定している。森の中を下っていく石垣の脇を歩くと、山頂だけでなく山全体が要塞化されていた様子が体感できる。
本丸へ続く大石段はゆっくり登りたい。天守台に立てば、この城の評判を生んだ眺めが広がる。大阪湾を見はるかす眺望と、東側展望台からマリーナを望む景色は、洲本八景の第一、第二に数えられている。曲輪の間には、底に日と月が刻まれていると伝わる日月井戸がひっそりと残る。
天守台の上には、初めて訪れる人を戸惑わせる小さなコンクリートの建物が立つ。昭和3年(1928年)、昭和天皇の即位を記念して建てられた模擬天守で、現存する模擬天守としては日本最古のものである。江戸時代の天守を復元したものではなく展望台として造られたが、老朽化のため現在は内部に入れない。麓の市街から見上げるその姿は、洲本の象徴となっている。
城のまわり
山の麓には「下の城」がある。蜂須賀氏が統治の拠点を洲本に戻した後に整えられた政庁部分で、石垣や堀の跡は17世紀前半、寛永年間のものが中心である。この一帯には現在、淡路文化史料館が建ち、地域の考古・歴史資料を見られるほか、続日本100名城のスタンプと御城印を入手できる。洲本城は平成29年(2017年)にこの百名城に選ばれた。
洲本は温泉のまちでもあり、バスセンターから少し歩いた海沿いに旅館が並ぶ。午前を城跡で過ごし、午後を海辺で過ごす組み合わせがしやすい。島全体を巡れば、南の鳴門海峡の渦潮から、北部の神社や海岸の景色まで、滞在を延ばすだけの見どころがある。
Q&A
- 天守の中に入れますか。
- 入れません。天守台の上の建物は昭和3年(1928年)の模擬天守で、当時の天守ではなく、老朽化のため内部は閉鎖されています。建物のすぐそばまでは行くことができ、天守台からの眺めは楽しめます。
- 車がなくても行けますか。
- 淡路島には鉄道がありません。高速バスで洲本バスセンターまで行くのが基本で、神戸三宮から約90分、高速舞子から約60分です。バスセンターから下の城と史料館までは徒歩約10分、そこから三熊山を登る道で上の城跡へ向かえます。
- 登り石垣とは何ですか。
- 斜面を横ではなく縦に下るように築かれた石垣で、山頂の防御と山麓をつなぐものです。全国でも残る例は少なく、洲本の2本は1590年代のものと考えられ、朝鮮半島での築城技術を反映したと言われています。
- 入場料はかかりますか。
- 三熊山の城跡は門のない開かれた史跡で、入場料はありません。下の城の史料館など屋内施設では料金がかかる場合があるので、訪問前に最新の開館時間と料金を確認してください。
- 見学にはどのくらい時間が必要ですか。
- 上の城跡をゆっくり歩くなら1〜2時間が目安です。登り石垣をたどり、外側の曲輪まで見て回るならもう少しかかります。道は起伏があるので、歩きやすい靴で訪れてください。
基本情報
| 名称 | 洲本城跡(すもとじょうあと) |
|---|---|
| 所在地 | 兵庫県洲本市小路谷 |
| 立地 | 淡路島南東部・三熊山(標高約130メートル) |
| 指定 | 国史跡(平成11年〔1999年〕1月14日指定) |
| 時代 | 16世紀初頭に築城/天正13年〜慶長14年頃に総石垣化/下の城は寛永年間以降 |
| 見どころ | 2本の登り石垣、大石段、天守台、昭和3年の模擬天守、眺望 |
| 模擬天守 | 昭和3年(1928年)建造/現存する模擬天守として日本最古/現在は内部閉鎖 |
| アクセス | 神戸三宮から洲本バスセンターまで高速バス約90分、そこから三熊山を登る |
| その他 | 続日本100名城(平成29年〔2017年〕選定) |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「洲本城跡」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/3218
- 洲本市公式ホームページ「洲本城跡」
- https://www.city.sumoto.lg.jp/site/tunagarumachi/16885.html
- 兵庫県立歴史博物館「名所めぐり:洲本城跡」
- https://rekihaku.pref.hyogo.lg.jp/digital_museum/trip/road_awaji/sumotojo/
最終更新日: 2026.05.29